More Dark Than Shark
but one deadly fin   1 2

Brian Eno : Russell Mills

 


 

 詩人ボードレールはかって、芸術作品に対する最も真正な反応、つまり最も純粋な批評活動とは、異なるメディアを用いて、第二の別の芸術作品を生み出す事だと、述べた。詩とは、美しい絵の本質を解釈し、伝達する合理的な分析以上のものを備えているのだ、と彼は論ずる。イーノの音楽と詩に対する、自らの強迫観念を限界まで、追求していくうちに、ラッセル・ミルズ(イラストレーター、画家)も、そのようなことを企てるに至った。彼が、複数のメディアにまたがる作品に取り掛かっていた2年間に、38の歌からずっと多い57の独立した作品が生まれた。だがミルが努力しても、不可解な謎が消耗され、弱められ、説明され尽くすというには、ほど遠く、一つの謎が単に別の言語で、再び定式化されただけであった、翻訳の過程において、イーノの神秘的なテキストの力は、一層堅固になり、強められるのであった。

 1973年に初めて 「Here Come The Warm Jets」 を聞いた時に、この曲によってもたらされた「(聞く者を)まごつかせる」効果についてラッセル・ミルズはよく語っている。「私にとって、これはブロックの角で鼻柱を殴られたのと同じ様な、失神させられる程の効果を持っていました。」と彼は言う。このアルバムは、ミルズの見方によると、音楽シーンにおいて興味ある事が、殆ど何も起こっていない時に、やって来たのだ。その頃は、一方では、取るに足りない無意味なポップス、他方では、極端なコンセプトアルバムの時代だったのだ。その時代のバンドの中でただ一つ、ミルズはアートロックバンド、ロキシーミュージックを賛美していた。そして、特にイーノを。彼はバンドの中の真の触媒として、ミルズの注意を奪ったのである。「Here Come The Warm Jets」 における、でたらめな実験で明らかにされたのだが、ミルズはこのアーティストの内に、共通する精神を発見したのだった。

 

 私には、そのアルバムが、新たな視点を得られるかどうかは、危険を受け容れる能力いかんであることを明確に説明している様に見えたのです。仕事をする時の方法の一部分として、危険を受け容れるのを厭わないことは、私が映像における活動に於て、同様に試みていた方法と、非常に近いものでした。

 

 結論がでずじまいで終わった、アイランドレコードとEGマネージメントヘの訪問の後、ミルズは、イーノのアルバムカバーをデザインできる可能性について話し合うために、注意深く言葉を選んで書いた手紙を、自分の作品例を添えてイーノ本人に送った、1974年の事である。手紙がイーノのもとに届くまでに、長い時間がかかったが、偶然の取り合わせで、イーノがミルズをある日の午後、王立芸術学院(ミルズはここでイラストレーションを学んでいた。)に訪ねる事になった。ミルズはイラストレーションヘのアプローチについて話し合った事や、イーノが作品の背後にあるプロセスを尊重していた事などを覚えている。再会の約束をしたにも係わらず、その場で、コラボレーションの話は出なかった。1976年の秋、彼が大学の三回生の時までに、ミルズは自分の最終学年の計画として、イーノの曲を描こうと決定していた。

 

 私は3年の間、複数のメティァに渡った作品を作ってきました、しかしそれは、とても試験的で、ぎごちないものでした。私は、自分が作品を作る時のプロセスに、より多くの自由を得ていると感じてはいましたが、何か本当に確かなものも必要としていたのです。ただ私は、他のやり方を考えねばならないとは、思っていませんでした。ブライアンの詩と音楽は、自分が扱うべき最も明白なもののようでした。それは単純に、それらが、とても多くの脱線や、自分が常日頃から、辞書に載っている定義とは異なり(その定義には、描写すること、明らかにすること、装飾することとあるのですが、)、イラストレーションとは実際には、こうなのだと考えているようなやり方で、仕事をする機会を与えてくれるためです。ブライアンの話と音楽にかんして、私には、そこに戦略を立てる余地がある様に見えます。それは、とても柔軟であり、あらゆる所にアイデアを反映させるのです。

 

 時々、ミルズとイーノは計画の背後にあるアイディアについて議論した、そして、ミルズは伝統的な、イラストレーションヘのアプローチの限界に対する彼の見解を再び述べた。1976年12月に、イーノはミルズに4つの歌のバックグラウンドとなった素材を送った、その歌とは「The Paw Paw Negro Blowtorch」、「Driving Me Backwards」「The Fat Lady of Limbourg」「The Grate Pretender」である。同封の手紙の中で、イーノはこうコメントしている。

 

私はこれらの演奏が、もっと特殊でないことを残念に思います。しかし、私の言葉のほとんどは、あなたの絵の中にある仕掛けのような何かに、いくらか似たものです。それらは特別な意味の為にあるのではなく、それらが(ある部分は不調和によって、ある部分は明白な適切さによって)生み出す、一種奇妙なムードの為にあるのです。

 

 イーノはこの計画が、後の数ケ月の間に進展しているのを、主に手紙や電話を通じて知ってはいたが、ミルズの努力の全体像を見たのは、ミルズの学位取得時の、RCAにおける展覧会(1977年夏)が初めてだった。過去3年の間に作成した、学生としての作品の横に、ミルズは、20のイーノを解釈した作品を展示していた。その展覧会で見たものに刺激されて、イーノは翌日、当時マネージャーだったデビッド・エンソーブンを伴って再びやって来た。彼もまた作品を気に入った、そして、彼等は共にミルズに対し、本を刊行するつもりで計画を継続すべきだと提案した。この後すぐに、ミルズは有名なイーノのノートの最初の委託を受けた。その次のノートは1978年の夏までの期間に渡っているが、それは後にプロジェクトの半ば頃に続いて送られた。何年もの間、イーノのノートは(ミルズはそれを、どこへ行く時も持ち歩いていた。)、深い思索の源泉であり続けている。ただし、その殆どは見当違いであったが。何人もの批評家が、ジャーナリスティックな激しい誇張で、このノートをレオナルド・ダ・ビンチのものに喩えた。

 真実はこうだ。つまり、イーノのノートはそれ自身で充分に意味を持っており、この種の誇張は必要ないのである。ノートのぺージには、図表やメッセージ、ジョーク、絵、アイデア、教訓、アナグラム、アフォリズム、そしてイーノの「素人数学」などがひしめきあっている。歌詞は延々と筆記され、途切れ、そして手を加えられている。スタジオの器材が記入され、夢が記録され、ショッピングリストが挟まっている。また、天気図が描かれている。自伝的告白の断片が、風景の描写とごっちゃになっている。理想の生活や仕事の環境が視覚化されスケッチされている。人々や場所やでき事についてコメントがある。しなければならない仕事や読むべき本、録音すべき歌のリストがある。尊敬している書き手、ワディントン、トルンパ、ビア、ペックハムからの引用のぺ-ジで、イーノはアートや音楽、遺伝学そしてサイバネティックスについてのアイデアを模索している。それらのアイデアはエッセイやレクチャー、そして自身の作品の実践の中で表面に出てくるのであろう。

 

 


 

 

 

 

The True Whee

 

 

私達は801
私違は中心のシャフト

そして私違はここにいる。あなたたちに利用させるために
私違が船を持っていないことを
ある通りには、ある角がある
おそかれ、早かれ、私達はあなたの街の通りにも現われるだろう

私違は801
私違は中心のシャフト

そして、こうして私達は2年間かけて海を渡った
小さな舟の中で(漕いで、漕いで、漕いで)
今私達は、電話機の前に居る
最後の準備をするために

私達は801
私達は中心のシャフト

一定の割合を捜せ
    誰かがカーペットの下に置いていったに違いない
ラジオの上や下を捜せ
オー今はここには何もない

一定の割合を捜せ
誰かが、駐車場にとまっているのを見た者がいると言っていた
ラジオの上や下を捜せ
オー 今はここには何もない
ロデオをしに戻ろう
アーアーアーアーもう嫌だ

私違はテーブル、船長のテーブル それを理解せよ
それを理解せよ
私達は失くした者、私達は乗組員それを理解せよ
それを理解せよ
私達は晩餐、最後の晩餐 それを理解せよ
それを理解せよ

たいていの者は鋳掛け屋だが、中には仕立て屋もいる
そして私違は燭台と、多くのカクテルスティックを手に入れた
私たちは恋人たちを見た、現代の恋人たちを彼等はとても善良そうだ
彼等は出来るかのように見える
私達は隣人、うるさい隣人 私達はあなた達とまったく同じように考える
私達はあなた達と同じように考える

 

 

 

The True Wheel

 

 このトラックは一つの夢から始まった。私はニューヨークのドレイクホテルに、ランディ一・Nと呼ばれている少女と共に滞在していた。私は、彼女と少女たちのグループ(Randy and The Pyramids)と、歌を唄っている少年たちの夢を見た・・彼等は宇宙飛行士の類であり、心理学的な航海者の側面を全て備えている。

 この歌について、二つ面白い事がある。一つ目は、循環するスタイルで構成されていることである。歌の主な部分は、四小節内で循環して動く、三つのコードの連続である。それは次の様なパターンである : 123123123123123123123123etc.このため、この歌は奇妙なスタイルを強いられている。隠された二つのギターフレーズが曲の始めにあって、その意味を明らかにするのである。また、最後のギターソロもまた環になっている。このギターには特殊な処理がしてあり、調和したり、ずれたりしながら、循環しているのだ。もし、それをモノラルで聞いたとしたら、そこに、ギターの消滅しつつある音を見出すことになろう。循環の効果はヘッドホンにおいて、最も強く発揮される。

 この歌に関して、もう一つ面白いことは、カバラ(ユダヤ教の神秘的聖書解釈法)との偶然生じた関係である。歌を書いたあと随分してから、発見したことだが、801という数字は、カバラにおける「アルファとオメガ」または、「始めと終わり」を意味しておりこの本質は循環のコンセプトなのである(例えば、始めと終わりの同一性。)。それは、私の好きな「鳩(聖霊)」のことでもある。801という数字は、興味深い別の意味も持っている。カバラに於て、22枚の力一ドは、それぞれが生命の樹の間の小径で休息している様を描くように、並べられている。小径は、それぞれ数字を持っており、さらに、おのおのの数字は、大アルカナ(タロットには、大アルカナ、小アルカナの2種がある。)のタロットカードの中の一枚に対応している。801の小径はピラミッドを描いている。そしてピラミッドの個々の面は、「力」、「道化」、「魔術師」である。

 私は、何も特別な解釈をして、上記のことを述べるのではない。ただ、ある種の好奇心をもってするのである。そこから、あなたは望むものを作り出せばよい。ただ私は、生命の樹に対する隠された関係が、誤って受け取られないよう懸念するだけだ。明らかにアメリカでは、801が、Eight(8)、Nought(0)、One(1)に由来しているという噂が、優位を占めている。このスペルの頭文字は……。実に独創的だ、と私は思う。そんなことは、思い浮かべもせずにいたのだが。

 

Brian Eno

 


(hataeno)

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