「『lt's Gonna Rain』は、決して忘れられない教訓を学んだ重要な作品だ。曲の中でのインプットとアウトプットの関係が、とても複雑だということだね」と、イーノは敬意を表した。「『lt’s Gonna Rain』は、オリジナルのマテリアルをほんの少ししか使っていないが、これでも非常に複雑なシフティング・アウトブットができる。芸術作品というのは、ディテールを増幅するシステム、ある種の分析による増幅でもありうるところに関心を持った。私にとってミニマリズムで面白いところは、使う要素が少ないことではなくて、その本当に少ない要素がいかに多くを意昧しうるか、というところなんだ」

 

「ミニマリズムは、聴くことが非常にアクティプなプロセスであるだけでなく、クリエイティブなプロセスであることを、はっきりさせた。『lt’s Goma Rain』を聴いて楽しいとしたら、それは自分の知覚ブロセスが、何かを行なっているのを楽しんでいるんだ。ミニマル・ミュージックで起こることの多くは、自分の外部で操作することとはあまり関係なく、むしろ自分の脳が何かを操作するのを自分で見つめることに関係があり、それが魅力的なブロセスなんだ」「さて、私のように技術的に限界のある作曲家にとって、これはいい知らせだ。私がかつて手もとで使いこなしていたレコーディング・スタジオやシンセなどのテクノロジー以外にも、私が持っているものもある、ということだから。すなわち私には、脳という巨大なディバイスもある。これを自分の作品の一部に何らかの形で活用できる」

 

ここから生まれたのがアンビエント・ミュージックの一連のアルバムだ。ハロルド・バッドとチター奏者のララージと共に、彼は環境音楽を作った。これは言わば、音の壁紙のようにも使えるし、注意深く微妙な変化も聴き分けることもできる。「自分たちの作っているものは、環境の一部である。ちょうど今われわれが聴いているものと同じように……という風にとらえるんだ。作曲家はあたかも、聴き手がレコードを買い、家に飛んで帰ってそれをかけ、映画なんかを観るみたいにステレオの前に座り、耳をくぎづけにして聴くかのごとく考えて音楽を作ってきた。しかし御存知のとおり、そうやって音楽を聴く体験は、もはや晋通のことではなくなってしまった。音楽はみんなの人生のタペストリーに織り込まれている。だから、音楽を昔みたいに聴くことがなくなってきてるんだ。そこで私は、ちゃんと注釈のついた音楽を作るというアイディアをエキサイティングだと思った。“この音楽はこれ専用です。この音楽は、環境に溶け込むということを意図しています”というような音楽がね」

 

では、なぜイーノは単なる環境を録音しないのか ---『Dawn Okeefenokee Swamp』や『Thunderstorm』、『Subway at 42nd Street』のように---、と疑問を持つ人もいるだろう。彼はよくやっているのだ。ただ、プロセシングを終えたあとではそう聴こえないだけだ。「一時は、特別な構造の妙なマイクで、環境音を拾っていたこともある。たとえぱ普通のマイクの端にチューブをつけて、チューブを駐車場に通して、スタジオまで引っ張ってくる、といった風に。こうすると、原理的には、外界からのレゾナンスがサウンドに影響してくる。この手の実験は、やれる範囲が限られているし、そんなに成功したとは言えないな」と 自嘲的に笑うイーノは、際立って魅力的だ。

 

テ一ブ・ルーブとその繰り返しは、イーノの“Oblique Strategies”のひとつ、“反復は変化の一形式である”を思い出させる。75年にイーノとアーティストのピーター・シュミットはObliqueStrategiesを開発した。100枚以上のカードのそれぞれに警句が印刷されたものだ、イーノはレコーディング・スタジオにいて行き詰まりを感じると、このOblique Strategieoを出してきて、1枚を引く。すると“妙案を発見、それを放棄せよ”とか“突然破壊的で予期できぬ行動をとれ”、“誤ちをかくれた意図として尊重せよ”、“自分の口をテーブでふさげ”などと出てくる。そしてそのとおりにするのだ。

 

「つまり、Oblique Stratebiesとは、スタジオでそのとき思いついた以上、より広い視野で考えることができることを自分に思い出させて、パニックから脱出するためのものだった。“ああ、これはどうなるんだ!”とか 、“どうにもならないじゃないか”とか、“これじゃ2年前にやってたのと変わりない”といった恐しいパニックにおちいったとき、1枚の力一ドを引くことで、本当に教えられるんだ。私の信仰だね。そこに指示された一連の行動にちゃんと従っていたから、カードを引くにも、軽い気持ちでは引けなかっね。それまでやっていたことをすべてやめて、妙なこと、たとえば長い散歩とかしなくちゃいけなくなるかもしれないのだから。パニックしてその日何もできなくなってしまうのがいちばんまずいしね」

 

イーノはもう力一ドは持ち歩かない。すべて頭の中に入っているからだ。しかし、『Another Green World』は、これの使用に強い影響を受けたという。同アルバム中の「Sprit Drifting」が、いかに偶然に頼って作られたかをイーノは説明する。

 

「あの曲を作り始めたとき、私は忍耐の限度にきていた。まる1日やってみて、テープには何も残らないも同然、何の意昧もなく思えた。本当にひどいものだった。で、これは本当の話だけど、シンセを弾きながら、自分のやっていることがわからなくて泣いていたんだよ。そこでOblique Strategiseを引くと、“そのまま続けて”とあるじやないか」彼は椅子に深く腰かけ直し、思い出し笑いをした。「期待したのよりずっと低いレベルの警句が出てきて、引きつって笑っちゃったよ。もっと、座り込んで額をかきむしるような答を期待していたのにね。でも、答えのとおりに、30分ほどそのまま続けたら、突然曲がまとまりだした。案際、私が今でもとても気に入っているくらいの曲にまとまったんだよ」

 

アコースティック・アヴァンギャルドのオブスキュア・レーベルだろうが、アフリカのグループ、エディカンフォを手がけようが、イーノの“シンセサイザーの魔術師”という評判は消えない。本人は否定したがっているのだが。

 

「私にとってのシンセの問題は、昔からずっとそうだったが、聴こえてくるのは少数の電子の動きの直接的な結果にすぎない、ということにつきる。だから、いつも同じ均一なサウンドが、恐しいほど退屈なんだ。その点、グランド・ピアノなどは実にたくさんの要素かある。環境、気候、物理、地質学的要因など、いろいろなものがからんでいて、厳密にはピアノは、決して同じ音を二度とは出せない。家にあるグランド・ピアノは、ひとつの音を出す以外はプレイしない。そして出た音が消えていくまで耳を傾ける、それからまたその音を出す。そして消えていくまで耳を傾ける。そうして何時間か、その音を聴いて過こすんだ。私は、家のグランド・ピアノのG#の音がすっかり気に入ってしまった。全然あきないんだ。いつでも必ず、それまで聴いたことのなかった倍音が現れて、振動が異なっているんだ。シンセで気に入らないところは、シンセがこういう風こはできていないことだ」

 

彼のシンセヘのアブローチは、より生き生きして、感触をよくするというものだ、スタジオでは、テーブの操作からシグナル・ブロセシングまで、あらゆるものを使って、生き生きした存在感のあるものを作る。しかし、DX7を使っているイーノも、サンプリング・マシンは便おうとしない。

 

「興昧がないんだ。私にしてみれば、サンブリング・マシンはテープ・レコーダーに過ぎず、おまけにテーブ・レコーダーより面自いということもない。シンセが面白い理由はふたつある。ひとつは、新しいサウンドを導入することができるということと、もうひとつは、サウンドがどのようにできているのかを、作業を通じて学べる。ということだ。その点D×7は便利だ。私はほとんど、サウンドの成り立ちを調べるために使っている。ここがこうなったら何が起こるか?グランド・ピアノのようなサウンドを作るふたつのオペレーターの関係が正確に分かったりする。次に、“ではこのイミテーションの関係と同じものは、本物のグランド・ピアノでは何に相当するだろう?”と考える。グランド・ピアノのイミテーション作りに興味はないが、サウンドかどのように作用するかを調べるのに興昧があるんだ」「私の結諭は、あらゆる点で、機械は信頼できないということ。昔は古いシンセが好きだったが、それはあんな風だったからだ。私が初めて便ったシンセ、EMS、スーツケース型のAKS、初期のミニムーグなどはみな不安定で、ある種のキャラクターがあった、これらにさらに、いろいろなキャラクター持つディバイスをつないだから、予期できない部分が多かった。それらの相互作用でもって、有機的で均等でなく感じるサウンドが得られたんだ」

 

イーノの新しい24トラック・ホーム・スタジオ、そこでの実験やそこで生まれる音楽を聴いた人は、まだほとんどいない。聴ける機会は、彼のビデオ展だけだ。イーノはレコード作りにあきてしまったのだ。「15年から10年くらい前にはあった目新しさが、もうレコードにはなくなってしまった」と彼は言う。彼はこのところ、ビデオの多面スクリーンの配置を変えてみるのに凝っている。そして彼は、今でもこのための音楽には、オート・リパース・カセットを何台か使って作っている。8〜48チャンネルのサウンドと音楽がランダムに同期されて、ノン・ストップで流れる。偶然にも、イーノが初めて影響を受けたひとり、ジョン・ケージも、これに似たシステムで最近作業している。

 

「これは、アンビエント・ミュージックに求めていたフィーリングに近い。似たものが続くか、同じものは決してない、という意昧で、持続するという概念が欲しいんだ。自然のプロセスにちょっと似ているね。たとえぱ川の流れを観察するとか。だから私も、同質ではあるが、変化を続ける音楽を作りたかったんだ」

 

その大らかな流れの中で、プライアン・イーノもまた、ゆっくりと変化している。

 


Keyboard Magazine Professional 1988.2

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