MAIN STREAM

Vol.3  1977

 

 

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AIRMAIL


11月のはじめのある日、突然、エア・メイルが届きました。消印はChelsed ???

以下、 Brian Eno 本人からのメッセージです。

手紙とmagazine(注:メインストリームのこと)をありがとう。
原文はほとんどわからなかったけれど本当に面白かった。
これからもこのmagazineを発行し続けていけるように、もちろん外のこともみんなうまく行くよう祈ってる。
できればあなた達のクラブを手伝ってあげたいし、喜んで“公認”するよ。
もう知っているかも知れないけれど、イギリスにもファン・クラブがあるんだ。
“Enovations”という名前で、そこから発行されている資料をあなたも手に入れたいだろうと思う。あなた方自身で使えるように、ね。
今まで発行したものをそちらに送るよう秘書に行っておくよ。

以下略


 というわけで、彼の秘書の Mr.Peter Ledy の住所まで教えてくれて、何かあったら彼に手紙で連絡したらよいそうで、こんなに親切な返事をもらえるなんて…。資料は着き次第、MainStreamに掲載しますので楽しみにしていてください。
 イギリスの“Enovations”がどんな活動をしているのかは本当に興味あることで、こちらもがんばらなければ行けません。

 

 

■ENO青春物語 U

 

 恵まれた学生生活は長くは続かなかった。イーノは美術資格免状を取得し、1969年にウィンチェスターを卒業するとロンドンにやってきた。最初はスパイタルフィールズに、その後はカムバーウェルに住んだが、財政的に苦しくアーティストとしての活動を続けるかたわら、彼の電気的、機械学に関する専門知識をたよりとして儲けの良いエレクトロニクス機器の販売までやらなければならなかった。彼はアーツ・ラボなどでオリジナル音楽のコンサートを行ったりしたが南ロンドンにある某新聞社のデザイナーに雇われ(これが彼のこれまでの人生を通じて唯一の会社勤め)、サイバネティックスへの関心を新たにした。
 ついに彼はアンディー・マッケイに出会う。アンディー・マッケイはすでに前衛音楽家として相当の評価を得ていた。そのマッケイからシンセサイザーを借りたことがきっかけとなり、当時は画学生であったブライアン・フェリーとも関わりをms3c.jpg (41385 バイト)持つようになる。1971年1月、イーノは“サウンド・ミキサー兼テクニカル・エキスパート”としてロキシーミュージックに迎えられた。この頃のロキシー・ミュージックはまだメンバー編成の段階でイーノのカンバーウェルのスタジオなどを利用して、フェリーのオリジナルばかりを1年近くリハーサルし続けたのちメンバーを決定した。1972年になり、アイランド・レコードとの契約を完了させると彼らはこの年の5月、初のLP“RoxyMusic” をひっさげてイギリスのロック界に突然その姿を現し、数ヶ月で驚異的な成功を収めた。
 イーノがロキシーに加わったのは、バンドの大きなねらいの一つがソフィスティケイトされた視覚的演出を加味して今までのスタイルと革新的なテクニックとを総合することだったからだ。この考えの中にあった知的で審美的なねらいは、まさにイーノの考えていたものと、ほとんど同じだったのである。“bona fide rock 'n' roll ” (真実のロックンロール)に欠かせない電子楽器、それを扱うイーノの奏法(奏法というべきか?)はオリジナリティーの高いものとして絶賛された。しかし、彼は外のロキシーのミュージシャンのように“絶対に必要なバート”を占めてはいなかった。デビューシングルの“ヴァージニア・プレイン”の成功でグループに対する崇拝は10代のアイドル・イーノのスター化へと変わった。テクニシャンの彼はステージでのセクシーな中性的ポーズや、マスカラや孔雀の羽根飾りなどで着飾ったスタイルで聴衆を魅了するマジシャンとなってしまった。
 1973年5月、2枚目のLP“For Your Pleasure”がリリースされたがイーノは音に関してのリーダーであるブライアン・フェリーとの衝突で自分が束縛されているように感じ始めていた。フェリーは彼自身の作品を磨き、音を巧妙にしようとしている反面、イーノはアイディアの流動の維持ということを支持していた。バンドはバランスの崩れたまま険しい崖に突き当たってしまった。また内省的なフェリーは、報道陣がみな写真うつりの良いイーノを撮りたがることなども気に入らずどこかでイーノに恨みを持っていたのだろう。レコードは残らずヒットし、コンサートホールは常に満員、評論家達からの代喝采とロキシーミュージックには前途洋々たる成功がまだ待ち受けているという中、奇怪なグループの中にあって、もっとも奇怪なるメンバーだったイーノは事情もはっきり瀬沼間、1973年7月21日、正式にロキシーから抜け、自らの道を求めてソロに転向した。一つだけはっきりしているのは、この7月21日の夜、彼はデビューソロ・アルバム“Here Come The Warm Jets”に使う作品を2曲ばかり書いたということである。

 

 

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裏表紙

 B5/16ページ/手書き

 

 


 

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Vol.3  1977

 

■ 投稿

■イーノ インタビュー ROLLING STONE 誌74.12月号より転載

■ニコ インタビュー 

■会員名簿  bQ7〜46

■インフォメイション

and…

 

(提供:hataenoさん)


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