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“テクノロジーのモナ・リザ”“新しい時代のエンターテーナー”“負のカリスマ”“テープの魔術師”。ブライアン・イーノに付けられる形容詞は、単なるミュージシャンではないことが一目瞭然にわかる。肉体よりも頭脳、動よりも静、感覚より思考。既成の表現形式の枠を越えて、イーノ自身の宇宙を作り出す。そのインテリジェンスと独特の創造哲学は、ロック・ミュージックだけではなく、アートと呼ばれるあらゆるジャンルに影響を与えている。

 

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1948年5月、イギリス生まれ。父親は郵便配達夫。アート・スクール在学中からグループを結成、卒業後ロンドンの地方新聞社のデザイナーとして3ヶ月勤務。中古の音響機械の修理販売にたずさわり、ロキシー(技術アシスタント)として参加。後にシンセサイザーを担当する。24才のとき『ロキシー・ミュージック』でレコード・デビュー。自分自身で“ノン・ミュージシャン”と規定しているとおり、総合的なプランナーやプログラマーという立場を守っている。73年にロキシーミュージックを脱退、ソロLPを出すと同時にデビット・ボウイをはじめとするミュージシャンとの共作、ウルトラヴォックス、ディーヴォ、トーキング・ヘッズのプロデュースや、映画、TVなどの音楽政策など、常に先端の位置を歩き続けている。

 

クラッシック系の現代音楽や民族音楽への接近とテクノロジーを駆使した音創りから、環境音楽(アンビエント・ミュージック)というコンセプトを構築した。ここ数年は、環境音楽には映像が不可欠と考えはじめ、ビデオ映像とのコンビネーションによる作品を発表している。ニューヨークのラガーディア空港で流すことを前提にした『ミュージック・フォー・エアポート』にビデオ映像を付け、実際に、ラガーディアで放映されている。

 

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今回の来日の目的は、このビデオ・パフォーマンスを東京で行うことにある。日本、特に東京に興味を持っていると彼は言う。NYで、東京展(7/23〜8/7 ラフォーレ・ミュージアム赤坂)の準備を進めているイーノを訪ねた。

 

イーノは、まず彼のペントハウスへ案内してくれた。エレベーターを降りて、さらに階段を上がると屋根にでてしまった。ダウンタウンのスカイクレーパーを眺めながら歩いていくと、下へ降りるはしごがある。イーノは身軽にトントンと降りていく。「ここが私の庭です」。世界で最も凝縮した都市、マンハッタンのソーホーにいることを忘れさせるほどのよく手入れされた庭が、そこにあった。「見事な庭でしょう」自慢気にいう。草木に水をやりながら、葉についた虫のことを心配している。

 

3、4ブロック離れたところにある古いオフィスビルの一室にスタジオがある。デスクとビデオの機械、オーディオシステムの他は何もない。大きな窓(彼のビデオ作品のほとんどはここから撮影される)から、自然光のさしこむ中、イーノは、ゆっくり言葉を選びながらインタビューに答えてくれた。

 

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私のビデオ作品は、すべてNYが素材です。道を歩いているときは騒がしく、せわしない空間も、ビルの11階から眺めると40年代か50年代の風景に思えます。アクティブで混乱した部分が、限りなく静かな都市になります。それが心地よいのです。窓から、もう一つの都市を作り出すのです。

 

一度だけ田舎で撮影しようとしました。管理された人間が生み出した堅い感じの物都市と柔らかく雄大な雲のコントラストが面白かったのに、田舎では、すべてが柔らかくなって満足できる作品になりません。都市でも、田舎以上に自然を感じることが出来ます。私は、現在NYが大好きです。

 

音楽を始める前、私は絵画を勉強していました。音楽を創っているときも、絵画的、映像的に考えていることが多いのです。LP『オン・ランド』はセザンヌの1904〜5年の作品からインスピレーションをうけました。セザンヌの風景画のような音楽を創りたかったのです。私自身は結局、絵をやめてしまいましたが、現在のビデオのコンセプトを発見したとき『私にも絵が描ける』と思ったのです。数年前の落とし物を見つけたのです。

 

私のビデオ作品は絵画なのです。画面を横にして映すのは、一つはNYが、高層ビルによって成り立つ縦型の都市であるということと、横にすることによってモニターがテレビであることをやめるからです。ストーリーを語る映画的なテレビではなくなり、絵画的になります。

 

私が興味を持っているのは、リスナーが今まで持っていた“聴く”とは異なった“聴く”という感覚を与えることです。最近のレコードで私がやっているのは、ある人がある空間にいて、その人自身のいる場所を見つけられる音の空間を作ることです。全く知らない地球上のどこかの空間の音によって、そこにいるように感じさせる。そして何回も何回も聴いていると、だんだんその音がフィットしてくるのです。そうです、私は音楽で常に物語を語っているということができるでしょう。

 

子供のころ私は誰も入ったことのない森を見つけました。それほど大きくない森でとても古い感じがしました。高い木が密集して、森全体が暗くなっていました。迷子になって、初めてそこに入ったとき、その森にあるすべての物が不思議に見えました。2回目にまぎれ込んだときは、木や小さなほら穴などから、前に来たことのある場所だとわかりました。何度か来るうちに、そこはとても親しみのある重要な空間になったのです。ここらあたりは好きなところだが、ここから向こうは面白くないというように、ささいなことまで覚えてしまいました。小さな花の集まっているところ、大きな木が立っているところと、だんだんフィットする場所がはっきりしてくるのです。

 

音楽でも、そのような小さな冒険を創ることができると考えています。初めて聴いたときは不思議な気持ちになっても、繰り返し聞いていると親しみを感じてきます。ディテールを知り、全体のムードを知ることによってね。あなたが、その冒険を受け入れることができたら、とても面白いことが、あなたの頭の中で起こるのです。ちょっとした休日を取るような感じです。

 

ほとんどのポピュラー音楽は、一枚のスクリーンと同じで、その裏には何もありません。受け取られ方も、そこにドラムがいて、そこにサックスがいていてというようにスクリーンをみているような形です。そういう音楽を私は望んでいません。私が興味があるのは、聴く人が野原の上に座って、そのまわりであらゆることが起こっては消えていくような音楽です。ありふれたことは起こらず、ただ進行していくのです。このような音楽は、聞き手によっては、野原の中心だったり、あるいはすみの方に座っていたりと、自由にいる場所を選ばせてくれます。これは、決して新しいアイデアではありません。昔から、たくさんの芸術家がやっていることなのですが、ポピュラー音楽の世界では、新しいことなのです。

 

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NYから東京へ。静けさを身にまとったイーノが何を見せてくれるか。都市に暮らす人にとって、彼が発する刺激は、国を越えて魅力的だ。