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interview 1986  summer


 

AURORA MUSICALIS

 

 

ブライアン・イーノは13枚のソロ・アルバムと7枚のシングル、その他多くの共作(ロキシー・ミュージック、デビッド・ボウイ、ジョン・ケール等)やプロデュース作品(トーキング・ヘッズ、U2等)音楽活動で最も有名である。映画やコマーシャルの為の音楽も手掛けている。しかし、16歳の時から5年間アートスクールに通っていたイーノはヴィデオ・アーティストでもある。彼の作品はヴィデオ・テープに収められているだけでなく、ヨーロッパやアメリカ、日本など45ケ所のギャラリーや公立施設で視聴覚設備(インスタレーション)として使用されている。彼のベニスにあるカヴァリーノ美術館での視聴覚装置は、真っ暗な美術館内にそれぞれ形の違う五枚の長方形の薄布の後ろにヴィデオ・スクリーンが据え付けられており、それらの色がゆっくりと流れるように変化してゆくというものだ。このヴィデオ装置に付けられた音楽は、ゆっくりと次第に弱くなって行く鐘の音のようなもので、まるで単純なクラシックの組曲が徐々に終わって行くときの感じだ。音楽と色彩が繰り返すことなく、永遠.に変化し続けていくような感じがするという。その装置でイーノは視覚テープであれ、聴覚テープであれ永遼に変化し続けるテープ技術の使用法を作り出した。

 


 

 貴方のなさっていることよって音楽を定義する新しい用語が増えてきたのですが、我々の音楽の概念は変わりつつあると思われますか。

 

 私達は録音された音楽をやっと理解し始めたばかりの段階にいます。1920年代頃までは作曲家は限られたパレットの上、つまり例えばクラリネットの音域の限界だとかダブル・べースや弦楽器一般の決まりきった響き方の上で仕事をしていました。だからサックスやワーグナーが使った特殊なチューバやあるいは第三のペダルのあるスタィンウェィのピアノのような新しい楽器が発明された時の人々の喜びは大変なものだったでしょう。新しい楽器はその時代の音楽の可能性をグンと大きくするものでした。皆大騒ぎしてそれらの楽器の為の曲を作りました。ドビュッシーがスタインウェィの3本ペダルのピアノを使って作品集を作ったように。ここ30年間の音楽に何が起こったと言えば、殆ど毎日といっていい位のぺースで新しい楽器が開発されたのです。
 今は新しい楽器の音を作り出す機械があります。例えば「立ち上がりが鋭くて残響の長い、しカも残響カ進むに従って高い和音になるような楽器が欲しい」と思えば、ちょっとプログラムするだけでそれを得られます。それにレコーディング・スタジオでは、或る楽器の限定された音をまるでそのパラメーターが無限であるかのように扱うことが出来ます。ピッチはどんな長さにも変えられるし、音質を完全に変えてしまったり、音の長さを変えて無限にしたり非常に短くも出来ます、ポップ・ミュージックが今までしてきたことの殆どはこの種の実験です。
 ポップ・ミュージシャンのやっていることは1820年頃までに知られていたことだ、という音楽学者の意見は楽譜上に書かれた音楽に関しては当てはまるけれども彼らは何処で本当の革新が起こったかということを見落としています。今日、注目すべきことは連続としての音楽や多声曲やそれに類するものの発展ではなく、如何に新しい素材を上手く扱うかという点です。ポップ・ミュージックに関して面白いことの一つに、レコードをほんの5分の1秒聞いただけで、そのレコードを判断してしまうこともしばしば可能であるということがあります。ごく僅かな一節を聴いただけで「ピンと来る」かどうかの判断ができるわけです。ヒットしたポップ・ミュージックの殆どはメロディーやコード進行以前に音そのものが魅力的だったのだと言えます。人間が聞くのは、まず音そのものなんです。
 録音装置の出現によって如何に私達と音楽の関係が変わったかという最も分かりやすい例がソニーのウォークマンです。私自身は使いませんがあの小さな音のカタツムリを持ち歩くというのは、全く凄いアイデアだとは思います。音楽を聴く場所と方法の観念が大きく変わってしまいました。耳から聞こえてくるものなのだから音楽には違いないけれども、例えばべートーベンなどとは全然違うものでしょう。作られ方も演奏され方も又聴かれ方も全く違っています。凄い経歴の持ち主ですから比較するのがそもそも間違いかも知れません。

 

 貴方は御自分の音楽をアンビエント・ミュージックと呼んだり、また別の時には「ホログラフィック」とか「ディスクリート」と表現したりしていますが、このアンビエント・ミュージックのコンセプトはどのようにして生まれてきたのですか。

 

 アンビエント・ミュージックに対する私の考えは或る出来事に起因しています。私は或る事故に遇って(タクシーに跳ねられたのですが)動けなくなりました。ある人がお見舞いに来てくれてその人が帰ろうとした時に私は「部屋を出る時に何かレコードを掛けて帰って呉れないか。」と頼みました。その友人は私が貰ったばかりの18世紀の古いハープ音楽のレコードを掛けて呉れました。その頃私のステレオは少々こわれていて、スピーカーは片方しか鳴らなかったしボリュームは絞ってあったのでその音は殆ど闇こえない位でした。外は雨が降っていて私は「うるさいなあ、外の雨音で聞こえないじゃないか。」と思いました。けれどもスウィッチを切ることは出来ないし、レコードが終わるまで待つしかなかったのです。寝ている状態で雨音に耳を傾けていたので時折少し強く降る瞬間かあるいは吹き降りになった時に少し聞こえてくるだけでした。
 そのうち、私はこれは良いなと思い始めました。本当にそれは聴いていてとても心地良かったのです。でも何故こういう音楽がないのだろうかと考えました。何故私達はこの混沌とした世界の中の或る小さな調べ、例えばこの美しい雨雫のようなものの無作為的なレコードを買えないのでしょうか。聴く行為を通して私は何かの先端部分を聴くセンスや、その先端の下にもっとなにかを見つける力を身に付けることができました。そして私は自分の音楽をこの方向へ持って行きたいと思ったのです。私の最初のアンビエント・ミュージックの作品である「ディスクリート・ミュージック」を作ったのはこの直後の1975年のことでした。
 私はその時までに数枚のポップ・ミュージックを作っていました。ポップ・ミュージックは聞き手に対して或る特定の聴く心構えを要求します。そして私は自分の音楽の聴き方は当時私が作っていた種類の音楽とは無関係なものだということが段々分かり始めてきたのです。次第に別のサウンドを求めるようになりました。音を環境の一素材として聴き始めるようになり、聴き取れない程遠い地平線の辺りの音や耳に聞こえる距離の外に在る音を求めました。「君はポップ・ミュージシャンだったのに随分変わったね。ああいうことはもう決してやらないだろう。」とよく人から言われます。これはある意味では正しいと言えますが、別の見方をすれぱ私のやってきたことはポップ・ミュージックにとって鍵となるに違いない。歌とかコード・パターンとかビートなどといったものは全て捨て去り、音の素材のみを扱うようにしたのですが、これは正に現代の音楽を特徴づける一つの発明だと思います。
 わたしが「ホログラフイック」と呼んでいる音楽はこのようにして生まれてきたものです。ホログラムの特徴の一つは、それを小さく粉々にしてしまっても尚完璧なイメージのための情報を伝達出来ることです。例えその断片がどんなに小さく意味がぼんやりしていても、これは即ち私の曲が人にどんな感じを与えるかということに繋がります。つまり曲のどの部分をとってみても全体のイメージを掴むことが出来るのです。

 

 貴方は自分の音楽を描写するときに風景のイメージを用いますが、これは何か曲を作っている時に意織しているものなのですか。

 

 それは風景に対する私の気持ちと大いに関係があります。自分は一体何処にいるのだろうという感覚と風景とを結びつけることが曲を作るときのポイントになります。地理や光線や天候について考え始めることが出来るのです。その後ではとても楽に曲が浮かんできます。
 私はかってピーター・シュミットという今は亡き画家と大変親しくしていました。1930年頃に生まれた人物です。彼の絵は抽象的であることからはかけ離れていて、特定の方法も必要としないような規模の小さなおとなしい作品なのですが、とても謎めいていて・…謎めいているというのは余り適切に表現ではありませんが、まるでその絵のあらゆる部分が他の部分に隠されていて、すぐには絵全体を見たような気分にはならないのです。彼は風景画家になっただけでなくもっと悪いことに水彩画家になったので70年代中頃のイギリスの前衛芸術界に於いて極めて人気が無くなってしまいました、しかし私は彼のこの動きに大変興昧を持ちました。というのも同じようなことが私の音楽にも起こっていたからです。他のポップなレコードやデュシャン風のトリックを使ったポップなものを参考にして作った喧しくて難解でひとひねりしてあるようなものを作るのはやめてしまいました。すると大抵の入は「なんとまあ軟弱になってしまって。」と言うのですが私は本当に音楽に於ける一種の風景的な感性に心をひかれているのです。つまり特定のタイプの空間やある種の場所で聞こえてくる音の群に耳を傾けてみようという考えです。レコード音楽の特徴の一つは、作者は新しい楽器だけでなくその音楽のための新しい場所をもデザインする立場にあることです。残響やエコーを用いて化粧を施すようにこれを行う人もあるし、そうではなく作曲の段階で行う人もいるでしょう。
 私の風景の関心とは絵画から人間の姿を除去するところにあります。風景画の中に人物が描かれているとその絵が全然違うものになってしまうのはお分かりになるでしょう。例えその人間の姿が小さくてもそれに自動的に焦点が合ってしまい尺度や深度の問題も左右されてくるのです。私は詩を書くのを辞めることによって人間の婆を風景から取り除きました。その後またこれが戻って来始めているようにも思いますが以前のような形でではありません。これは非常に面白い逆説です。なぜなら20世紀初期の画家達は彼らの作品を音楽のようなものにしたい、音楽のように抽象的に描ける自由を得たいと言っていたのですから。今私にとって興昧深いのは、音楽が正に絵を描くのとそっくりな、形象的で風景のようなものだという点です。古典的な音楽作品の持つ「洗練された」音とは、俗世の音とはかけ離れた高潔で音楽的なものです。「音楽」と「ノイズ」の間にははっきりした区別があります。音楽家と聴衆に区別があるように。

 私はこういう区別をぼやかしてしまうのが好きで複雑に混ざり合った音や地平線に消えてしまう前の音、純粋な雑音例えばロンドンの街のざわめきのような音を扱うのが好きなのです。道路から充分に離れてハイドパークのベンチに座ってごらんなさい。あなたは車一台一台の音を知覚することは出来ないでしょう、あらゆる音の混じった全体的な音しか聴けません。私にとってはそれが、夜コンサートに出掛けるのと同じ位素晴らしいことなのです。区別のないこういう音楽を作ることが今現在の私がし、今後も続けてゆくことだということが分かりました。1985年に催されたベニス・ピースの鐘のように耳にそれほど近付かずに奏でられるイベントなど、ぼんやりとして不明瞭なものもあります。そして時としては殆ど耳に聞こえない位のそういう音がヒントになるのです。これらがアンビエント・ミュージックの一側面であり、多くのライター達が取り上げなかったことです。その代わり彼らはアンビエント・ミユージックをムザークの典型だとかバック・グラウンド・ミュージックだと呼ぶことに焦点をあてているのです。まあ関連はあるかも知れないけどある意味では想像も出来ません。
 私は段々とポップ・レコードの裏側に含まれている要素に興味を持つようになってきました。レコードを作るときの型にはまったスタイルとは先ずドラムとべースを合わせてギター1本か或いは音を分けたいときにはもう1本のギターを用意するんでしょうね。それに1本目のギター用のエコーが1台、音はまるで映画のスクリーンのように作られてゆきます。深みを出すためにはちょっとリバーブを掛けたりこっちを弄(いじく)ったりあっちを弄ったりするわけです。これは映画的な深みであって浅浮き彫りに似ています。私は以前からこういう定則的なレコードを聴いていても表面上の音の対象の間から裏側を聴こうとしたし、楽器が演奏を止めればもっと良くなるのにと思っていました。だから私の後期のポップ・レコードや他の人と一緒にやった作品では背景の音に随分と気を使うようになりましたし、各楽器の音をバック・グラウンドと呼ばれる程度の音になってしまうまで絞るようになりました。次第に表面に出ている音はさほど重要ではなくなってきました。それは只耳に聞こえて来ていた一個所に過ぎなかったのです。音楽に関する普通の注意力には分類体系などありません。

 

 アンビエント・ミュージックは何処でどの様に聴かれると想像していましたか。

 

 第一には公共の場ですが、貴方がたがレコードを作るときにはリビング・ルーム向けのものを作るのでしょう。「ミュージック・フォー・エアポート」を1978年に作ったときの最初のアィデアは、ケルン空港のための音楽をなにか作ろうというものでした。ある早朝、私は飛行機を待ちながらその空港のロビーに座っていたのですが、その時この場所はなんて素敵な無駄な空間なんだろうと考えていました。あの事故から回復したときの体験を思い出しながら、此処にああいう種類の音楽を流せばと思いました。それからどういったのが良いかを考え始めたのですが、他の音に遮られても大丈夫な音楽でなくてはならないということは明らかでした。なぜなら飛行場では常にPAアナウンスが流されるからです。そして大音量で流す必要のない音楽でなければなりませんでした。というのは誰も飛行場の騒音をあれ以上大きくはしたくないでしょうから。もしも音楽が大きな音なら人々はもっと大きな声で話さなくてはならないし、すると今度は又音楽を大きくしなければならないということになります。会話の声の高さと衝突しない周波音域で作らなければならないと分かったので、ある曲では非常に低いべースの音を強調していますし、又他の曲ではお喋りの邪魔にならないように、とても高い音を強調してあります。この考えは機能している空港という容器そのものに相応しい音楽を作ろうとする試みでした。その奥にある考えとは新しい種類の音楽の適所を提案することでした。

 

 貴方は「音楽のインテリア・デザイナー」などと呼ばれていますね。最初私はこれは現代の音楽が昔の「フローズン・ミュージック」の様式と同類の「高尚」な芸術ではなく、むしろ「低次元の」芸術と普通考えられている事実に対する解決の糸口になると思ったのですが。

 

 インテリア・デザイナーと言われるのにはある種の恥ずかしさが付きまといます。でもそれはとても素晴らしい重要な仕事だと捉えられるべきだと思いませんか。基本的には西洋の建築家というと、紙の上に走り書きから理想の建物を創造して、その中のいくつかを実現させる人間を思い浮かべます。これに反して私の場合イソテリア・デザイナーといえばある与えれた空間を少し左に動かしたり或いは別の部分を変えたりという風に経験的に処理していく人を思い浮かべます。私は余り大規模なプランを立てませんが、物事の組み合わせを入れ換えたり違った所へ移し替えたりはよくします。だからそういう風によばれるのも必ずしも間違ってはいないでしょう。

 

続く