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interview 1986


 

刻々と移り変わるシーンの中で、その流れの常に根底を形成し続けている、ミュージシャン達がいる。ブライアン・イーノもそんな中の一人だ。数年来彼の作品においては、“空間”“環境”というテーマの中で音楽としてだけでなく、ヴィジュアルな面においても実験がなされており、またそれは彼がミュージシャンとしての存在そのものをある側面棄ててしまっている感さえもある程に、彼の行動領域はミニマム化している。そんな彼が音楽について、人生についてストレートに語った最新インタヴユー。

 

あなたがいわゆる世間で言われるところの“環境音楽”を作るきっかけが交通事故で入院したことだそうですが。

 

僕が回復を侍っていたときはベッドの上で動くことのできない状態だった。ある日、ガールフレンドが18世紀のハープ音楽のレコードを持ってきた。彼女が病室から出ていくときに、そのレコードをターンテーブルのトに乗せたままにしていったんだが、それはとても静かで、外はひどい雨だったから、ほとんど聴こえない位のものだったんだ。最初はそれに腹をたてて、こんなレコード聴くものかと思ったんだけれど、ベッドの上から動けなかったのでレコードを取り換えられくてね(笑)。そうしているうちに、これは新しいタイプの音楽の聞き方だと思い始めたんだ。するとそのレコードが気に入ってきて、4・5日間ずっとそればかり聴いていた。同時に、そもそも音楽というものはどういった目的を巣たすものなのかを考えてみたんだ。そのとき、これまで自分が作ってきた音楽では、僕がこのとき聴いた音楽のようなことは出来ないことに気付いた。僕は世間では「ロック」と呼ばれるレコードも作ったけれど、少し違った心地よいものだと思ってる。

 

あなたの作品を聴いていると、聴き手のいる空間そのものに重要性があるように感じられるのですが。

 

僕の音楽にはドラマチックな瞬問がやってくるように組合された多くの独立の循環があるんだ。それはつまり白然環境の中に存在するものでね。子供の頃、よく森でかくれんぼをしたんだ。その森は誰一人として入った事のないような所でね、よく散歩しながら、その森すべてが自分と違った空気の中にあるみたいに感じられた。僕はあたりを走りまわったりするうちにだんだんと、それがありのままに見えるようになった。次にそこにやって来た時も、少し違和感があったけれども、どこにどんな木があって、穴ぼこがあって……と気憶していくうちに、だんだんその森に対する自分の認識が変わっていくだ。何度も何度もその森に行くにつれ、ね。つまりある空間に入った人間は、その空間にある一つの認識を持たざるを得ないんだ。それは少しずつ自分に同化していく訳さ、ちょっとしたドラマティックな瞬問を何度も経てね。その意識と空問のギャップに僕の音楽は入り込むように作られているんだ。

 

こうして聞いているとあなたの音楽はすべて経験に裏付けられたもののようですね。

 

そうだね。自分の音楽について、他人と討論したり、妙な理論付けをする気はないな。そういう自分自身を投影させてみたりすることには全く興味はないし、そんなことをやってる間にもっとやるべき多くの事があるはずだ、ただ僕が、言えるのは、音楽にとって唯一の人間性って、言えるものは、結局“聴く”ことだけなんだって位さ。

 

それはつまりあなた自身と他人を比較したりする事や、しいては自分が特殊な人問であること、どういう才能を持つ人間であるかということをアピールする必要はないということになりますね。

 

 

そんな大それた意昧はないけれど、他人を戚嚇する必要はないよね(笑)。僕の人生が他の人と比べて連うところは一点にとどまらないということさ。僕には住むところも、帰るべきところもない。結婚していないし、特定のコーポレーションで働いているわけでもない。人生は僕にとって放浪なんだ。明日がやってくることも考えないし、生き延びることを考えてもいない。系統というものが人生にないんだ。

 

それはあらゆるシステムにあなたが理没しないようにしているという事でもあるのではありませんか。

 

そうだね。システムというものの最も重要な点はそれに使われてしまわないようにすることだからね。自分がシステムではない訳だから、自分の行動はすべて“日常”であって、音楽を作る事も何も特別な事じゃないのさ。

 

そういった自分らしさ、本人であり続けるという意昧でのナイーブさを失なう恐怖というのは感じませんか。

 

君が大地の言葉もわかるのなら、森へ行って木に聞いてみたらどうかな。一体どうやって育ったのかってね。全てが木にとっては世界だし、全ての世界はその中に他の世界を包含しているんだ。その意味で木はいつもナイーブなのさ。無邪気さというものを失なってしまったと嘆いているアーチストは沢山いるね。彼らは、今はもう何も出来ないと言うんだ。それは彼ら自身のいる世界の中だけで動いているからだよ。少し離れた回りを走っていれば少しはナイーブになるかもね。ただ走り続けなくてはいけない。それによって自分にとって新しいシチュエーションを発見するのさ。僕の場合、興味のあることしかやらない。それが自分のナイーブさを守ることになるからね。自分がコントロール出来ないような状況がこない位置で活動するように心がけているね。

 

それは最終的には自分を葬り去ることになりませんか。

 

ハハ、そうかもしれないけれど、僕はどちらかというと日和見主義なところがあるからね(笑)。庭師だった父が死ぬ少し前にこんな事を言ったんだ。「庭師が庭をくま手で掃いたり地面を掘ったりすると響きが生まれるだろう。おまえはそういう音楽を作りなさい。大地のように、全ての人々に響く音楽を」ってね。

 


Fool's Mate 86.3