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interview 1989.10 

 


 

 ブライアン・イーノが7年振りに来日を果たした。今回の来日の目的のひとつは、前回と同様に、自らのヴィデオ・インスタレーションの解説と宣伝のため。そしてもうひとつは、日本最古の弁済天を祭ると言われる、奈良の天河弁済天社の新神殿建立セレモニー(7月27日)に出席するためだそうな。この弁済天というのは、いわゆる、べんてん様。のことで、七福神のひとつとして数えられている。まあ、確かに“音楽をつかさどる天”ではあるのだが、なんとイーノはそのセレモニーのために曲を書き、その神殿でライヴまでやってしまったのだ。
 一方、“音と光の彫刻”と題されたヴィデオ・インスタレーションの方は、東京は渋谷のシードホールにて催された。画面に色とりどりの幾何学模様を施されたテレビ・モニター/オブジェが、ゆっくりとその色を変えながら様々な映像を映し出す、というもの。前回の『サーズデイ・アフタヌーン』と比較すると、そもそも、TVを映像モニターとしてではなく、ライト・ポツクスとして機能させるという発想そのものが全然違うし、前回が平面的な映像体験だとすれぱ今回は立体的な映像体験を味わうことができる。ただまあ、いずれにしても会場内のゆったりとした時間の流れ方は同様で、やはり今回も多数、あちこちで熱睡している観客の姿が見受けられたが。
 インタヴユーを読んでもらえぱわかるが、音楽にしてもヴィデオにしてもすべてイーノの場合、“コロンブスの卵”的な思いつきから始まっている。言葉を換えれぱ、イーノは、表現欲求のデーモンを抱え込んだアーティストでもなけれぱ、職人的なミユージシャンでもない。偉大なるアマチュアなのである。単に、新しモノ好きのミーハー人間なのだ。ただ、辛いイーノには、その素人発想を理路整然と体系化し、言語化するに充分な知性もまた備わっているというわけであろ。そもそもが素人発想なのだから、結果として出来上がったものに、当たりハズレが当然である。例えぱ、彼の一連のヴィデオ・インスタレーションにしても、アイデアこそ面白いが、作品としてはまだまだであると思う。にもかかわらず、“ブライアン・イーノ”というブランド・イメージ、あるいはその理諭のみで、どんな質の作品であろうとも有難く拝聴されてしまう。まさに両刃の剣である、言ってしまえば、ブライアン・イーノというミュージシャンは“裸の王様”的な在り方を宿命づけられているのだ。

 


 

 そもそも、奈良の神社の新神殿のために新曲を書き下ろし、あまつさえそのセレモニーでライヴ・パフォーマンスまでやったというのは、どういう経緯からなんですか。

 

 そこの神主がそもそも僕の音楽のファンな人だよ(笑)。年は確か五十くらいだと思うけど、何でも僕のレコードを全て持ってるらしいんだ。無論、持ってるだけじゃなくて、よく聴いてくれてるそうだよ(笑)。で、今回の式典の打ち合わせをしている時に誰かが彼に『プライアン・イーノがそんなに好きなんだから、いっそうのこと彼を呼ぺぱいいのに』と提案したらしいんだ。で、いきなりコンタクトしてきた(笑)。すごく率直な申し出だったよ。でも元々は、今回の様なパフォーマンスではなく、音楽だけを作ってくれと依頼されていたわけなんだけど、暫くするとその式典に東京やその他、いろんなところから人が集まるらしいと聞いて、こりゃテープを流すだけじゃ、ちょっとフェアじゃないかなと思ってね。それで、もっと時と場所を考慮したパフォーマンスに変えて、ああいうテープとライヴ・パフォーマンスが混ぜ合わさった、少し風変わりなものになったんだ。フォーマツトとしても結構、新しいものなんじゃないかなとも思うんだけど。

 

ただ、例えどんなシチュエーションであれ、今回のようなライヴ・パフォーマンスを行うのは本当に久し振りですよねえ。一番最近のラィヴって一体、いつ頃だったんですか。

 

 うん、確か78年だったな。ジョン・ケイルと一緒のものだった。その前は76年かな。とにかく、僕は普段はなるぺくライヴは避けたいと思ってるんだ。だけど今回の天河でのライヴに限っては、フォーマットがテープとライヴが融合したものだったから僕も前向きに考えることもできたわけさ。大体、ライヴとは言うものの、僕達を中心に据えるという狙いは全くなかったから、出席者の人にも、演奏の間でも勝手に行動して下さいと事前に断っておいたんだ。そのために会場のあちこちにスピーカーを設置して、あらゆるところで音がいろんな具合で混ざり合うように試みたわけだし。勿論、音自体も結構、抑え込んであった。だから、もう基本的に誰かがスポットを浴ぴるという普通のパフォーマンスとは性格が異なってたということだね。強いて言ってしまえば、そうだなあ、その場で音楽を作って、その過程で何人かのライヴ・ミユージシャンも巻き込んだという印象だったな。でも、まあそれはさておいて、確かに僕はかなり長い間、ライヴ・パフォーマンスから遠ざかってたわけだけど、でも、講演ならたくさんやってきたんだよ。だから別にステージで人前に出るのが嫌だというわけじゃないんだ。

 

(笑)講演ですか。どんな内容の?

 

 やっぱり芸術関係が多いかな。あと、電気機器の通信システムと生物の知覚システムとの比較についてとかさ。でもまあ、実際間題としてはあるテーマを依頼されたら索直にそれについて話しちゃうよ(笑)

 

 それと、もうひとつの来目目的であるあなたのビデオ・インスタレーションに関してうかがいたいんですが、ここ数年あなたが行っている一連のヴィジュアルなアプローチというのは、これまでやってさたアンビエント・ミユージックの発展形と考えていいものなんですか。

 

 うーん、確かにアンビエントを補うという側面はある、あるけれども、またアンビエントとは違う側面もあるし……とにかく、今僕は音楽的にも、またヴィジュアル的にも新しい局面を迎えつつあるんだ。例えぱ、天河での音楽にしても、ひどく奇妙な感じでまた、攻撃的だったので、皆もぴっくりしたことだと思う。もっと牧歌的なものを期待してたんじゃないかな。作品自体が最近では暗くなってきているんだ。ビデオ・インスタレーションにしてもね、今回の目本での企画ではスペース的な都合で省いたけど、最近の作品はもっと不安になるような、落ち着かない感じの空間を作る実験もしてるんだよ。まあ、とにかくヴィジュアルな作品は確かにアンビエントとつながってはいるものの、ただ、アンビエントのコンセプトそのものが今、膨らみつつあるからね、何とも言えないな。11年前に初めてコンセプトを打ち出した時と較べると少し形が変わってきたんだ。

 

  そのアンビエントのコンセプトなり、何なりをもうちょっと詳しくお願いできませんか。

 

 ああ、そう?うん。えーとね、まず……アンピエントの狙いを一言で言っちゃうとね、要するに秩序を取り払った音楽を作ってみたかったということなんだ。つまり、普通の考え方では音楽とそれ以外の世界の間にはハッキリと一線が引かれているから、その一線の外にある音というものは全て音楽からは切り離されているんだね。で、僕はその一線を取り除きたかったということなんだ。だから、そういう発想で作品も作っていけぱ、例えぱ、リスナーが作品の中のある音にふと気付き、果してその音がその音楽に含まれる音なのか、或いは偶然にそこに紛れ込んでしまった単なるノイズなのかと思い巡らしたりすることもあるわけさ。そういう感じで、全く意図的に構築され集約された音から全く日常的な聴覚世界を包含するような連統体が作れれぱ、非常に面白いだろうなと思ってね。つまり、そこで音楽と言われるものは、自分の耳に入る全てのものになるわけだよ。で、結局僕はそういう音楽を作り上げることで、新しい音楽の聴き方というものを提示してみたかったということなんだよ。 
 
 それに音楽というものは、例えそれがどんな内容のものであろうと、必ずそれに即した“聴き方”ってものを提示してるところがあるわけじゃない?例えぱ、クラシック音楽だったら、その内容をリスナーに伝えようとしてるのはさることながら、それと同時にその音楽の聴き方というものもまた、リスナーに伝えようとしているんだ。で、実はそういうルールみたいなものについては皆、何となく知ってるんだよ。例えぱ、クラシック音楽には一種ヒエラルキー的な構造があるなんてことは皆、何となくわかってるんだよ。そんなわけだから、クラシック音楽やその構造を効果的に楽しもうとする時は誰でも、何も教えられる前に自分からステレオのスピーカーをきちんと設置して、バランスの一番いい地点できちんと聴こうとするわけさ。一方、他の音楽だったら、当然また別な聴き方を提示してくるわけで、例えぱダンス・ミュージックだったらもっと肉体的な聴き方を求めてくるし、また、クラシックのような細かい表現や構造は当然、訴えてこない。ダンス・ミュージックにはもっと民主的な構造があるから訴えてくるものももっと違ってきて当り前ってことだね、でも、それだけじゃなくて、ここにもまた、クラシックともダンス・ミュージックとも違う全く新しい音楽の聴き方があるんだよ、と僕はアンビエントで提示したかったわけさ。で、さっさも言ったように、この音楽と他の世界の間に明確な一線はないから、その音楽との触れ方も多様なものになってくるんだ。つまり、音のド真中に座り込んでそれを聴くのもいいし、その音場から脱け出て特に注意を払わなくてもいいと。
 
 だから基本的には絵と同じなんだよ。壁に掛かってる絵が縞麗だと言つて、それをずーっと、まんじりともせず検証する人なんていないわけだろう?やはり、ふと気が付いた時には眺め、そして目を離すもののはずだよね。で、そういう機能を持って人の日常の中に入り込めるような音楽を作り出せたらなあと思ってね。いつでも気軽に出かけられるメンタルな場とでも言うのかな。思った時にそこへ出かけ、そして好きなだけそこにいて、そしてまた好きな時に帰って来れるけど、それでいて依然として存在し続けるという、そんな場所だね。だから、僕はなるべく比較的安定した、変化の少ない音楽を作り続けてたわけなんだ。で、最近はどうなってるのかと言えぱ、こうした僕の考えが世界中に拡がっていく一方で、僕はますます世の中のノイズってものに興味を引かれてきたんだ。川のせせらぎや小鳥のさえずり、動物の鳴き声だけでなく、車や工事現場の音、電車の音、あと、豪雨や雷などとかさ、例えぱ天河の曲を作る時なんかは、ドイツの友人に天河までわざわざ行ってもらって、そして神殿を建設してる時のノコギリの音や石切音とか、あとその辺にたくさんいる蛙の声などの現場の音を録音してもらって作品にも使ったんだよ。一つには、僕達が実際につくる音がむやみに神聖化されるのを避けるという目的があったんだ。この音楽も、この蛙の声も、同列の音なんだということでね。


続く