OBSCURE  LABEL
Portsmouth Sinfonia

Brian Eno    2  


 

OBSCURE 5 JAN STEELE AND JOHN CAGE “VOICES AND INSTRUMENTS”

 

voices and instruments.jpg (2892 バイト)Side 1
Jan Steele All day
■ジャネット・シェルブーン:ヴォイス■ステユアート・ジョーソズ:ソロ・ギター■フレッド・フリス:ギター■ケヴィン・エドワーズ:ヴィブラフォン■スティーヴ・ベレスフォード:べース・ギター■フィル・バックル:パーカッション
Distant saxophones
■ジャン・スティール:フルート■ウタコ・イケダ:フルート■ドミニク・マルドーニイ:ヴィオラ■スティヴ・ベレスフォード:べース・ギター■マーティン・メイエス:ピアノ■アーサー・ラサフォード:パーカッション
Rhapsody spaniel
■ジャン・スティール
&ジャネット・シェルブーン:ピアノ
Side
John CageExperiences no. 1
■リチャード・ベルナス:ピアノ・デュエット
Experiences no. 2
■ロバート・ワイァット:ヴォイス
The wonderful window of eighteen springs
■ロバート・ワイァット:ヴォイス■リチャード・ベルナス:パーカッション
Forever and sunsmell
■カーラ・ブレイ:ヴォイス■リチャード・ベルナス:パーカッション
in a Landscape
■リチャード・ベルナス:ソロ・ピアノ
■ロンドン、ベイシソグ・セント・スタジオにて録音■エンジニア:レット・ディヴィス、ガイ・ビッドミード■プ□デュース:ブライアン・イーノ1976


 これら3作のスタイルは、即興演奏のグループ、F&W Hattとの共演を通じて生み出された。F&W HATTは、1972年ヨーク大学で、ジャン・スティールと、ピアニストのデイヴ・ジョーンズ、フルート奏考のマイク・ディーンによって形成された。このグループは、即興的な、ロツクを基とした音楽を、とても静かに反複して演奏する、ということを目ざしていた。この方面は、ある程度、これらの作品にも残っている。

 “ALL DAY”(ジェイムス・ジョイス“Chamber Music”より。1907、xxxv
 “ALL DAY”は、1972年のヨーク大学ポップミュージック・プロジェクトのために書かれた。これは、ドビュッシーのオペラ、“Pelleas et Meltsande”の研究の結果、生まれてきた。詞の使い方も、その直接的な結果である。詞は、ジェイムス・ジョイスの詞による。ハーモニイと、全体的なスタイルは、やはりF&W Hattのプレイから出て来ている。構成としては、ギター・ソロの間奏曲を含む、12小節のブリーズである。
 これは最初、教訓的な作品として作曲された。危機に直面した即興音楽のようなものを描こうという企てであった。1972年に、F&W Hattにより初演。ヴィオラ・ソ□のドミニク・マルドーニイに撲げられている。

 “RHAPSODY SPANIEL
  これも最初は、F&W HATTのための曲として生まれかけたが、それはならず、1975年4月に、連弾曲として完成された。
 ケイジの現在までの活動は、べ-トーベンのように、3つの時期に分けることができる。
 彼は、その中期の音楽と美学によって、最もよく知られている:偶然に支配される進行、あいまいさ:音と作曲家と演奏家と聴き手とを、伝統的なステロタイプと制限から解放すること。雑音の承認、周囲の音を音楽の中に取り入れること、等々。この時期は1950年から69年まで続く。
 ケイジは、1948年8月に、ノースカロライナ・ブラックマウンテン大学での夏期講座で“ExperiencesbP”と“Landscape”の初演を行った。この講座で彼は、Satieの諸作を紹介(そして、正当化)したが、その中には彼自身がその初期の音楽の中で発展させてきた、構成の手法の十分な説明が見いだされる。ケイジは、こう言っている。「構成という分野、即ち、各々のパートと全体との開係という分野では、べートーベン以来、新しい考え方はひとつしかない。べートーベンに於ては、ある作品のひとつの部分は、ハーモニイという事によって限定される。SatieWebernに於ては、それは、時間的な長さ、という事によって決められるのだ。べートーベンは、作曲にとりかかる前に、あるキィから別のキィヘの移動という事をまず頭にお<。つまり彼は、和声的な構成という事を考える。Satieは、そのフレーズの長さという事を考えるのだ。
 これは、実のところ、ケイジ自身の手法でもあった。

 “In Landscape”は、5曲中最も長<、ケイジが30年代から40年代にかけて発展させてきたリズム構成の、最も一般的な形である。
 この作品で、ケイジは、15×15573)という構成をとっている。つまり、この作品は、15小節から成るセクションを15個持ち、全体は、5セクション、7セクション、3セクションという3つの群に分かれている。同時に、より小さなスケールでも、各々のセクション中の15小節は、やはり、5・7・3個という3つの群に分かれている。このリズム構成の原理は、ケイジの初期の音楽的な業積の一例である。メロディ的には、5つの作品は全て、制限され(限定され)た音階を使っている。

 “Experiences bP”は、3台のピアノで、Aマイナー風の5音階、ACDEG、を使っており、“bQ”.は、これに従っている。
 声とピアノのための曲、“The Wonderful Windw of Eighteen Spring ”は、1942年に書かれた。ケイジは、この曲では、どんなリズム構成も手法も、意識的には使っていないと言っている。このメロディラインと、その打楽器的な伴奏は、全て、テキスト(詩)の印像に基いている。ピアノは、打楽器のように扱われている。ピアニストは、グランドピアノを閉じる(弦の部分も鍵盤の部分も)ことを要求され、普には、ピアノのどの部分を、どちらの手の、どこで打つか、という事が表記されている。声の演出も、ヴィヴラートを使わず、メロディも、単純にABEの音を入れ替るだけで成り立っているが、無理のない音域を使うことができるように、歌い手は、自由にキィを変えてよいことになっている。

 2種のパーカッションを伴う歌、“Forever and Sunsmell” も1942年に書かれたもので、ee・カミングスの詩に曲がつけられている。使われている打楽器は、2個の大きなトムトム(最初はティンパニのスティックで、のちには指で打つ)と、少な<とも直径24インチはある、中国のドラ。

 “Experiences no. 2
 ee・カミングスの“Sonnets-unrealities of Tulips and Chimneys”のひとつ、Vをテキストにしている。最後の2行は省略。
 他の行や詞は、くり返されたり、原詩とは違う順序で使われたりしている。

 “The wonderful window of eighteen springs
 (この歌の詞は、ジエイムス・ジョイスの「フィニガンのめざめ」556ぺージの改作)

 “Forever and sunsmell
 タイトルとテキストは、ee・カミングスの“50poems”(1940)中のひとつ、“26”、による。いくつかの詞と行は省略。そうでない部分は、原詩とは違う順序で使われたり、くり返されたりしている。ハミングや声は(詩の一部ではなく)加えられたもの。

 

JAN STEELE
 
195011月8日、バーミングム生まれ。ギルドハム音楽学校で、">

 

OBSCURE  LABEL
Portsmouth Sinfonia

Brian Eno    2  


 

OBSCURE 5 JAN STEELE AND JOHN CAGE “VOICES AND INSTRUMENTS”

 

voices and instruments.jpg (2892 バイト)Side 1
Jan Steele All day
■ジャネット・シェルブーン:ヴォイス■ステユアート・ジョーソズ:ソロ・ギター■フレッド・フリス:ギター■ケヴィン・エドワーズ:ヴィブラフォン■スティーヴ・ベレスフォード:べース・ギター■フィル・バックル:パーカッション
Distant saxophones
■ジャン・スティール:フルート■ウタコ・イケダ:フルート■ドミニク・マルドーニイ:ヴィオラ■スティヴ・ベレスフォード:べース・ギター■マーティン・メイエス:ピアノ■アーサー・ラサフォード:パーカッション
Rhapsody spaniel
■ジャン・スティール
&ジャネット・シェルブーン:ピアノ
Side
John CageExperiences no. 1
■リチャード・ベルナス:ピアノ・デュエット
Experiences no. 2
■ロバート・ワイァット:ヴォイス
The wonderful window of eighteen springs
■ロバート・ワイァット:ヴォイス■リチャード・ベルナス:パーカッション
Forever and sunsmell
■カーラ・ブレイ:ヴォイス■リチャード・ベルナス:パーカッション
in a Landscape
■リチャード・ベルナス:ソロ・ピアノ
■ロンドン、ベイシソグ・セント・スタジオにて録音■エンジニア:レット・ディヴィス、ガイ・ビッドミード■プ□デュース:ブライアン・イーノ1976


 これら3作のスタイルは、即興演奏のグループ、F&W Hattとの共演を通じて生み出された。F&W HATTは、1972年ヨーク大学で、ジャン・スティールと、ピアニストのデイヴ・ジョーンズ、フルート奏考のマイク・ディーンによって形成された。このグループは、即興的な、ロツクを基とした音楽を、とても静かに反複して演奏する、ということを目ざしていた。この方面は、ある程度、これらの作品にも残っている。

 “ALL DAY”(ジェイムス・ジョイス“Chamber Music”より。1907、xxxv
 “ALL DAY”は、1972年のヨーク大学ポップミュージック・プロジェクトのために書かれた。これは、ドビュッシーのオペラ、“Pelleas et Meltsande”の研究の結果、生まれてきた。詞の使い方も、その直接的な結果である。詞は、ジェイムス・ジョイスの詞による。ハーモニイと、全体的なスタイルは、やはりF&W Hattのプレイから出て来ている。構成としては、ギター・ソロの間奏曲を含む、12小節のブリーズである。
 これは最初、教訓的な作品として作曲された。危機に直面した即興音楽のようなものを描こうという企てであった。1972年に、F&W Hattにより初演。ヴィオラ・ソ□のドミニク・マルドーニイに撲げられている。

 “RHAPSODY SPANIEL
  これも最初は、F&W HATTのための曲として生まれかけたが、それはならず、1975年4月に、連弾曲として完成された。
 ケイジの現在までの活動は、べ-トーベンのように、3つの時期に分けることができる。
 彼は、その中期の音楽と美学によって、最もよく知られている:偶然に支配される進行、あいまいさ:音と作曲家と演奏家と聴き手とを、伝統的なステロタイプと制限から解放すること。雑音の承認、周囲の音を音楽の中に取り入れること、等々。この時期は1950年から69年まで続く。
 ケイジは、1948年8月に、ノースカロライナ・ブラックマウンテン大学での夏期講座で“ExperiencesbP”と“Landscape”の初演を行った。この講座で彼は、Satieの諸作を紹介(そして、正当化)したが、その中には彼自身がその初期の音楽の中で発展させてきた、構成の手法の十分な説明が見いだされる。ケイジは、こう言っている。「構成という分野、即ち、各々のパートと全体との開係という分野では、べートーベン以来、新しい考え方はひとつしかない。べートーベンに於ては、ある作品のひとつの部分は、ハーモニイという事によって限定される。SatieWebernに於ては、それは、時間的な長さ、という事によって決められるのだ。べートーベンは、作曲にとりかかる前に、あるキィから別のキィヘの移動という事をまず頭にお<。つまり彼は、和声的な構成という事を考える。Satieは、そのフレーズの長さという事を考えるのだ。
 これは、実のところ、ケイジ自身の手法でもあった。

 “In Landscape”は、5曲中最も長<、ケイジが30年代から40年代にかけて発展させてきたリズム構成の、最も一般的な形である。
 この作品で、ケイジは、15×15573)という構成をとっている。つまり、この作品は、15小節から成るセクションを15個持ち、全体は、5セクション、7セクション、3セクションという3つの群に分かれている。同時に、より小さなスケールでも、各々のセクション中の15小節は、やはり、5・7・3個という3つの群に分かれている。このリズム構成の原理は、ケイジの初期の音楽的な業積の一例である。メロディ的には、5つの作品は全て、制限され(限定され)た音階を使っている。

 “Experiences bP”は、3台のピアノで、Aマイナー風の5音階、ACDEG、を使っており、“bQ”.は、これに従っている。
 声とピアノのための曲、“The Wonderful Windw of Eighteen Spring ”は、1942年に書かれた。ケイジは、この曲では、どんなリズム構成も手法も、意識的には使っていないと言っている。このメロディラインと、その打楽器的な伴奏は、全て、テキスト(詩)の印像に基いている。ピアノは、打楽器のように扱われている。ピアニストは、グランドピアノを閉じる(弦の部分も鍵盤の部分も)ことを要求され、普には、ピアノのどの部分を、どちらの手の、どこで打つか、という事が表記されている。声の演出も、ヴィヴラートを使わず、メロディも、単純にABEの音を入れ替るだけで成り立っているが、無理のない音域を使うことができるように、歌い手は、自由にキィを変えてよいことになっている。

 2種のパーカッションを伴う歌、“Forever and Sunsmell” も1942年に書かれたもので、ee・カミングスの詩に曲がつけられている。使われている打楽器は、2個の大きなトムトム(最初はティンパニのスティックで、のちには指で打つ)と、少な<とも直径24インチはある、中国のドラ。

 “Experiences no. 2
 ee・カミングスの“Sonnets-unrealities of Tulips and Chimneys”のひとつ、Vをテキストにしている。最後の2行は省略。
 他の行や詞は、くり返されたり、原詩とは違う順序で使われたりしている。

 “The wonderful window of eighteen springs
 (この歌の詞は、ジエイムス・ジョイスの「フィニガンのめざめ」556ぺージの改作)

 “Forever and sunsmell
 タイトルとテキストは、ee・カミングスの“50poems”(1940)中のひとつ、“26”、による。いくつかの詞と行は省略。そうでない部分は、原詩とは違う順序で使われたり、くり返されたりしている。ハミングや声は(詩の一部ではなく)加えられたもの。

 

JAN STEELE
 
195011月8日、バーミングム生まれ。ギルドハム音楽学校で、,ホール・グリフィスに、後にはエイヴリル・ウィリアムに、フルートを学んだ。1969~70年、ロンドン大学キングス・カレッジで、1971~74年、ヨーク大学で音楽を学んだ。
 現在、ベルファーストのクイーンズ大学社会人類学部にて、ジョン・ブラッキング教授の下で民族音楽学を研究中。

 

RICHARD BERNAS

 1948年、マツハッタン生まれ。1966年から、新しい音楽の演奏に手を染め、Gentle Fireのメンバーでもあった。ピアニストとして、ジョン・ケイジとレジャーレン・.ヒラーのHPSCHDの初演に参加し、カニンガム・ダンス・カンパニ一と共演。1973年、ワルシャワ・フィルハーもニックにて、ヴィトールド・ロウヴィックの助手をつとめた。
 
1976年3月10日、指揮者としてロンドンでのデビュー。Saltarelo聖歌隊を指揮して、バッハ、ブルックナー、シェーンベルグ、シュトックハウゼンを演奏した。EMIDGG Electrola でレコーディング。ダーティンガム・サマー・スクールで、ゼミナールを持った。

 

ROBERT WYATT

 いわゆる第二次世界大戦終結の年に生まれた。母親はジャーナリスト、父親は産業心理学者。音楽に手を染める前の活動は、フォークストン付近Lyminge Forest の伐.採と焼却や、カンタベリー芸術大学でのモデル業や、カンタベリー・イースト駅での郵便袋のつみこみ作業や、ロンドン経済大学での清掃業等。

 

CARLY BLEY

 ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラの共同創立者であり、チャーリイ・ハイドン、トニイ・ウィリアムズ、イーヴァン・パー力ー、ロバート・ワイアツト等への作品提供者である。彼女のアルバム、“Tropic Appetites”“Escalator over the Hill”“13 and 3/4”は、その作品の多様性をよく表し、また、ジャズ・クラブでのタバコ売りから、Guggeheim 将学金を受けるまでの広範囲かつ多様な経歴にもよくマッチする。

 

 

 OBSCURE bU  MICHAEL NYMAN  “DECAY MUSIC

 

decay music.jpg (2826 バイト)Side
1 - 100
■マイケル・二ーマン:ピアノ
Side
Bell set no. 1
■ナイジェル・シップウェイ、マイケル・二ーマン:パーカッション
■プロデュース:ブライアン・イーノ 1976


6.jpg (36957 バイト) “1−100”は、19751219日に、友人のピーター・グリーナウェイのフィルムのサウンド・トラックとして書かれた。このフィルムは、ロケや合成で撮影された、1から100までの数字を、その順序に従って編集したものである。グリーナウェイは、この累積してゆくプロセスに合致する音楽を、この算術的な連続をうまくまとめるリズムを要求した。
 この、単調に累積してゆく、という考えは私の興味を引き、また、この撮影された数字は、より広範な「関係」システムヘと進んでゆくような“付随的な”イメージを多く含んでいたので、私は以前の作品の体系化を思いついた。その頃、私は偶然、Blue Danube Waltz(美しき青きドナウ)を調べるはめになっており、この曲の最初の楽章の小節数をいささかうんざりしながら数えていた。驚いたことに、それはきっちり、100小節であった。このことで、私は、次々と小節をつなぐことで作品を組み立てる、というアイデアを思いついた。最初は1小節、次は2小節、その次は3小節、というように。100小節の構造が完成するまで続ける。しかし、この方法では、フィルムの長さをオーバ一してしまう。(で、これは、グリーナウェイの他のフィルムのサウンド・トラックになった。)
 私は小節という考えを捨て、同じことを和音でしようとした。しかし、これもまた長すぎる。そこで結局、100の和音はそのまま使うが、各々、順々に一度だけづつ弾くようにした。
 “1−100”、では、私は、19とか、1019といった数字に相当するように、特別の方法を考案した。
 すなわち、最初の「セクション」は、3和音(トライアッド)と長7度を交互に並べる。1019は、7度のひとつづき。2029は、7度と9度。というように。全体的には、159は、主として長7度を基にした和音によって成り立ち、後の部分は、短及び属7度、9度、11度、を主(メイン)として成り立っている。
 演奏の手順も、これと同じように、数の累積に一致するようにデザインされている。それは和音の濃度(ピアノの音域の高いところからスタートし、段々と低い方へと進んでゆけば、和音は自と、しだいに「濃く」なってゆく。)と単調さ、である。
 この、レコード版、“1−100”、は、4つの異った解釈を含んでいる。

 “BELL SET bP”は1971年6月に作曲され、これもまた、段々と引きのばされてゆく「崩壊」をフューチャーしている。
 しかし、今度は、主観的ではな<、あらかじめきちんと区分され、前もって決定されている。
 この作品はもともと、1970年にトルコで集めたベルの特性を利用しようという意図を持つものだった。この作品が用いている、精密で数学的なシステムは、2つの主要な特色のあるベルの音を聴かせるためにデザインされた。−−−2つ、というのは、その鋭さと持続時間の長さ、である。私の意図は、ひとつのベルから、他のベルヘと、その重さを段々に移し変えてゆくことにあった。
 そのため、私は、あるリズム原理を案出した。これは、組織的に、四つの独立したリズム構造にあてはめられ、(その4つは)各々、速くはじまり、段々とゆっ<りになってい<。各々のリズム構造は、最初から最後まで変化することのない、ある単位の囲りに、対称的に八分音符を加えながら大きくなってゆく。
 最初の構造は、中央の8分音符を(ひとつ)含む、3拍のリズム。2番目の構造は、中央の4分音符を含む、4拍のリズム。3番目は、中央の付点4分音符を含む、5拍のリズム。(図を参照されたし。)4番目は、中央の2分音符を含む、6拍のリズム。最初、これらの「中央の」音符は、両側に8分音符を持ち、外側の音符は、定期的に加えられていく。8分音符、また8分音符。各々のリズム・ユニットは、演奏者が自分の判断で次のものに移動するまで、何度でもくり返される。
 “BELL SET bP”は、1973年、ロンドンのコックピット・シアターで初演された。後に、これはべつにベルに限らな<てもよい事に気づき、従って、鋭い音と長い持続時間を持つ金属性の楽器なら、何を用いてもよい事になった。このレコーディングでは、ベル、トライアングル、ゴング、シンバル、タムタム等を使つている。

 

  MICHAEL NYMAN

マイケル・二ーマンは、1944年3月23日、ロンドンに生まれた。ロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックで、優等賞を授与された。彼はここで、ピアノとハープシコードと作曲を、アラン・ブッシュに学んでいた。後に、大学院でサルストン・ダートに音楽学を学び、1965~66年まで、ロマニアで、民族音楽のコレクションをした。1968年、スペクテイター紙の音楽評論に手を染め、その頃から定期的に、あるいは機会あるごとに、より広い範囲の新聞や雑誌に、新しい音楽についての評論を書き、現在、スタジオ・インターナショナルに、実験音楽についてのコラムを持っている。その著作には、The first unexpurgated edition of Percell`s complete Catches (galliard)、a critical edition of Handes's Coneti GrossiOp.6(Eulenburg)、the libretto for Harrison Birtwistle's chamber opera “Down by the Greenwood Side”(Universal1971Bentham and Hooker (Bean Geste Press1973) Experimental Music ----Cage and Beyond (Studio Vista1974)がある。彼の作品は、Experimental Music Catologue から出版されている。
 彼は、その共同編集者でもある。最近、サウンド・トラック“Keep it Up Downstairs”を完成。
 (EMI)彼は、スクラッチ・オーケストラ、ポーツマス・シンフォニア、フォスターズ・ソシアル・オーケストラのメムバーであり、スティーヴ・リーチ&ミュージシァンズやミュージック・ナウ・アンサンブルと共演したことがあり、最近結成された、まだ名前のない、五人編成のキーボード・グループのメムバーである。また、トレント工芸大学(ポリテクニック)美術学部の、講師でもある。

 

 

OBSCURE bV SIMON JEFFES  “MUSIC FROM THE PENGUIN CAFE

 

music from the penguin cafe.jpg (2394 バイト)Side
Penguin Cafe Single
Zopf
a.From the colonies
b.In a Sydney hotel
c.Surface tension
d.Milk
e.Coronation
f.Giles Farnaby's dream
g.pigtail
Side

The sound of someone you love who's going away and it doesn't matter
Hugebaby
Chartered flight

Penguin Cafe Single”■ペンギン・カフエ・カルテット(緑の服を着た四人の音楽家)■ヘレン・レイブマン:セロ■ギャヴィン・ライト:ヴァイオリン■スティーヴ・ニィ:エレクトリック・ピアノ、エンジニア■サイモン・ジエフス:エレクトリック・ギター
ZOPF”■サイモン・ジエフス:ギター、べ-ス、ウクレレ、クァトロ、スピネット、エレクトリツク・ピアノ、マウス・パーカツション、ヴォーカル、セロ、リング・モデュレイター■ヘレン・レイフマン:セロ■ギャヴィン・ライト:ヴァイオリン、ヴィオラ■ニール・レニィ:ウクレレ■エミリィ・ヤング:ヴォーカル
■スティーヴ・ニィ:ミキシング■コンポーズ:サイモン・ジェフス■プ□デュース:サイモン・ジェフス、スティーヴ・ニィ■1974~76年に録音■“Milk”以外の詞は、二ール・レニィによる。“Milk”は、ジャケットの絵も描いた、エミリィ・ヤングの選による。■1977

 

 


  

 

machine music.jpg (2486 バイト)OBSCURE bW 
 JOHN WHITE / GAVIN BRYARS  
"MACHINE MUSIC"
 

Side.1
john white
Autumn Countdown Machine
Son of Gothic Chord
Jew's Harp Machine
Drinking And Hooting Machine
Side.2
Gavin Bryars
The Squirrel And The Ricketty Racketty Bridge
Produed By Brian Eno 1978

 


 

OBSCURE bXirma.jpg (2444 バイト)
"IRMA. AN OPERA BY TOM PHILLIPS"
1978
An Opera by Tom PhillipsFred OrtonConducted by Gavin Bryars
Side.1
Introduction
Overture and Aria
(
I tell you that's Irma herself)
First Interlude
Side.2
Aria
(
Irma you will be mine )
Second Interlude
Chorus(
Love is help mate)
Postlude
Produced  by Brian Eno 1978

IRMA”は、WH・マロックによるヴィクトリア時代の小説に基づくオペラである。作曲はトム・フィリップス、ギャヴィン・ブライアーズ、台本はフレツド・オートンによる。指揮はブライアーズで、サイド1で、<Grenville>役を担当するハワード・スケムプトン、サイド2で、〈Irma〉役を担当するルーシー・スキーピングの声がフィーチュアーされている。ブライアーズとサイモン・ジェフス(ペンギン・カフェ)はロンドン周辺で演奏活動を行なっているが、オブザーヴァ一紙にブライアーズの音楽のユーモアと優しさを指摘した好評が載せられた。

 


 

the pavilion of 2.jpg (2127 バイト)the pavilion of dreams.jpg (2853 バイト)

OBSCURE 10 
HAROLD BUDD  "THE PAVILION OF DREAMS"
1976

      


  みんなの進歩とインスピレイションに感謝しつつ。

ブライアン・イーノ

 

 

 

and ……

 

 

 

PORTSMOUTH SINFONIA    

 

PORTSMOUTH SINFONIA “Plays the Pupular Crassicsportsmouth.jpg (8609 バイト)
Kc 33049 (Columbia)
side 1
From Peer Gynt Suite N0.1
From The Nutcracker Suite
Fifth Symphony in C Minor, Op. 67
William Tell Overtre
side 2
Also Sprach Zarathustra,Op.31
Blue Danube Waltz,Op.314
Suite N0.3 In D Major L'arlesienne Suite No.2
The Planets,Op.32
Sound Production:Brian Eno
Excutive Production:Robin Mortimor, Victor Schonfield



The Portsmouth Sinfonia hallelujah.jpg (4407 バイト)“HALLELUYAH”
TRA 285 (Transatlantic)
side 1
Mr.Michael Bond's address From The Nutcracker Suite, Op.7la
From The Karelia Suite. Op,17

iano Concerto No.1 in Bbmiror,Op.23
side 2
Overture 1812
William Tell Overtnre
From The Messiah (Part ll)


 

PORTSMOUTH SINFONIA “Plays the Pupular Crassics

 ポーツマス・シンフォニアのメンバーは流動的だが約50人である。このシンフォニアには様々な能力の持ち主がいて、ある者は初めて難しい楽器を手にし、ある者はかなりの能カがあり、という風に。この様な状態からとても普通では考えられない、ユニークな音楽ができあがる。ささいなミスが逆に重要視され、それが音楽の一要素となるような。このオーケストラの一番の特徴は、すべてのメンバーが正確な演奏を望んでいる、ということだ。ある者は、新メンバーの殺到やポピュ一ラーを避けてさらに高度なものへ目を向けるというプロフェッショナルのやり方は、私たちには永遠に理解できないと言う。
 私は2つの点からこのシンフォニアにインヴォルヴされる。ひとつは、私が正式な音楽の勉強をした事がないという点で“ノン・ミュージシャン”であること。そしてもうひとつは、ロック・ミュージックやアヴァン・ギャルド・ミュージックを支えて来たのは、道楽半分の人々と熱狂的なアマチュア達だ、ということ。彼らの強みは予測し得る解答、音楽の可能性に対する偏ったコンセプトを持ち合わせていないことである。だからこそ音そのものにダイレクトにアプローチできるのだ。そして、組織的な行動の中での一アクシデントはおおいなる魅カとなる。
 ヴェートーヴェンも、他の作曲家と同様に自分の作品が音楽に関して似たような方向性を持つオーケストラのメンバー違によって演奏される事を楽しんだ。
 そして彼が私たちの第五を楽しめるかどうか、私たちは永遠にわからない。

 

Brian Eno 
Sound Producer
 

 

The Portsmouth Sinfonia “HALLELUYAH”

 音楽に対する情熱の心を持ち合わせているすべての人達は、実際に演奏を始め、オーケストラの一員として演奏することの困難に直面するだろう。同様に何とか聴衆を得ようとするオーケストラもロイヤル・アルバート・ホールの傾向に合わせて長時間演奏することがその何百倍の困難であるかに気づくのだ。
 1974年528目に録音されたこのアルバムだがこの日はシンフォニアにとって運命的な、記念すべき日となった。シンフォニアにとってだけではなく、4つの新しい曲がレパートリーに加えられ、さらに初めての試みとしてコーラスとピアノ・コンチェルトがプログラムに組み込まれたのである。このハレルヤ・コーラスは100人のシンガーで歌われるものだがこの日のコンサートでは350人もの人が加わった。シンフオニアのメンバー、82人にこれだけの人々が加わり、おびただしい程の人聞が集まった。この人数で一時は騒然な状態となりかけたが、素晴らしい指揮者、マイ・ケル・パーソンズ氏がうまくコントロールしてくれた。彼は私達の行なった完壁なクラシック質の実験に喜んで協カしてくれたのだ。
 この日は確約を果たす為の日であった。私たちの感動は誰の目にもわかる明確なものであった。場の雰囲気にそぐわず、立ち去った人は数えるほどだった。サリー・バインディング嬢の弾くチャイコフスキーにのせた、マイケル・ボンド氏の完壁なまでのアナウンス、1812年の序曲、そして、荘厳な、本当に素晴らしいクワイヤー。

 

Brian Eno 
Sound Producer

 

 

CHOLAGOGUES

 

FIGUERAS TOOP BURWELL
CHOLAGOGUES
 BEAD 6

Recorded1977 London

 

 19774月1日金曜日、ロンドンのAction Spaceにおける JDrewシリーズの期間中にデヴィッド・トゥープがソニーTC146Aカセツトで録音したもの。またその晩に Garry Todd Nigel Coombes デュオ、そして Reindeer Werk もパフォーマンスを行なった。このアルバムはこの3人組にとって最初でおそらく最後になるであろうものだ。デヴィド・トゥープとネスター・フィガラスは the Festival of the Audience の時に行なわれた EARthZOO とAction Space のパフォーマンスで以前デュオを組んだことがある。このフェスティバルは19761127日に開催された。背景に流れる騒音 ----- 車が通りすぎる音など ----- これらは実際の音とほぼ同じレベルでとられた。その他の騒音はパフォーマンスの時に、カバーを楽器からはずす音、そしてデヴィッド・トゥープがマイクロフォンをたおす音などが含まれている。

Nestor Figueras:ムーヴメント、呼吸、ヴォーカル音、身体パーカッション。
David ToopC・フルート、アルト・フルート、水笛、フルート、角笛、角トランペット、風船、輸竹鳥笛、ピストン・フルート、Stopped andblown flutes、バスク・バンパイプ、ニュ.ーギニァ秘伝のフルート、犬笛、メタル、弓。
Paul Burwell:ドラムス、シンバル、木片、ゴング、キージー、平竹トランペット、鹿の角バイオリン、一弦バイオリン、飛行機ガーター、水、弓、犬笛。

 

 

HAROLD BUDD

 

hb.jpg (2948 バイト)HAROLD BUDD
 FGR 16 (Advance

Side.1
Cheur Dorr
Side.2
The Oak The Golden Dreams


Coeur D'orr 

  1969年、彫刻家 Eric Orr の為に作られた2つのオルガンのテープは19704月にDorrance Stalvey と Robert Chadwickの援助により、Immacuate Heart College でレコーディングされた。その2つのトラツク、Dフラットのメジャー(キャンディー・アップル)Bメジャーのものは別々に録音され、立体音響的なプレイバックが性急なスカラ・パッセージの感覚をひきおこし、すばらしDフラットを作り出している。Charles Orena 、ソプラノ・サツクス奏者だが、19705月カリフォルニア大学で初めてのコンサートを行なった。Santa Barbara これは 197112月ロサンジェルスでKen Hellerによって録音された。

The Oak of Golden Dreams

 カリフォルニア・インスティテュート・オブ・ジ・アート、Burbank において1970 Buchla Electronic Music System を実施、唯一のパフォーマンスはマグネティック・レコーディング・テープに関係している。最高音部のチュー二ングは実際に耳で聴いて行なわれ、モフラットの1,3,4,5,7となった。この曲はあるシリーズの中の最後の一つで1966年初頭、Noyoと共にカリフォルニアにちなんで名づけられた。続くBoonville1967年、California991969年、2nd Healdsburg Plum は1970年 の作品。

 

 

 


(hataeno)

“HALLELUYAH”はホントに笑える