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interview 1989

 


 

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 君のルーツについての話から始めたいんだけど、どんなものに影響を受けてきてるの?

 

 多くのものに影響を受けているけど、いちばん大きく印象に残っているのはたぶん、ドゥーワップとレイ・コニフだね。このふたつは明らかに、ボクの仕事に影響を与えていると思う。つまり少なくともボクは『ミュージック・フォー・エアポート』をレイ・コニフの現代版だと思っているということ。

 

 他のヴォーカルやインストものは?

 

 ボクが最初に自分で買ったレコードはデイヴ・ブルーベックの『Unsquare Dance』だった。それまでに他にレコードも持っていたけれど、それは姉からかっぱらったものだったんだ。

 

 ラジオは聴いた?

 

 イギリスでは聴いていなかった。いいラジオを持っていなかったし。土曜の朝に“Uncle Max Request Hour”という番組があって、これで週2時間、ポップ・ミュージックを聴くことができた。ボクの住んでいた小さな町の近くにはアメリカの大きな空軍基地がふたつあって、町の人口は5000人くらいだが、基地には15000人くらいの人がいたんだ。町のどんな喫茶店にもジュークボックスがあって、R&Bのレコードが入っていたよ。だから、ボクはラジオよりもジュークボックスの方をよく聴いていたんだ。ラジオといえば、クリフ・リチャードの歌ばっかりでね。クリフ・リチャードをたっぶり聴かされるという目にあったことのある人はいるかな?しかし、当時のクリフ・リチャードはよくアメリカのR&Bのカヴァーをやっていたよ。オリジナルにある面白味をすっかりとっぱらったようなやつをね。

 

 君が7才かそこらの頃だよね?

 

 そう、最初にすごく惹かれた曲はシルエッツの「GetAJob」だった。初めてそれを聴いた時にすごい曲だと思って、絶対仕事につくもんかと決心したんだ。実際仕事についたことがない!本当に仕事らしい仕事についたことがないよ。

 

 それから演奏とかなにかをやったりは?楽器の演奏はしてた?

 

 うん。最初に参加したグル一プは4人組だった。みんなフットボール・チームの仲間で、全然楽器がない歌のグループだった。ただし、ドラマーだけは椅子に座っていたけど。彼はドラム・スティックだけはなんとか手に入れてたんだが、ドラム・セットがなくてね。みんなアカペラで歌った。ボクはファルセットとバスを使いわけていた。ちょうど声変わり前だったから。その中間は全然うまく歌えなかったよ。

 

 その後のホルモンの成長でバリトンになったというわけ?

 

 ボクのホルモンは全然成長してないな。

 

 だからもう歌わないと?

 

 そう、声域がだんだん狭くなってる。

 

 グループ名前はついてた?

 

 なかったと思う。2回しか演らなかったんだ。どちらも同じ場所−−メルトン・ユース・クラブだった。たいした成功は収められなかったな。

 

 君はアート・スクール出身だよね。正式の音楽教育は受けたことある?

 

 いわゆる音楽教育とは違った意味のね。楽楽の演奏だとか記譜のやり方とか、そんなのは習ったことがないんだ。60年代のイギリスでは、絵描きや演劇関係、ミュージシャン、作曲家なんかの間に共通する興味の対象があった。それは当時“コンセプチュアル・アート”と呼ばれていたよ。その後、プロセス・アートと言われるようになったのかな。どっちが先だったかよく覚えていない。ボクのいたアート・スクールも面白いところで、画家とか彫刻家とは全然関係ない作曲家みたいな人を息抜きの時間みたいな感じて呼んでいたんだ。ボクもあの頃は、面白いことをやってる作曲家とよく付き合った。モートン・フェルドマンとかクリスチャン・ウルフ、コーネリアス・力ーデューなんかだ。彼らはカレッジにやってきたり、またボクが自治会長として彼らをカレッジに呼んだりしてた。自治会の基金を使ってダンス・パーティをやったりとかね。彼らといっしょになって、ボクらも演奏してた。

 

 コーネリアス・カーデューの作っていたスクラッチ・オーケストラにも関係してた?

 

 そう、でも長い間関係していたわけじゃない。あれはロンドンでやってたけどボクはロンドンにいなかったから。ボクは60マイル離れたウインチェスターにいたんだ。しかし、ボクの最初のレコーディングはスクラッチ・オーケストラとのもので力一デューの曲「Great Leaning」で歌った。これはドイツ・グラモフォンの作品だったね。これが、ボクがプロとして歌った最初だけど、お金はもらえなかったな。

 

 ポップ・ミュージック、あるいは音楽業界で仕事をするんだという自覚を持ったことある?

 

 全然ない。今でもね。アート・スクールでやってたのは変なパフォーマンス、ペインティングと音楽をミックスしたようなやつだった。どっちかっていうと“手作り”的な感じのものさ。それからあのレコーディング・システム、ロングディレイ・アンカー・システムを発明したんだ−−もっとも、後になって多くの人が同様の発明をしているとわかったがね。これは、どんなものでもフーガ調にしてしまうものだ。音楽を作る、とても単純な方法さ。スティーヴ・ライヒが、これは便利なものだと言ったけど、本当にそうさ。あまりにもいい加減なものではあったが、ボクはいろんなアート・スクールやなんかに出かけて、その演奏をやってたんだ。正確にはボクがやってたんじゃないから、その時も自分をミェージシャンだとは、思っていなかった。ただ、音を扱っているとは思っていた。これはミュージシャンとは違うものだ。ある時地下鉄に乗っていて、そろそろ降りようかという時にアンディ・マッケイがボクのところに近寄ってきた。彼とは数年前、その手のパフォーマンスの時に会ったことがあったんだ。彼はボクに「テープ・レコーダーの操作は知っているかい?」と聞いた。ボクは「ああ。自分でも2台持っているよ」と答えたんだ。彼はバンドをやっていて、その録音をボクにやって欲しいと言う。彼はシンセサイザーも持っていた。あの頃はシンセサイザーができたばかりで、音程らしい音程もなく、それで音楽を作ろうとする人もいなかったよ。すごい時代−−シンセサイザーは奇妙な雑音を出すパンドラの箱だったんだ。

 

 しかも、その雑音さえ、昨日と同じものが今日も出せるとほ限らない。

 

 不可能だった、ありとあらゆる状況−−湿度、気温、議会が紹集されているかどうか、なんてことがすべてシンセサイザーに影響景しているようだったからね。だから、彼もシンセサイザーを持ってはいたけれど、サックスの方を湊奏したがっていたし、いずれにしろ両方同時にはできない。だから彼らは「こっちの方もやってくれるかな、テープ・レコーダ一と?」って言った。そんなわけで、ボクはシンセサイザーを演るようになったんだ。だから、ボクはロキシーとやっている間、ずっと「変だな。どうしてボクはここでこんなことをやっているんだろう?」って考えていたよ。

 

  (笑)で、その答えほ思いついたかい?

 

 いいや。でも、いつ辞めようと決めたかは覚えているよ。ダービーかどこかの、牛が出てきそうな町で演奏をやっていた。実際には牛はいなかったけど、イギリスの小さな町だ、そこでこんな風にして歌いながらボクは、自分が洗濯物のことを考えていることに気がついた。本当だったら!ボクはホテルで洗濯物を取ってこなかったことを考えていたんだ。そして、これはボクには向いていないなと思った。

 

 潮時だとわかったわけだ。

 

 ああ、少なくとも洗濯物のことを忘れさせてくれるようなことをやりたいと思ったよ。だから辞めて、それ以来あまり洗濯をしなくなった。

 

 今、どんな音楽に興味を持っているの?自分のもの以外ではどんな音楽を聴いてる?

 

 アメリカならではの音楽、ゴスペルだね。聴いている音楽のほとんどがそうだ。自分の楽しみのために聴くのはね。ボクはゴスペルのすごいコレクションを持っていて、いつも自分で同じ曲が入ったテープを作っているんだ。それをいろんな順番に入れ換えてね。

 

 君は、音楽と同じくらい彫刻制作をやっているよね。それぞれのメディアにおける方法論を比較するととう?それぞれのアイディアをどんな風にして始めていくの?

 

 その都度違っているんだ。ある時はアイディアから始まる。『ミュージック・フオー・エアポート』の時は完全にアイディアから始まった。あれは、ボクが空港で座っている時だった。ケルンだったかデュッセルドルフだったか覚えてないが、とにかくクラフトワークのメンバーの誰かの父親が設計したところだ。それだけでもなんとなくおかしいけれど、そこはとても素敵な空港でね。行くのが楽しくなるようなところだ。きれいなアーチがあり、天井が三角形をしている。ボクは「ここにふさわしい音楽があればもっと素敵なところになるだろう」と思った。それから、空港がいつもこんなひどい音楽をかけているということがとてもおかしなことに思えてきた。それで空港にふさわしいのがどんな音楽かを考え始めたんだ。いろんなことを考慮しなければいけないからね。まず、人の会話を妨げるようなものではいけない。だから、ヴォーカル・レンジは避けて、その上か下だと考えた。次に、形がはっきりした音楽はだめだということ。つまり、ABCDADCみたいな構成をとってはいけない。だって、アナウンスなんかでしょっち邪魔されるんだからね。そんなことを思っているうちに、どんな音楽が空港では効果的かを考え始めた。人がじっくりと聴きったりシリアスになったりするのはだめだよ。スーパーマーケットや空港だとかの音楽を作るなんてのはつまらないことだ。まじめな作曲家にとってはね。そんなことをするのは罪悪かもしれない。

 

 BGMには心理的な要因があるよね---意識ではなく無意識に働きかけるような。それが人に購買意欲をもたらす。

 

 ボクの音楽は、あの『ミュージック・フォー・エアポート』もそうだけど、人に死ぬ準備をさせるものだ。これは真剣な問題だ。ボクは、飛行機に乗る時に、人は「デュワデュワデュー」みたいに脳天気な曲は聴きたくないだろうと思った。「何ごとも起きないんだよ、すべてがうまくいくんだよ!絶対に墜落なんかしないんだよ!」みたいなね。それに、カセット・レーコーダーも全然正しいスピードで動かない。飛行幾に乗っている時に、カセットすらまともに動かないなんて困ってしまうよ。というわけでひどいカセットでもちゃんと聴けるような音楽を作らなけれぱいけなかった。それが飛行機に乗っている時にいちばん気持ちがよく、死んでもかまわないと思うものだ。でも、どんな音楽がそんな気持ちにさせるだろうって考えた。今は冗談みたいに言ってるけど、本当にそんなことを考えていたよ。音楽というのはそんなことを忘れさせるものだが、ボクはそんなことはしなかった。ボクはただ人がそこにいて、何も心配せず、心穏やかにいられるようにしたかったんだ。

 

 『ミュージック・フォー・エアポート』やその他の君の音楽、アンビエント・ミュージックと呼ばれるものは、いろいろ違った意識下で聴くことができる----完全に無意識な状態から完全に意識がしっかりした状態まで。これはかなり大変な作業だったんじゃないかと思うんだけと。

 

 自分の声を使っている限り、大変な作業だったよ。だからボクは歌うのをやめたんだ。自分の存在が音楽の中にある限り個性が表われる。ボクは個性を消したかった。どんな個性をもね。ボクは風景画のような音楽を作りたかったんだ。聴き手を招き入れるようなもの、自分がガイドとして立っようなんじゃないもの。ここにひとつの風景画がありますよ、自分で勝手に眺めてくださいよって感じ。風景画とは正にぴったりの言葉だ。風景画の歴史をひもといてみるとわかるが、それには人物が描かれているものとそうでないものがある。この2種類の風景画の見方を調べてみると、人物が描かれている場合、鑑賞者の眼は最初に必ず周辺を見て、それから人物に移る。そこが全体の重心なわけだ。人物がいないと眼の動きが自由になって、パターンはもっといろいろできてくる。ボクは、これは音楽にも言えると思うんだ。声がそこにある限り、すべては“その回りにあるもの”にすぎない。これはなかなか解決できない問題だ。声があれば、それが発している言葉は人の注意を喚起する。顔が人の注意をひくのと同じだよ。

 

 君はいろんなメディアの作品を作っているよね。「サーズデイ・アフタヌーン」とか。この音楽はコンバクト・ディスクだけでリリースされてる。CDのみの音楽を作ろうという動機は?

 

 長いものにしたいというのが主な理由だった。あの頃はあんな音楽のことをずっと考えていたが、今はそういった音楽は作っていない。でも、当時ボクが作っていたあの手の音楽は、止めたいと思うまで続いているような、とてつもなく長いものでなくてはいけなかった。それがアイディアだった。一度かけたら好きなだけそのままにしておけるそれを止めてまた別のをかける。それは、カセットだと簡単にできる。例えば『オン・ランド』や、その後にボクが作ったすべてのレコートは----そんなに多くはないが----カセットではA面B面の区別をせず、両面それぞれにレコード全部を収録したんだ。だからエンドレスてプレイさせたかったら----ボクはよく音楽をそういう風に聴くけど----簡単にできた。かけっぱなしにしておいて、終わったらひっくりかえせばいい。もしオート・リヴァースだったら、いつまでも統いていくわけだ。CDは70分かそこらまでしかないけれどね。8時間くらい録音できればいいんだけれど。

 

 CDにはもうひとつ、君にとってありがたい点がある。ノイズがないから、もし必要だったら“無音”のレベルも上げることができるわけだ。そんなことを考えたことはない?

 

 ボクの仕事のやり方からいえば、無音というのはありえない。ヒス・ノイズがたくさんあるんだ。ボクのは技術的に完壁でないから必ずあるみたいだよ。作っているところを人が見たら、ずいぶんとひどいものだとわかるだろう。その理由は、長い時間をかけてちゃんとした作り方を自分のものにするほど、ひとつのことにこだわっていないからだと思う。完壁なものが作れるほど技術的に成熟する前に、他のものに興味が移ってしまうんだ。だから、いつも自分の理解のぎりぎりのところで壮事をしていて、それが最後にどうなるかがわかっていない。どうすれは整然とものが作れるかわからないよ。CDのノイズのなさはいいと思っているから、それが自分の音楽に取り入れられればいいんだけどね。

 

 つまり君の音楽のノイズは必然的なものだと。

 

 ああ。ボクはよくコラージュの手法を使っている。何かをやって結果が良ければそれは一旦置いといて、別のことをやる。すると、また別のものがそれに合うと考えたりする。でそれをスピードを落としてグビングしなおしたりなんかするから、最初からノイズがあるわけだ。ボクは自分でもノイズが好きなんだ。どうしてみんながそれを嫌がるかわからないね。例えば、ボクは今朝、展覧会で音楽を聴いていた。カセットの具合が悪くて、ボクはそれを調整しなきゃいけなかったんだ。ショーにでかけていき、それを聴いてボクは「これはノイズが足りないな」と思ったから、カセットのドルビーを切った。すると、またあの“シャー”という音が元気よく出てきたよ。

 

 確かに、ホワイト・ノイズを発生させる機械を売っていて、眠るために、お金を出してそれを買う人がいるわけだからね。海だって大さなホワイト・ノイズ発生機みたいなもんだ。

 

 ロサンジェルスに初めてきて、マリブに住んでいる人のところを訪ねた時のことは例外だね。海岸に家があって、中がとても静かなんだ。波がほとんど窓にあたって砕け散るって感じだったんだけど、よく見ると窓ガラスが三重になっていた。ボクが「こんなことをするなら海の近くに家を買わなければいいのに」って言ったら、彼は「しばらくすると君も気が狂いそうになるよ」って言ったよ。

  

 いっしょに仕事をした違中のことを聞かせてくれるかい?例えばU2は?

 

 素敵だ。彼らは、いっしょに仕事をした中ではいちばん素敵な連中だね。彼らといっしょにいると、いつも何かを発見できるから本当に楽しいよ。音楽だけじゃなくて、人といっしょに仕事をすることに。U2はとても大きな組織なんだ。1OO人以上の人がほとんどフル・タイムで関わっているんじゃないかな。正確な数はわからないが、ほとんどすべてアイルランド人で、多くは同じ学校にいっていたみたい。ひとつの民族のようだ。みんなが尊重の精神をはっきり持っている。彼らといっしょに仕事をするのが楽しいのは仕事が99%でかけひきは1%しかないからだね。多くの場合、グループにはデクエアル的なやり方がある一国連流の交換条件だ。“彼がソロをとったから君も”みたいな。これは悲惨だよ。ボクはそんなやり方には興味はない。メンバー間に尊重の精榊があれば「うん、そっちの方がいいアイディアだ」とすぐに言える。レコーディング・スタジオでこんな感じでやってる連中は見たことがないよ。それに彼らは、ボクが知る限り.グループとして仕事をしている唯一のグループだね。優秀なひとりの人間が他のメンバーをひっぱっているようなのとは違う。

 

 音楽的な方向性はすべてみんなが共同で決めているわけ?それともその都度違ったカ関係があるのかな?

 

 いつも共同というわけじゃない。例えば、ボノはよく発言する。彼はアイディアをたくさん持っていて、みんながそれをひきだすんだ。アダムはあまりしゃべらないけど、彼がしゃべることはいつも重要だ。そんな具合にバランスが保たれている。アダムは何週間もしゃべらない、なんてのは本当のことじゃないよ。実際、彼は無駄話もする。でも、突然「あの方向性には疑問を感じる」なんてことを口にするんだ。大事な疑問点を尋ねてくる。同じことがラリーにも言えるね。しゃべっている時間だけを計れば、グループの中に上下関係があるように思うかもしれないが、実際にはそんなことないよ。

 

 デヴィッド・バーンの話をしてくれるかい?

 

 彼とは『ブッシュ・オブ・ゴースツ』と、3枚のトーキング・ヘッズのレコードでいっしょに仕事をしている。『ブッシュ・オフ“・ゴースツ』を、思いついたのは、ここロサンジェルスだったね。ボクは、自分の声とか誰かの声というんじゃなく、そこら辺で聴こえている声だけを使ってレコードを作ったら面白いだろうと思ったんだ。その頃にはボクはロサンジェルスに移ってきていて、デヴィッド・バーンに電話をした。ボクらはそのアイディアを検討し彼がロサンジュルスにやってきた。ここやサンフランシスコ、ニューヨークで仕事をしたんだ。ずいぶんと時間がかかったよ。その原因のひとつは、その声を使う許可を得なければいけないという点にあった。許可がもらえす、トラックから声を取り除くはめになったものもあった----もうスリーヴも印刷してプレスもしてあったんだけど、そしてそれをリリースしたんだ。何年かして.ボクのマネージメントをしているところに、世界140力国のイスラム信者の代表のイスラム世界評議会だかなんだかから手紙が届いて、これ以上レコードが売られないように行動をおこす準備があると書いてあった。ボクらはコーランを使った曲も作っていたからね。だからそれも取り除かなきゃいけなかった。

 

 君とデヴィッド・バーンは、個人的な都分を残して仕事をしていた?それとも完全な共同作業だったのかな?

 

 かなり共同作業的だったね.最初に数曲やってから彼は、ほとんどいっしょにやった。機材がとても乏しかったな。ボクの機材はアメリカにはほとんどなかったから、古いシンセサイザーを寄せ集めて使った、彼はギター数本とベ一スを持っていたね。ほとんどすべてのサウンドをそれで作ったよ。そしてボクの感圧式マイク----医療に使うやつさ。こんなものを使うのがカッコいいと思ったんだ。これがあると何でもパーカッションにできる。ボクはガラスの片面にこのマイクを付けて、もう片面でプレイした。ボクらはセッションの間にいろんを楽器を発明したよ。それを全部演奏できたわけじゃないけどね。

 

 最近のサンプリングなんかに興味を持ってる?あるいはその他のテクノロジーに。

 

 ファックスはとても面白い発明だと思う。サンプリングよりもずっと面白いね。サンプリングは速くアクセスできるテープ・レコーダーだと、思ってるよ。描いた物が送れるファックスは大好きだ。ボクも1台持っているけど、ボクは図面て物事を考えるからね。こんな感じだと言ってそれを送ればちゃんと説明できる。これは素晴らしい。

 

 ボノとかデヴィッド・ バーンみたいな連中をプロデュースするのってどんな感じ?彼らの声をうまく使おうという時に苦労する点は?

 

 本当に歌える人間をプロデュースするのは実にいいものだ。そのふたりも違ったタイプの面白さを持った、いいシンガーだよ。デヴィッドには自分の声にうまく合った音楽を作れるという意味の面白さがある。テクニック的にはいいシンガーとは言えないが、声を生かした音楽を作っている。ボノは、あらゆる意味で素晴らしいシンガ一だと思う。何を歌っても素晴らしい。歌う度に違った味を出すね。ボクらがいっしょにレコーディングした時、ボノのトラックを8つ録ったんだが、どれも違った素晴らしさがあったんだ。ボノは一種の完全主義者だから、歌い方や表現を推敲しながらやっている。いつOKをだすかという判断は、ボクよりダニエル・ラノアの方がうまい。こちらがストップをかけないと、ボノは延々とやってしまうことがあるからね。

 

 将来の話を聞かせて欲しいんだが。また違った世界の音楽に興味を持っているの?

 

 前からアラビア音楽が好きだったんだ。あの装飾的な歌い方が面白い。ちょっとフラクタル理論的な感じ-----歌の一部を採って顕徴鏡で覗いてみると、そこには全体と同じ形が見える.みたいな。アラビア音楽には、本質的にボクと近いものがあると思う。空高くから森を見ると、ずいぶん複雑て面白く見える。そして中の1本の木を見ると、これもまた複雑でその木の1枚の葉を見てもやはり複雑だ。複雑さは全然変わらないし、その豊かさも変わらない。今作られているシンセサイザー音楽はその逆だから、のめり込んでいくのが難しいよ。ボクには、あれが、一定レベルまでくると豊かさが薄れてしまうように思えるんだ。

 


 INTERVIEW:CARL STONE  TRANSLATOR:ATUNORI ASAO   ( hataeno )