ENO って人は…

 

 

 

Ultravox!    「Ultravox!」(1977

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イーノが貴方達の最初のプロデューサーになった事は魅力的だったか、それとも反抗し泣き喚きながらスタジオにひきずり込まれたか、どっちだった?

ジョン・フォックス ―  僕達は彼のする事が好きだった。それは異端で、当時僕達は異端なものに心を奪われていたから。 イーノは唯一の救済者のようで、それに加えて他の誰一人として、僕達のやっている事については何が何だか解らなかったという事実。

クリス・クロス ―  誰一人として、運にまかせてやってみたがってはいないようだった。イーノは小さなリハーサル・ルームに居る僕達を見に来て、ただ小さいソニーのカセットに録音して家に帰り、翌目又戻って来て、僕達のやっている事に輿味を持ったというんだ。僕は、彼が小さなカセットを聴いただけで輿味を覚えたなんて言えるものかと思ったけれど、彼は明らかに大きな製作努カについて結論を結んだのではなく、ただ小さなスピーカーから聴こえるものに輿味を持ったというだけだった。

ジョン・フォックス ―  加えてイーノは当時他の冒険的事業には全て失敗していたから、僕達にとっては敬意を持てる唯一の人だったと思う。でもそれが重要な事だとは感じていなかった。重要だったのは、彼が他の誰もがよく見ようとしない事をやり、厳密に見ていたという事だった。他の誰もそうする勇気がない。というのは、スタジオに入る度にレコード会社が多額の金を払わなくてはならないからで、1時間につき40ポンドか50ポンドか60ポンド位かかるなんて考えただけでそら恐ろしいよ。だからかつて誰もイーノのやった様な事をやって見ようと思い切れなかったし、そんな意昧で、途方もない金額を使って、途方もない冒険をした人と交際出来て、とても誇りに思っている。(1978年頃)

ロックマガジン22

 

 

 

 Talking Heads   「More Songs About Building and Food(1978)

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今回のイーノのプロデュースについてどう思うか。ディーボはイーノの個性が強すぎてディーボ自身の主張を出せなかったと言っていたが…

デビッド・バーン  ―  ディーボの場合、ファーストアルバムだったわけだけど…。まあ誰でもファーストアルバムっていうのは不安なんだ。自分達たけの音楽を大切にしようとして、プロデューサーが何かしようとすると、アイディアがこわされるんじゃないかって心配しちゃうんだね。それはイーノに限らず誰に対しても言えるんだ。
 僕たちのセカンドアルバムはもっと柔軟になって、自分達の音楽はこれでなくちゃいけないっていう観念を捨てることができた。イーノも同じように思ってくれて、イーノが何か意見を出して僕達が気に入らなかったら別の方法を取る、又はその逆…発想が自由になったネ。彼と仕事をするのはとてもやりやすかったよ。

 

 

 

DEVO   「QAre We Not Men?  AWe Are Devo!」(1978)

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DEVO  ―  アレにはDEVOらしさが失われている!

 

 

 

 

Todd Rundgren  1979

 

トッド・ラングレン  ―  僕はイーノと共通点はあるかもしれないが、はっきりしたラインが引けると思っている。イーノは人が聴くための曲というものは作っていない。というのは、彼の曲は自分のシンセサイザーのアイデアを人に聴かせるためのものだが、僕の場合はその逆で、最初に音楽のアイデアが来て、シンセサイザーがそれに合うかどうかは二の次なんだ。

そうすると、イーノがプロデュースしたディーヴォとかトーキング・ヘッズを聴いてみて、プロデューサーとしての彼の才能をどう思う。

 それはアーティストによって違っている。トーキング・ヘッズの場合は自分たちの音楽ポリシーがはっきりしてるから、イーノはサウンドだけど心配してればいいと言う具合で、彼らの時のプロデュースはいいと思っている。でも、ディーヴォの場合はまだポリシーが弱いから逆にショート較べてレコードの方がぜんぜん面白くなかった。要するに聴き手とミュージシャンとのギャップをちぢめるのがプロデューサーの役目であるのに、イーノはディーヴォの時にそれをやれなかったから、ディーヴォはあまり良くないね。

 

 

 

Neville Brothers    「Yellow Moon」(1989)

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アート  ―  ブライアンのアルバムは8枚持っている、向こうは私たちのアルバムを聴いたことなかったみたいだけど、でも、こうして一緒に仕事ができてとても嬉しい、ファンとしてレコードを聴いてるときは、こんなことになるなんて夢にも思わなかったからね。
 すごくいい人だった。まるてで何年もの間ずっと友だちだったように気さくで、その上天才ときている。私とブライアン、天才が2人、一緒に仕事をしたわけです(笑)
 彼のミュージック・フォ一・エアポート、にも、サインしてもらった。2人ともキーボ一ド・プレイヤーだし、すぐに意気投合したよ。

ENOKeyboards, Sound Effects, Vocals   Producer:Daniel Lanois

 

 

 

Daniel Lanois  1991

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イーノとはどうして出会ったんですか。

ダニエル・ラノア  ―  うちのスタジオでレコーディングしたトロントのバンド“TIME TWINS”のバランス感覚のずれた奇妙な音が気に入ったとかで本人から電話があった。「ニューヨーク以外でスタジオを探している」ということで、うちでのレコーデイングが決まったんだ

イーノは頭脳派っていう印象が強いですけと。一緒に仕事をしてどう思いましたか。

 知的ではあるけどフィールを大切にする人で、一緒にに仕事をする人達、使用する楽器、共有する時間、そういうものから何かを引き出すことのできる人だと思う。私もフィールを大切にするから、彼とは波長が合った。

イーノから学んだことは?

 当時の撲は、小さな町の限られた環境の中で生きていたわけで、世界中を歩き、様々な音楽に接したイーノは、僕に音楽にはクオリティ、言いたいことといったものがあることを気づかせてくれた。彼のアルバムにエンジニアとして関わった期間、僕らは外の世界のことには目も向けず、音楽の持つ魂、闇といったようなものに集中していたんだ。それから、R&Bやゴスペル、フォークのようなルーツ・ミュージックに多少の馴染みのあった僕に、アフリカの音楽を紹介してくれたり、ゴスペルについての詳しい知識を与えてくれたのも彼なんだ。

イーノとの出会いがU2との出会いにつながったわけですけと、U2に対する第一印象は?

 僕は彼らについては殆ど何も知らなかった。ただ音楽に総てを捧げていて、偉大なレコードを作ろうという意気込みでいるのはすぐわかった。U2との出会いは全くの偶然で、初めは彼らのレコードのプロデュースにかかわる気など全然無かったんだ。あれだけは宿命としか言いようがない。

Daniel Lanois 「Acadie」1989)    ENO:Keyboards, Vocals 

 

 

 

  Robert Fripp       1993 

 

ロバート・フィリップ  ―  音楽家的考え方をしない人間と仕事をすると、常にすごくリフレッシュされる。例えばイーノ。イーノもミュージシャン的な考え方をしない人物だが、美術での経験があるから行動の進行に関する感覚に優れていて、原則に基づいて行動してくれる。しかも非常によい趣味をしている。
 

 フィリップ&イーノが75年5月にマドリッドで初めてライブをやったときは、ステージに立つ5分前にイーノが「我々は何をすべきなのかな?」と訊いてきた。

 

 

 

 

CLUSTER      1996

 

ローデリアス  ―  「ジャパン(桃、青そして琥珀)」のマテリアルは11年も前の物で、ブライアン・イーノのレーベルのサポートで生まれた作品なんだ。

メビウス  ―  ブライアンとの共演はすごく楽でよいコラボレーションだった。それぞれにとって良い影響を与え合えたものだと思うよ。

 

 

 

Elvis Costello     1996

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最近「Xファイル」のサントラにマイ・ダーク・ライフ という曲を入れましたよね。ブライアン・イーノとのコラボレーションはとうでした?

エルビス・コステロ  ―  電話がかかってきたんだ。去年の夏だったかな、プロデューサー兼パートナーとしてっていうことで簡単な説明があってね。なんか不思議だったけど。それからスタジオに入って、思いついたものはどんどん録ってトラックに残して、14時間ぶっ通しで作業したんだ。正確に言うと14時閥620秒の…記録だね(笑)

楽しかったですか?

うん、彼のやり方は普段の僕のと全然違ってたからね。彼のはヴィジュアルなやり方なんだ。スケッチするように作っていく。僕がアイディアを出すと彼も違うアイディアを出して、それがどんどん横み重なっていくんだ。すごく密度の濃い14時間だったよ

 

エクストリーム・ハニー:ベスト・オブ・ワーナー・ブラザーズ・イヤーズ ( 1997 / 11 / 05 )
「X−ファイル」オフィシャル・サウンドトラック  WPCR-478  ( 1996 / 4 / 25 )

 

 

 

 

William Orbit        2000

 

ブライアン・イーノですけど、彼も70年代にクラシックをアレンジする作品を作ってますよね。そこら辺で今回のアルバムに直接的な影響はあったんですか?

  ブライアン・イーノはいくつかのトラックでクラシックの作品を引用してるね。彼はそれがとても得意だったんだ。彼は音響面での先駆者だった上に、クラシックのメロディック・フォームを導入していた。彼のメロディー性はとても豊かなんだ。彼はメロディーの世界に深く入り込んでるよ。メロディーこそが秘訣なんだ。僕もそれをやろうとしてる。このアルバムでブライアン・イーノには直接的に影響されてないけど、彼はこういうことを前からやってたんだ。僕のレコードは過去の作品をカヴァーすることが中心になっているけど、ブライアン・イーノはキャリアを通して、常にこういう要素で遊んでいたという感じなんだ。確か、彼はジョン・ケージの作品をカヴァーしたアルバムを作ったんだけど、探そうとしてるところなんだ。ブライアン・イーノのアルバムは全部持ってると思ってたんだけど、いくつか持ってないのがあったみたいだね。彼はクラシックの要素を取り入れてるけど、それを上手にこなしてる数少ないアーティストだよ。

 

 

( hataeno 資料など


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