その初まりから現在までの脈絡のない断片的な覚え書き

 

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 ブライアン・イーノは,ここ数年,人間と特定の場所(環境)との間の関係を促進させる,あるいは聴くことの意味と感覚の変革といったことに対して仕事を進めている。こと音楽に関しては,誰もが普遍的に持っている感覚を再経験するような音楽を作ろうとしているようだ。ここでは,彼のそのような音楽観の背景とオブスキュアを中心とした人脈関係をざっと見ていこう。

※ブライアン・イーノ

生年月日:1948515
出身地:イギリス・サフォーク州ウッドブリツジ
彼は1
969,ロンドンに移り“ザスクラッチ・オーケストラ”に短期間、そして“ポーツマス・シンフォニア”に参加する。

※スクラッチ・オーケストラ〜1969年、シュトックハウゼン、ジョン・ケイジらの影響を受けたコーネリアス・力一デューがロンドンで創立。当時50人のメンバーはやがて80人にふくれあがるが、このオーケストラには、いわゆる商業音楽家から素人ミュージシャンまで、さまざまな音楽的レベルの人々が参加、公会堂や野外、交通機関の中などで定期的に会合し、演奏した。彼らはいくつかの規約を持ち、ごく普通にオーケストラのレパートリーに数えられている曲を批判的に演奏したり、それぞれのメンバーが何をやりたいかを明示し、それに対してさまざまのレベルからメンバー全員がアプローチするなど、かなり実験的な試みがなされた。この反オーケストラはイギリスの作曲家の率いる小グループ(おもちゃの楽器のオーケストラや即興音楽など)が盛んになるきっかけを生んだといわれる。

※ボーツマス・シンフォニア〜ギャヴァン・ブライアーズを中心とする実験音楽集団。さまざまな音楽レベルの人々が結集し、即興的なクラシック音楽を演奏した。メンバーには、既成概念をくつがえす目的の一環として、余暇に何か特異な部品を持った楽器を作る義務が課せられた。この音楽集団に思想的な影響を受けたミュージシャンはロック畑にも多い。

 イーノはその2年後、1971年にロキシー・ミュージックに参加、翌年、『ロキシー・ミュージック』でロック・シーンにアルバム・デビューする。73年、『フォー・ユア・プレジャー』をレコーディング後、ロキシーを脱退。同じく73年、キング・クリムゾンのロバート・フリップとテープ・ループを駆使したギターとシンセを用いた実験的アルバム『ノー・ップッシィフッティング」と、その後2枚のソロ・アルバムを経て、75年にはフリップとの2作目『イヴニング・スタ」を発表、さらに自己のレーベルとして“オブスキュア”を設立。ロックからの離脱が始まる。オブスキュアでは、前出のスクラッチ・オーケストラやポーツマス・シンフォニアの頃に出会ったものと思われる数多くの実験的なミュージシャンの作品を取り上げている。サイモン・ジェフス率いるペンギン・カフェ・オーケストラを始め、ギャヴァン・ブライアーズ、マイケル・ナイマン、ロバート・ワイアットetc.といった人々は、今でこそ多少なりとも有名であるが、当時は全く無名の存在だった。77年までに、すでに10枚のアルバムを出しているが、その中で最も異色なのは、『マシーン・ミュージック』である。

※『マシーン・ミュージック』〜ギャヴァン・ブライア一ズとジョン・ホワイトが中心となり、イーノ自身も演奏に参加している。振り子式のメトロノームを使い、それが自然に遅くなっていくのに合わせていろんな楽器が演奏するなど、かなり実験的な内容を持つ。参加メンバーは他にフレッド・フリス(g)、デレク・ベイリー(g)、クリストファー・ホッブス(Jew's Harp)、など。残念ながらマスター・テープ不良のため、日本盤は現在まで発売されていない。

79年から82年にかけて、アンビエント・シリーズとして4枚のアルバムをリリース。

※アンビエント・ミュージック〜来日時のレクチャーを聞いても思ったのだが、彼にとっての“環境”とは、自分自身の部屋に他ならず、そこから見渡せるニューヨークの景色なのであって、その意味でとても自己中心的な概念であると言える。イーノ自身、「わざわざ田舎に出向かなくとも、自分の部屋にいながら十分に田舎以上に自然を感じとることができる」などと発言しているが、そのような考え方は彼が影響を受けたと語るジョン・ケイジの発想とは全く対極的なものだ。ケイジは自然を自然として聴き、自分が自然の中に積極的に入り込んでいこうとする。しかしイーノは、自然の中へは行かなくてもいい、自分の部屋の中で十分だ。ここでもっとりラックスできる方法を考えたいと言う。この消極的な考え方は、そのまま彼の環境音楽に対する定義にも通底している。つまり「聴くこともできるが、無視することもできる音楽」であると。しかし、聴かなくてもいい音楽が流される状況とは何か?現代という時代は、“聞かなくてもいい”ということがとても人間をリラックスさせてしまうような状況がある。すると、イーノのアプローチは逆にそういう人間関係を促進させてしまう危倶さえ孕んでしまうことになりかねない。彼が個人的な立場でとどまっそいてくれればいいのだが、東京に生活する我々が、これぞ新しい考え!みたいにあげたてまつってしまうのは、ちょっと恐い気がしなくもない。

 さて、最近の彼のプロデューサーとしての仕事はあまりに有名なので、ここではそのラインナップを列記するにとどめよう。まず、76年、ウルトラヴォックスの『ウルトラヴォックス』を始め、DEVOのデビュー作『アー・ウィ・ノット・メン?』、トーキング・ヘッズの3枚のアルバム『モア・ソングス・アバウト・ビルディング・アンド・フード』(78年)、『フィア・オブ・ミュージック」(79年)、『リメイン・イン・ライト』(80年)、そのヘッズのD.バーンと『マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ'オブ・」ゴースツ』(81年)をそれぞれ発表。アーティストの素材を存分に生かしたプロデュース・ワークが話題を呼んだ。
 イーノの思想の背景には、デニス・ゲーバーの発見したホログラム論の影響が大きく感じられる。

※音楽ホログラム論〜イーノは子供の頃、デ・ラサール修道院において、聖体というものはどんな風にこなごなにしても、そのすべてに神が宿っているものだと教えられ、それがどういうことなのかわからずにずっと悩んでいたという。しかし、デニス・ゲーバーのレクチャーを大学時代に聞き、ホロクラムというものは、どんなに細分化してもその部分部分が全体を表すものだという語により、すべての悩みが吹っ切れたという。その考え方は、.ミニマル.・ミュージックの基盤ともなるもので、音楽の流れの中の一断層をみればすべての構造がわかる。ミニマル・ミュージックでは音楽のストーリ一性というものは拒否される。時問の流れはすべて均質化され、同じ構造で見える部分が全体の構造をも表わしている。劇的なストーリー展開よりも、常に一定時間流れていて、山もなし谷もなし、自分がその音の中に自由に入りこめて、また出てゆくこともできる、そういう音の状態を作るにはホログラムのような構造が必要だろうとイーノは考えたのだろう。つまり、どんな一部分を聴いても、同じ動き、同じ感覚、同じスタイルが感じられる音楽だ。
 立ち止まり、音を外から眺め、また内に入る何回も聴いたり長時間聴いたりしても面白さを失わない音楽のためには、要素やアクションを増やすよりむしろ減らすことだ。このような考えはまさにミニマリストの視点である。またホログラムを通して見る音楽の認識、世界観。イーノはその存在自体がすでにひとつのアティテユードとして我々の感覚世界を拡げるための視座となリうる人なのだ。

※影響を受けた作家〜ウイリアム・バロウズ(すべてのものを取りこむ)、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(平行する秘密の世界)、サミュエル・ベケット(一部分から全体を知る)。イーノはこの3人の作家を“僕の3B”と呼ぶ。

 

高田みどリ (ミュージシャン)

 

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