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interview 1989


 

今回の来日はビデオ・インスタレーションのためということですが、既に奈良の天河大弁済天社の神殿建立記念セレモニーに参加してライフ・パフォーマンスを披露されたそうですね。

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 そう。あらかじめイギリスで作っておいたテープと、ライヴ・サウンドをミックスしたパフォーマンスなんだ。4台のD・A・Tを使ってその音を私がミキシングする傍ら、その音に乗せて3人のミュージシャンが演奏し、更にステージ前方に設置したマイクからは庭にいる鳥やコオロギなどの声を拾ったりもしたんだ。

 

 そのセレモニーに参加するきっかけは何だったのですか。

 

 その神司さんが以前から私の音楽が好きで、神社内でよく流していたという人でね(笑)。それで彼から今回の、パフォーマンスの依頼が来たんだよ。

 

 日本の神道に対する興味はありますか。

 

 神道の興味深い点は、まず、それが自然と密接な関わりを持った宗教であるということ。これは凄く興味深いものがあるね。それに今回のセレモニーで出会った入達が皆、本当に親切な人ばかりで、そういう良い人達を作り出すんだからこれはきっととても良い宗教なんだと思ったよ(笑)。

 

 宗教に対するあなたの見解をお聞かせください。

 

 インタヴユーの時間はどの位とってるの?(笑)なんならこのままそれについて話せるけど、かいつまんで話すのであれば、それは私の完璧な答えにはならないから掲載する時にも必ず私がそういって答えたと書いておいてくれないかな。

 

 勿論。

 

 さて、まず面白いことは、地球上の全人類が宗教とアートを持っているという事だ。科学は誰もが持って、いるものではないが、宗教とアートだけはどこの国にもあるし、各個人もそれぞれ持っている。徒ってこの2つは生物学上、人類にとって必要な事なのだと言えよう。例えば食事をしたり、セックスをしたりという事が人間にとって必要であるのと同じ様にね。だから私は宗教を生物学的な機能を持つものとして捉えているんだ。ここで問題になるのは「その生物学的機能とはどのようなものか」ということと「それはどの様な目的にかなうものであるのか」ということだけれど、当然それは人によって様々に変化してくるものだとは思う。しかし、その根本的な目的というのは……人類はある大きな問題を抱えていて、その問題とは未来を、予知出来るという能力なんだ。これは他の動物には決して出来ない人間だけが持っているものだ。我々はその能力で未来が悪い方向へ進んで行くかも知れないということを予知出来てしまう。だから我々には自分達に希望を与えてくれるシステムが必要になる。その、末来は明るくなり得るという様な希望を与えるのが宗教の大きな役割なんだと思う。英語では、“religion”(宗教)と“faith”(信仰・信念)という言葉は同義語として解釈されているけれど、これはとても興味深いことだ。なぜなら、“faith”とはシニシズムの反対であり、ペシミズムの反対でもある。“faith”とは「大丈夫、全てうまくいくさという感覚のことなんだ。私は宗教のそういった面が好きだし、だからゴスペル・ミュージックが好きなんだ。ゴスペルは「万事OK」っていう音楽だからね。どう?もっと話そうか?他の質問があるなら次に行った方がいいと思うよ(笑)。

 

 では、次は今回のビデオ・インスタレーションについてですが、作品そのものがより絵画的なものに近づいたと思うのですが。モンドリアンやカンディンスキーのような。

 

 それは不思議な事ではないね。2人共、私が初めて大きな影響を受けた人達だし、特にモンドリアンに関しては私が凄く若い頃に、一番最初に好きになった画家なんだ。

 

 ところで、昨夜のオープニング・パーティで、新たに自分でクラブを作りたいと言っていましたが、具体的なプランはありますか。

 

 ……静かな所(笑)。世界中どこでもクラブは騒がしいものだけど、発想が貧困だと思うよ。並外れて変わってるクラブが欲しいんだ。例えばもの凄く静かなクラブとか、逆にもの凄くうるさいクラブとかね。中途半端にうるさいのではむくて、一歩足を踏み入れたら体に重度の障害をもたらすとか(笑)

 

 空間そのものを創るという意味ではインテリア・デザイナーのようなアプローチですね。

 

 そうだね。ただ、西側諸国では創作的ジャンルに於いて昔から厳密な境界線が引かれていて、例えばファイン・アート、グラフック・アート、インテリア・デザイン、生け花……と全てが完全に分かれているんだ。それに加えてアートの中にも階層があって、その最上階にはファイン・アートがあって、ずっと下の方に、ポップ・ミュー、シックがある(笑)。私はその位置関係を変化させて、最終的には境界線なんか取っ払って全部一緒にしてしまったら面白いと思うんだ。多くのアーチスト達は、“デザイン”という言葉を嫌っている。特にイギリスではね。

 

 それは“デザイン”という言葉が職業的なイメージを持っているからでしょうか。

 

 それもあるだろうけど、何か妥協したもののような印象が強いんだ。しかし、“デザイン”という言葉のマイナス・イメージは取り除く必要があると思うよ。つい最近、アメリカのエリック・タムという人が、私の音楽に関する本を出したんだけど、凄く真面目な音楽的アプローチを用いていて、私の私生活や、よく音楽雑誌に載るようなバカげた事は一切カットされていて純枠に音楽に集中して書かれたものなんだ。あたかもクラシック音楽を分析するかの如くポップ・、ミュージックを扱っているところが私にとっては実に興味深いものがある。こういうものがもっと出てきてもいいと思うよ。逆にべー卜ーヴェンをポップ・スターとして分析するのも面白いかもね(笑)。

 

 あなた自身、ロック・ミュージックに関してはどう思っていますか。

 

 全くつまらないものだ。ロックニミュージックはどうしょうもないほどつまらなくなってしまっていて、本当に、全く、う〜っ!!(笑)ハリウッド映画同様、全く面白くなくなってしまったね。

 

 つまらなくなった理由は何だと思いますか。

 

 音楽産業側が余りにも強い確信を持ち過ぎているからだ。例えばあるバンドと契約したとすると、各5分ずつの10曲入りのアルバムを作らせてリリースし、宣伝広告を作って、ジャケットはこうで、CD,12インチとやらせた後、3ヵ月間のツアーに出して、雑誌のインタヴューに答えさせて……という風に、全てが方程式化している。全く面白くも何ともないね。同じ新聞を何度も繰り返し読まされるみたいなものだよ。

 

 ロキシー・ミュージック、あるいはノー・ニューヨーク一派を始めとする70年化後期のNWバンドなど、あなたがロックに関わった時にはロックが活性化するという気もしますが。

 

 なるほどね。かつてのノー・ニューヨーク一派の連中に関して重要なことは、彼らが音楽産業システムの外側にいたということなんだ。彼らの斬新なアイデアは当時のレコード会社が扱うには余りにも異質なものだったからね。例えばこの地球上に存在する全ての音楽を集めたならば、その中でロックはほんの小さな断片に過ぎないと思う。ノー・ニューヨーク一派はそのちっぽけな断片の外側に位置していたんだ。そして彼らが存在した時点で、彼らを受け入れるためにその断片の大きさが少しずつ拡がったはずなんだ。私にとっては未だにその独自性、つまり断片を拡げるという考えに凄く興味があるよ。

 

 あなたは最近、ソ連のロック・バンドをプロデュースしましたが、彼らに何らかの可能性を見い出したわけですか。

 

 そう。ロシアのミュージシャン達は他とはかなり違う事をやっていると思う。まず第一に彼らは他と同じような形で音楽産業に関連してはいないからね。音楽産業そのものは存在しなくてはならないし、私もそれにお世話になっているわけだけども(笑)、最近では産業側もアーチスト側も全くリスクを負わずに安全な選択をし過ぎている。本来アーチストの役割は現状を打破することにあるわけだけれども、今はむしろ産業側の方が、まだアヴァンギャルドで、アーチストのやってる事よりもレコード会社の方が先に進んでいたりする(笑)。

 

 資本主義が確立している欧米や日本などでは、アートが資本主義に組み込まれてしまっている状態に近いと思いますが、ソ連のアートはそれとは違うというわけですね。

 

 ああ。ロシアには我々のようなマーケット・システムが無いからね。これは大きな違いだ私はマーケット・システムが本来のスタンスを保ち続けているならば反対はしないけれども、他の全てのシステムと同様に、マーケット・システムにはある状況を促進させる反面、別のある状況を阻止してしまうという特性があると思う。我々のシステムでは物事を区別する為の仕切りや、境界線を作り、価値の有るものと無いものとの差を明確にする働きがあるんだ。一方、ロシアでは全く状況が違っていて、悲惨なくらい大混乱していて、それは偉大なる混乱でもあるわけだけど(笑)。とにかく何がどこに当て嵌まるのか誰も見当もつかないんだよ。ポップ・アートだろうがファイン・アートだろうが、何もかもが全て溶け合わさってしまっている。これは凄く面白い状況だし、加えてとても流動的なものでもあるんだ。

 

 資本主義に於いて社会を変革し得るようなアートが存在すると思いますか。

 

 断っておくけど、私は資本主義と社会主義のどちらが優れているかなどという事を問題にするつもりはないよ。両方とも純粋な形では存在しているとは思ってないしね。きちんとした形で存在していないものをどう変革するのか私には想像も出来ないね。

 

 純粋な形で存在しないというのは?

 

 例えば資本主義社会と言われるわれるイギリスでも国の予算内でやっている巨大な防衛事業っていうのがあって、それはある意味で社会主義的企業とも言えるだろう。それが資本主義社会のド真中に位置しているんだ。一方、ロシアはその逆で、ロシア版の資本主義が杜会主義的構造の中に存在しているんだ。なぜこのような構造になるのかというと、それはどんな政府でも実際には純粋な資本主義や社会主義を維持することなんて不可能だからなんだ。だから、もし社会に村してアートの出来ることがあるとすればそれはまず自分達のしていることに安易な名称をあてがわないこと、そして現状維持はそう長くは続かないということを人々に教えることかも知れない。常に変化を受け入れる態勢でいるということをアートは人に教えることが出来ると思う。

 

 最後に、今後のレコード作品やビデオ制作、他のアーチストのプロデュース等の予定がありましたら教えて下さい。

 

 いや、それは人に聞いた方が早いと思うよ。私の頭の中にはスケジュールなんてものは全く存在していないんだ。

 

 


hataeno