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interview 1989


 

知らぬうちに不思議なパワーに包まれるという新しい芸術、“インスタレーション”を確立したブライアン・イーノ。彼自身、自分の作品を評して「心が洗われ,刺激され、生きていくパワーが出る。何度見ても必ずそういう気持ちになる」と言うほどの自信の作品だ。この一般大衆にはまだ馴染み薄い“インスタレーション”というものの正体は一体何なのか。ブライアン・イーノはもうロック・ポップスの世界には戻って来ないのだろうか。ロサンゼルスに来たブライアン・イーノを早速キャッチ。そのあたりを中心にじっくりインタビューしてみよう。

 

前回の「キーボード」のインタビューの頃から、ソロ・アルバムの制作をひかえ目にしてオーディオ・ビジュアリストとしての活動か多くなってきたようですね。ロキシー・ミュージックとの活動は現在のあなたの活動にどれだけ影響を与えているのでしょうか。

 

あんまりないと思うんだ。“インスタレーションを作る”という作業と、それまで僕が演っていたステージ活動は,まったく違う次元のものなんだ。僕が美術学校へ行っていた頃は,部屋を真っ暗にしてその中で“光”を素材として作品を作ったものだったけれど.それは“ロック”とはかけ離れたものだったし。僕がいつも心掛けていることは、みんなに刺激を与えていきたいってこと。ポップなビデオを作って一般大衆に受けようとは全然思わない。ポップなものを作るということはどうしても人のマネになリやすいし、たくさん編集をしなければならないから嫌なんだ。人気のあるTV番組なんて、正に編集の勝利なんだよ。僕の考えは反対で,できるだけ編集をせず、“ありのまま”を生かす方針なんだ。さっき言った、“刺激”とは相反するけれど、画像にかんしては、ゆっくりと、そして催眠性のある物を目指している。こういう作品って、一見すごく UMPOP のような気がすると思うけど、考え方によっては、すごく POP なものにもなリえると思う。皆が僕の作品を気にいってくれれば、それが POP ということなんだから、そういう考え方でいくと、どんなものでも POP になる可能性がある。

 

インスタレーションを発表するということは、コンサートを演ることことは違ってオーディエンスの反応をつかみにくいと思うんですが…。

 

まず言えることは、それは、僕の感性は一般大衆のそれと金然違わないっていうことな.んだ。……僕のことを突飛な人間だと思っている人がいるたら、それは問違いってもんだ(笑)。昔から、僕がいいなあ……と思ったものはしばらくしてワーッと流行ったりしたもの。自分で言うのもナンだけど,僕は“イイ物を見極める目”があるみたい。だから、自分自身の作品を見つめ直してみること=マーケティングということになるね。僕の作品のコンセプトはCOMFORT,つまリ居心地の良い物を作るってこと。インスタレーションを見に行った人には、少なくとも30分間はその場所にたたずでイマジネーションして欲しいと思ってるよ。そのスペースに入って、「何だコレ?」って思う人はすぐ出て行っちゃうけれど、それはそれでいいんだ。そこにとどまるかどうかってことはオーディエンスの判断に任せたいから、ほとんどのスペースでは椅子をとっぱらってしまっている。疲れた時に座って休んだリ、喫茶店がわりに友達とおしゃべりする場所にはなって欲しくないからね。あと、狭い場所も維対にイヤなんだ。ヒジがぶつかったリしないように、広いスペースをとることも大切だね。僕はショッピング・アーケードみたいな場所は大嫌いなんだ。息が詰まっちゃって何もする気がなくなるよ。

 

“インスタレーション”としての音楽を作る時と純粋な音楽アルバムを作る時は,いろいろな面で違いがあるでしょう。

 

うん、とっても違うね。僕はインスタレーションの制作をするようになってからアルバムはリリースしていないんだよ。それだけインスタレーションには魅カがあるってことなんだ。インスタレーションを美術の分野に分類する人もいるようだけど、僕自身はこれを“音楽”だと思ってる。「風景によってデザインされた音楽」と思ってもらうと嬉しいネ。それで1度、インスタレーションのために作った音楽をアルバムとしてリリ一スしてみようかと、思ったんだけど、音楽だけを抜き出して聴いてみたら、なんだか古くさい感じがして、やめた。まぁ、その時、インスタレーションの音楽はそれだけでは独立できないってことをわかった訳だね。

 

作曲のアイディアはどのへんから?

 

僕のアイディアっていうのは、実はたった1つしかなくって、すべての曲は、その曲のバリエーションと言える。それは。ずっと前2作目のビデオショーで使った音楽なんだけれど、今でもすごく気にいっている。あれは自分でも僕の1番の傑作だと思うね。その作品を作り終えて次の作品に取りかかった時、困ったことに何回考え直しても前作を超えることができなかったんだ。.それでその前作を焼き直して使った。今も根本的にはその曲が僕の頭の中を常に流れていて、その題材を少しずつ変化させて作っているんだ。あと、2年前の夏、ベルリンでショーを演った時に思いついたアイディアなんだけど、同じキー、同じスケールで書かれた曲を2台のテープ・レコーダーで、時間をずらして音を出してみたんだ。そうして2つのテープが回り統けることによって、偶然による美しいメロディが生まれること、そして氷遠に同じ音が2度と一緒には鳴らない、という効果が得られる。実際には、2台のテープ・レコーダーでは隈界があるんで,最近は、テープ・レコーダーは4台、そして流すテープは10本用意して演っている。順列組み合わせで言うと、ものすごい数のバリエーションになるよね。オマケにオート・リバースのテープ・レコーダーで、10本のテープの長さは全部違うものにしてあるから、長い長い、永遠に終わることのない曲を1曲、演奏しているみたいな感じで、面白いよ。モチロン、ショーのたびに違うし。

 

インスタレーションに,以前のあなたのアルバムに収録された曲を挿入することはありますか?

 

あるよ。でも、ハッキり言って、もうあの頃の音楽には興味がない。ジョン・ハッセルとも最近話したことなんだけと、音楽はもうダメ。……つまり、音楽と映像っていうのはいつも一体なものでなければならないって、つくづく思うんだ。でも、“音楽活動”って一般的に言われていることっていうのは要するにレーコード作リとコンサーートのことでしょ…僕の表現したいことは、“レコーディング”も“コンサート”もできないことなんだ。だから僕は音楽活動をやめてしまった。音楽はモチロン好きなんだけど、“レコーティング”は音をリスナーがステレオによって再現できるようにする作業だし、“コンサート”は、レコードによってリスナーが覚えた曲を、まぁ即効的な部分分はあるにしても、基本的にはそれを再現することが目的なわけでしょ?でも、僕が演リたかったのは、“再現の可能性ゼロ”のもの、その場限りのはかなさみたいなものを表現したかったんだ。時間を縦割りし、音と空間と映像が出すその瞬闘の美しさを作っていきたい。レコードとして買えない稀少性もいいネ。

 

この雑誌は『キーボード』なんです。だからスミマセンが機材の紹介を……

 

モチロン(笑)。DX7IIは最近一番のお気に入リ。難しいっていう人もいるけど、僕は1時間触っただけですぐ理解できた。古いほうのDX7も使ってる。あと最近2〜3本ギターを買った。

 

EMS AKSなどの古いシンセはまだ持つてますか?

 

うん。1度買ったものは売リに出したりしないで全部持ってるよ。

 

「DX7系のものが好き」と言う割には、DX7特有のクリアな音より、存在感のある太い音が好きなようですね。

 

そうだね。DX7が僕にとってベストな機材だとは言えないかも知れない。でも、僕は大好きなんだ。1つ1つの音は細いかも知れないけれど、あれほど柔軟にいろいろな音とミックスできる音を作れるシンセは珍しいと思う。僕はさっきも言ったとおり、音を重ねてループしたりするほうだから、集合体で力強い音が出ればそれでいいのさ。

 

流行サウンドみたいなものは意識してますか?

 

結局、耳に新鮮な物が流行するんだよね。でも、今はこの世に存在する音はほとんど出そろっちゃってる時代でしょ?だからいかにセンスのい音をチョイス、そして組み合わせるかってことがポイントになってきてると思う。シンセを買って、自分で音をプログラムクしない人たちにとっては、音って、40個とかそのくらいしかない訳じゃやない?自分でプログラムができれば、その組み合わせの数は、2〜3千個に広がるのに、もったいない話だよね。

 

シンセやサンプラーの音色ソフトを買ったことはありますか?

 

ないよ、僕はシンセのプログラミングに命を賭けちゃうほうなんだ。それに、僕はほとんどサンプラーは使わない。

 

その理曲は?

 

なんかピンとこないものがあるんだよねェ。やっぱり僕は昔の人間なのかな(笑)?サンプラーは確かに作業を早くしてくれるけど、それだけ、っていう感じがするんだ。ただ性能の良いテープレコーダーっていうか……。サンプラーを使うことによって広がる可能性については僕も認めているんだけどね。モナリザの複写のカレンダーみたいな感じをぬぐい去ることができないんだ。

 

では、シーケンサーはどうですか?

 

リリースはしていないけれどシーケンサーを使った曲のストックはずいぶんとあるんだよ。シーケンサーの偶然性はすきだね。たとえば去年のことなんだけど、シーケンサーをリアルタイム・レコーディングにして即興演秦をしていたんだけど、クリック音を聴かないで演秦をしていたせいか、自分では80小節だと思っていたものが、ヘンテコにクオンタイズされた、身に覚えのない90小節の曲になっていた。それが面白かったんでレコーディングしようってことになって。その音をトラックの1に収め、その曲のある部分を切り取って78小節に縮めたものを.トラックの2に録音して、トラック1の途中からシンクロさせたんだ。結果、最初のうちは自分の演奏した、比較的マトモな音、それが途中からだんだんとヘンになっていき、最終的には訳がわからなくなるという狂気を秘めた音ができあがった。

 

シンプルな手法が多いと聞いていましたか以外ですね。

 

どちらともいえないね。20分間ぐらいの作業によってできてしまう曲もあるし。言えることは、僕にとってシーケンサーは、一般的な使用目的に使うんだったらいらないってこと。機械の偶然性によって音が自分の考えも及ばないフレーズをあみだすなんて、本当にファンタスティックだと思う。そういう目的の為のシーケンサーであって、弾けないフレ一ズを正確に弾いてもらうために使用するってことは、僕の場合ありえない。

 

どうしてみんな最新テクノロジーにワァーっと飛びつくんでしょうか。べ一トーベンの時代のようなスコア・ライティングをする人は将来いなくなってしまうと思いませんか?

 

この間小耳にはさんだ話なんだけれど、ベ一トーベンも自分のアイディアが枯れてしまうののを阻止しようとしてヘンな実験をってたらしいよ。小きな村の肉屋やパン屋やキャンドル職人らが作っているヘタクソ・アマチーユア・オ一ケストラに自分の曲を演奏させて、ミスタッチによる新鮮な響きを研究して取り入れてたって言うんだ。これは確かな話じゃないんだけど……。まあこの話はさておき、みんなが最新機材に群がる理由は、結果→創作というプロセスで音楽が作れるからだと思うんだ。昔はスコアを書く作業が創作でその譜面jをオ一ケストラが演奏することが詰果。でも今は打ち込みによってその“結果”を先に聴く、それから曲作りに本格的にかかれるでしょ。それはクリエ一ター達にとって、やっぱりあまりにも便利で、手を出さずにはいられないのさ。

 

その便利さと引き換えに失ってしまったものもありますよね。

 

その1つは作品の味が失われて選択が難しくなってきたこと。クオリティの高さ=好きってことにはならないからね。芸術の世界では評論家達が「これは好き」っていうのを避けている。後々になって自分の間違っていたことがバレるのが恐いからなんだ。それと同じことが音楽の世界でも起っていると思う。

 

自分の活動が大衆こ誤解されているとは思いませんか?

 

(笑)……まあね。気にしてないけど、わかってくれる人だけわかってくれればいいのさ。皆が皆、普通のこと、つまり一般大衆が欲するものを演っていたら何も進歩しないじゃないか。自分のスタイルを持つってことが1番大切なんだ。僕らのレコード会社には毎日たくさんのデモ・テープが送られてくるけれど、その中の半分以上の音は“ブライアン・イー.ノ風”なんだよ。僕はどうしてこの人達がこんなてープを僕に送りつけてくるのかまったく理解できないよ。僕のレコード会社がもう1人ブライアン・イーノを欲しがってるとでも思っているのかな(笑)。それも、僕の作品風で僕を超えるものならまだいいけど、実際、彼らの作品は僕の曲を少しへ夕、またはセンスを悪くしたようなものばかりなんだ。

 

彼らはあなたが常に前向きで、自分が遇去に発表したものには輿味がないということを知るべきでしたね。ところで,今までプロデュースしたバンドの中で、新しい息吹きを感じたバンドは?

 

真剣な人達が1番だね。僕は人生をゲー・ムだと思っている人と遊ぶヒマはないから、そういった意味では、U2とかトーキング・へッズとかが印象的だね。

 

プロデュースをする時に心がけていることは何ですか?

 

バンドのスタイルを変えることは絶対にしないね。彼らが1番大切に思っていることを聞き出して、または彼ら自身もそれをわかっていない時はそれを彼らの深層心理から探り出して伸ばしてやることだ思う。

 

手応えのあるバンドを捜すのは難しいでしょう。

 

別にそんなことないよ、待ってるとどんどんテープが送られて来るんだから(笑)

 

ファンはあなた自身のアルバムを待ち望んでいると思うんですか……。

 

僕はどんどん変わっているから、アルバムを出したところで以前のファンが喜ぶとは思えないな。たとえばクリームみたいに、自分達のスタイルを確立したバンドだったら、ファンは次回作を聞きたいと思うけど。

 


 ビデオ・インスタレーションとは

真っ暗のギャラリ一の中に大きなテレビ・モニターが点在し、環境の一部として、まるで空気のごとく自然に音楽が流れている。これがインスタレーションだ。ギャラリ一に置かれた作品は、ひとつひとつ別な作品ではなく、すべての映像、空気、オ一ディエンスの感覚が溶け合ったものを指す。イーノが確立したこのビデオ・インスタレーションは決して音楽または美術という持に当てはめることができない新しい芸術である。

 


Keyboard Magazine 1989.8