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interview 1990


 

ブライアン・イーノが昨年に引き続き来日、“トヨタオートサロン・アムラックス東京”にてAVインスタレーションを行った。イーノは最近、ジョン・ケールとの共作アルバム『 Wrong Way Up 』を完成したばかりだが、何とここでは彼自身が素晴らしいヴォーカルを披露している(イーノの歌は77年の『 Before And After Science 』以来のことだ)。この新作に関しては、事前に彼の希望によって質問項目から外さなくてはならなかったが、彼が僕と通訳の池田さんのことを覚えていてくれたこともあって、インタヴユーはとても和やかな雰囲気の中で行われた。



お帰りなさい(笑)。

 

元気だった?今君たちが入ってきた時にすぐ解ったよ。

 

どうもありがとう。では最初の質問ですが、まず今回のインスタレーションでは、複数台のプロジェクターを使ってスライド映像が重層的に重なり合うという大きな作品が特に興味深いと思いましたが、あの作品のアイデアはどこから生まれたのですか。

 

実はやりはじめたばかりの試みで、スライドを使うのもまだ2回目なんだ。1回目はイタリアでのエキシビジョンだったんだけど、それはある公園に面したビルの7つの窓に作品を展示して公園から観てもらう、という形式のものだったんだ。色々考えたあげく、各窓にスライド・プロジェクターを2台ずつ設置して、画像を窓に交互に映写するというアイデアを思い付いた。それで向こうに着いてから準備を始めたら10分後に"こりゃダメだ〃と思って
ね(笑)。私の想像通りにいかないし、全く気に入らなかったんだ。で、一旦全て取り外して無造作にプロジェクターを並べ、もう一度映写してみたんだけれど、今度は計算した位置よりもズレて画像が重層的に重なり合った。“これは面白い”っていうことになって、今度は意図的にプロジェクターの位置をあれこれ変えて様々な合成画像を映し出すことを考え始めたんだよ。これが今回のあの作品に至るいきさつなんだ。



実際にはどのようなシステムになっているのですか。


2台1組のプロジェクターが5セット、つまり合計10台が設置され、各台にスライドが10枚ずつ入っている。これらをコンピュータ・プログラミングによって動かし、それぞれのプロジェクターがライトの強弱でフェィド一イン、フェィド・アウトを交互に繰り返す。それら5組は全て違う速度でその動作を行なっているので殆ど無限に近
い組み合わせが可能なんだ。

 

また、会場内で流れている虫の声や川のせせらぎといった自然音、いわゆるアンビェントなサウンドもそれらの画像と重なり合ってると思うのですが、こうした、“層を重ねる”ということが現在のあなたの作品のコンセプトになっているのではないでしょうか。

 

私が興味あるのは、様々な要素が絶え間なく常に違う組み合わせで結合してゆくという状況なんだ。だから、作ったら作ったままの何の変化もなく存在し続けるものよりも、観るたびに違う組み合わせや印象を持つものを作っていきたいんだ。つまり素材は同じだが、それらの組み合わさり方が常に違う、という。君や私の日常生活と同じようなものさ。実際そこに存在しているのは、同じ住人、同じ街並み、決まったパターンの天気なのだが、それら全ての組み合わせの違いで毎日が別の違う一日になっているのだろう?私はそういうコンビネーションの変化に今凄く興味があるんだ。

 

今回の展示作品にしてもそうですが、あなたの全ての作品に感じられる緩やかなタイム・スケールというのはどこから生まれてくるのでしょう?



おそらく2つのメディァを組み合わせようとする試みから生まれたものだと思うよ。一つは音楽で、もう一つは絵画。絵画というものはもの凄くゆっくりとしたタイム・スケールを持っいるよね。要するに、それは私達にとって“静止(Static)”なんだ。私達が生きている間は全く変化しないわけだから。逆に音楽というものは常に変化している“動(Dynamic)”であって、私としてはその両極端の中間に位置する音楽なり絵画なりを作りたいんだ。例えば……そう、公園。公園のような作品を作りたいね。毎日の天気や季節によって常に変化しているが、いつもそこに在る、という……。

 

これは私の感想なのですが、あなたの作品はまるで“気象”というか、“天候”を作り上げる作業に近いと感じましたが。

 

それは嬉しい。有難う。確かに“天候”を作るというのは、常に私の頭の中に在るアイデアだよ。今回のスライド・プロジェクションに関しては、まだやり始めたばかりなんだが、そこには無限の可能性が秘められているように思う。ねえ、ちょっと書くものを貸してくれないか。私が今構想中の作品について教えてあげるよ。まず、こうやって一つの部屋があるだろ?で、この部屋の周りにプロジェクターをグルリと設置して、オペラ・ホイルという素材で作った壁の外側から画像を投
映するんだけど、そうすると部屋の中に入ると360度光線に囲まれている状態になる。因みにそれらの光線は、会場で流れている虫の声に匹敵するものでね。つまり虫の声をヴィジュアル化したものがあの光線なんだ。ただこのアイデアを実現させるにはおそらく50台ぐらいのプロジェクターが必要になると思うけど。

凄そうですね。あなたは昨年のインタヴユーの時に“自分のクラブをオープンしたい”とおっしゃってましたが、その話はまだ実現していないのですか?

 

残念ながら、まだ。今も作りたいと思っているけど、そういうものは時間もかかるし、お金もかかるからね。さ
っきの部屋を丸ごと使う作品をそのままクラブにしたら素晴らしいのだけれど…・。それはまるで異次元の世界に浮遊しているような気分になれるスペースになるだろうね。

 

最近、“アンビエント”という概念が非常にコマーシャルなものになってきたという気がするのですが、そのことに関してどう思われますか。

 

まあ、よくある話さ。ある意味ではアイデアに対する称賛みたいなものでもあると思うけどね。商品化されるということは、つまり人がそのアイデアに興味を持ち、賛同している。という事だろう?今のイタリアがまさにそうだよ。何につけてもアンビエント、どこもかしこもアンビエント、アンビエント…だからね(笑)。



アンビエントの父としては、いかがなご気分ですか?



(笑)大いに喜ばしいことだよ。自分を誇りに思ってる(笑)。アンビエントというのは、たとえて言うならば私が生んだ子供のようなものなんだ。子供というのは成長するものだから、一生赤ん坊のままで自分の手元に置いとくわけにはいかないんだ。

 

しかし、商品化されることによって、あなたが最初に意図していたアンビエントという概念とは全く別のもの
になる可能性があるでしょう?

 

私は全然気にしていないよ。そうなったらもう一人子供を作れば良いのだから。

 

(笑)なるほど。一般に“ニュー・エイジ”や“アンビエント”などと呼ばれている音楽の多くは、単一のイメージや風景を持っていると思うのですが、あなたの場合はさきほどの重層的という意味も含めて単一の風景を描き出しているわけではありませんね。

 

確かに。私もそう思うよ。皆いつもいつも同じ風景で、それも必ずキレイでステキなシーンばかり(笑)。いい加減ウンザリするよね。もう、そういう音楽は“ニュー・エイジ”ではなく“オールド・エイジ”と呼ぶべきなんじゃないかな(笑)。

 

単一の風景を持っていないという意味に於いて、あなたの作品はObscure(あいまいな)なままだと思いますが、今回ジョン・ケールと共同制作した新作『 Wrong Way Up 』は、そういった概念に対応していると思いますか。

 

いや、対応するどころか全く正反対の作品だよ。この作品は、やたらとハッピーなアルバムだと思うし…。

 

確かにあなた自身が楽しみながら作ったアルバムという感じが伝わってきますね。

 

そうだね。実際にレコーディングはエキサイティングだったし、楽しく作ることが出来た。また、自分がああい
うレコードを作るなんて思ってもみなかったから、自分でも驚いているんだ。まさか、ってね。

 

思ってもみなかったのに作ってしまった、というのはなぜでしょう。



よく解らない…でも、今年に入って家族が一人増えたからじゃないかな。子供が生まれたんだ。女の子でね。私と同じ耳をしている(笑)。

 

おめでとう。では、新作はその子への子守歌というつもりで制作してたのですか。

 

それはあったよ。最後の曲は娘の為に作った曲なんだ。

 

あなたは以前、“ゴスペルが好きだ”とおっしゃってましたが、今作を作るうえでゴスペルにインスパイアされた部分はありますか。

 

勿論。ここ数年、ずっとゴスペルを聴いているんだが、ゴスペルによって私の歌い方も変わったんだ。別にゴスペルの唱法をマネてるつもりはないが、今までとは違った自由さをもって歌えるようになったと思う。

 

最近のエコロジー・ムーヴメントに関心はありますか。



その質問に関する正確な答えを言うと数時間に及ぶと思うよ(笑)。余りにも複雑な問題だから。ただ、問題の一つとして私が思うのは、地球上の人口を保護し過ぎているということがあげられると思う。今だって多過ぎるのに、これ以上人口を増やす必要はないよ。例えばボブ・ゲルドフが南アに食糧をどっさり送り込んだりしてるけど、食糧の供給は、イコール人口の増加ということになる。人口というものはそれだけ単純に実現出来てしまう事なんだ。でもムダな事だね。

 

すると、そうやって人々が飢えて死んでゆくというのも一つの自然淘汰であると?

 

そう受け入れるのは容易なことではないよ、確かにね。だけど逆に考えれば、人口増加には大量の食糧の供給が必要になるわけだろ?永遠に食糧を供給し続けるなんて不可能だよ。その供給はいつか必ず停止する時が来るんだ。その時は史上最悪の大惨事になるだろう。百万人どころの騒ぎではない、二百万人…五百万人、いや一千万人以上もの人が飢えによって死ぬということになりかねない。人が死ぬという事は非常に辛いことではあるけれども、被害者の少ないうちに惨事に直面するか、後で大惨事に直面するか二者択一だと思うんだ。結局、今の状態で食糧を供給し、人々を飢えから救うという事は、後に訪れる被害者を増やすに過ぎないと思う。極論するならば、エコロジー・ムーヴメントなんて自分たちの罪悪感を無くす為のひどくエゴイスティックな感情にもとづいているんじゃないか?人類の為になるとは思えないね。


インタヴー・小泉雅史、通訳/池田真美一         ( hataeno )