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interview 1983


 

 ビートルズ狂の嵐がイギリス中に吹きまくり、多感な年頃全部をその渦の中に連れ去っていた頃、ブライアン・イーノはイプスウィッチ・アート・スクールの中に閉じこもり、知的な生活を一人平穏のうちに送っていた。ジョンやポールそしてジョージやリンゴよりも、はるかに彼を夢中にさせるある物……その魅力に彼がとりつかれたのは、まさにその学校においてであり、彼が16才の時でった。イーノはそこで、テープ・レコーダーを発見した。それは、おそらく彼の人生の中で唯一最大の重要な発見であろう。そしてそれが、今日までずっと続いている音の実験という旅の始まりだったのである。

 イーノはイプスウィッチの教師に奨められて学校の録音施設を使っていた。彼らは革新的な芸術家集団であり、どちらかというと伝統的な教師陣が信奉している芸術に対する先入観を、何とかくつがえそうと懸命だったのである。彼らはまた、イーノの世界観の形成にも、少なからぬ役目を果たした。「我々は君に、何が可能で何が不可能かというようなことを教えるつもりはない」……このような環境の中で彼は、音と映像両方に関してありとあらゆる可能性を喜んで受け入れながら成長したのだった。その後、ウィンチェスター・スクール・オブ・アートに進み(彼はそこで1966〜69年の間にファイン・アートの学位を取得)学生自治会の会長に就任し、自治会の基金をコーネリアス・カーデュウ、クリスチャン・ウォルフ、ジョン・ティルベリー、そしてモートン・フェルドマンといった名声の高い前衛的な音楽家をレクチャーに招くために使ったのである。

 彼はカーデュウの『スクール-タイム・コンポジション』、ジョン・ケージの『サイレンス』、その他様々な系統の芸術家の概念に影響を受け(「彼らが強調するのは最終的な結果より、むしろその進行手順Procedureである」とイーノは説明している)、その後今度はイーノがアンディ・マッケイに招かれ、レディング大学の学生にレクチャーをした。その数年後、マッケイとブライアン・フェリーがアート・ロック・グループ《ロキシー・ミュージック》を結成したとき、イーノも加わるように誘われ、マッケイのシンセサイザーVCS3の演奏と彼らのミキサーをつとめるようになったのである。

 当時、イギリスはロックの黄金時代であった。マーク・ボランとT・レックスは、揺るぎない地位を獲得していたし、デビッド・ボウイは《ズィギー・スターダスト》の段階に入っていた。またエルトン・ジョンは批評家の賞賛に応えて、丁度《ホンキー・シャトー》をリリースしたところであった。そしてロキシーミュージックは、アリス・クーパー、ゲイリー・グリッターのようなグループとして始まったのである。イーノは視覚的なものに対する彼自身の才能によって、そのムーヴメントの中に熱狂的に飛び込んでいった。べた塗りのメーキャップ、アイ・シャドウ、ル−ジュ、そしてリップ・グロスをステージ上で誇示したのである。1972年、イーノは押しも押されもせぬロック・スターとなっていた。

 一方、このようなポップな見せかけとバランスを保つため、彼はある種ジキルとハイドのように、自分のシリアスな素質を発散する場を確保していた。

 早くも1972年には、キング・クリムゾンのギタリスト、ロバート・フリップとともに、イーノの自宅のスタジオで音の実験をし始めていた。その成果が2枚のLP《ノー・プッシィフッティング》と《イブニング・スター》である。これらの共作は、フリップのギターによるトーン・クラスターととぎれることのないサスティン、それとイーノのシンセサイザーによってプログラミングされたテープ・ループの無限かとも思われる能力、それらの組み合わせによって最初から禅のような音の流れを探求していた。この危険をおかしたアプローチは、ポップ・スターとしてのイーノの地位とは明らかに拮抗するものであった。それにもかかわらず、実験は続けられたのである。

 1973年イーノは、あの良く知られたロキシーミュージックからの離脱と同時に、自分自身のソロ・アルバムの制作に入った。それは、《ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ》に始まり、1974年には《テイキング・タイガー・マウンテン(ストラテジーによる)》へと引き続き、それらは2枚とも野心的で、才気あふれるダイナミックなポップ・プロジェクトであり、イーノのヴォーカルが全編にフィーチャーされている。イーノ自身は、今ではそれらを少しばかりナイーブだと見なしているのだが、一般的には1970年代のロックが生み出した最も冒険的で強力な意見表明の一つであると考えられている。第3番目のソロ・アルバム《アナザー・グリーン・ワールド》は、彼の経歴の中の重要な変遷を刻印している。この氷のように冷たく、そして何かを呼び覚ますようなアルバム(ほとんどヴォーカルはフィーチャーされていない)では、ポップ・スターとしてのイーノと、アーティストとしてのイーノが融合し始めたのである。イーノは、この後1977年に……彼のポップな仮面が脱ぎ捨てられる前に……もう一枚ポップス指向のアルバム《ビフォー・アンド・アフターサイエンス》を作ろうとした。しかしそれ以後、ロック・スター・症候群に対する彼のコメントは、全く批判的なものとなったのである。

 ここ数年、彼は人々とその周辺との動的な関係を活性化する音響……すなわち環境・アンビエンスに応ずる、また環境を高揚させる音楽……を研究中である。このアンビエント・ミュージックは、ミュザック(B・G・M)の快いポップなアレンジに変わるべきものとして機能し、また平穏を導き、思考するための空間を創造しようとしている。「何らかの方法で、場の感覚……風景・ランドスケープあるいは環境・エンパイロメント……に関係づけられた音楽を作るというアイデアは、ここ12年以上も前から、何度も私の頭に浮かんだ」とイーノは《オン・ランド》に対する彼自身の覚え書きの中で述べている。また同じく、こうも言っている。「音楽に対するこのような考え方を意識的に探求し始めたのは、おそらく1975年の《アナザー・グリーン・ワールド》の時からだろう。それ以来、私は空間を模写するというよりむしろ、誇張しねつ造すること、そしてタイム・ディストーションの様々な技術を用いて実験することに興味を持つようになった。」

 ところで、彼自身のアンビエント・ミュージックの仕事が忙しくないときには、イーノは数多くのアルバムをプロデュースすることに時間を当てた。デビッド・ボウイの3枚、トーキング・ヘッズの3枚、またトーキング・ヘッズの中心人物ディヴィッド・バーンとの共同製作で1枚(ファンクと、レコード・ラジオから取ってきたテープとのコラージュ作品)、ミニマリズムの作曲家でピアニストでもあるハロルド・バッドの2枚、そして第3世界(1)の啓示を受けたトランペット奏者ジョン・ハッセルの1枚、その他いくつかのニュー・ウェーブのバンドによるアルバム……それにはテレビジョン、ディーヴォ、ウルトラ・ヴォックス、そしてアンティリーズ・レーベルの《ノー・ニューヨーク》にまとめてフィーチャーされているようなロアー・イースト・サイド(マンハッタン)のいくつかのバンドが含まれている……などである。彼の最近のプロダクション・クレジットは、ガーナ出身のアフリカの音楽グループ、エディカンフォとのアルバムである。

 

 あなたはここ数年、何度かアンチ・シンセサイザーの立場を表明してきたわけですが、それにもかかわらず度々、あなたはシンセサイザーと結びつけて考えられてしまうようですね。

 

 みんないつも、私に複雑なシンセサイザーを売りつけようとしたり、あるいは市場に出ている中でどのシンセサイザーが最良だと思うかと手紙で尋ねてきたり……こんなことは全てばかげたことですが、みんなどうも私がそういうことを良く知っていると思っているみたいですね。私は、他の人にとってどれが最良のシンセサイザーかを示すような、そんなとんでもない手がかりなど持っていません。私にとって、そんなことは全然刺激的ではありませんし、また同じことを何度も何度も正確に繰り返すものに対しても、胸がワクワクするなんてことはありません。どうしてみんな感激するのか、私にさっぱりわかりません。私が言いたいのは、彼らは決して組み立て工程(アセンブリーライン)に感動しているわけではない、と言うことです。もしそのようなものを望んでいるのだったら、フォードの自動車工場へでも出かけていって、車の外郭が組み立て工程から出てくるのを見ていればすむことですから。

 私にとってシンセサイザーとは、丁度フォーマイカ(2)に似たようなものです。遠くから眺めると、それは素晴らしく見えます……つまりデザインされたあなたの家にぴったりのブルーやピンク等々のこの大きな壁板のことです。ところが、フォーマイカの表面に近寄って良く見はじめると、ちっとも面白くない、別にどうっていうことはないのです。これを木のような自然の素材と較べてご覧なさい。自然の素材は、遠くからも素晴らしく見えるし、またそればかりでなく、近寄ってどんなに顕微鏡的に細かく見ていっても、なお興味深いのです。規則的で結晶構造を持つフォーマイカとは反対に、その原子構造は不思議と興味を引きます。例えば、森を考えてごらんなさい。まず空中から見てみると、それは豊かで、複雑に入り組んでいて、そして変化に富んでいます。今度は近寄ってその中に入り込み1本の木を見てみると、それもやはり豊かで、複雑に入り組んでいて、そして変化に富んでいます。今度はさらに1枚の葉を見てみると、それも豊かであり、複雑です。またさらに一つの分子を見てみると、それは他のどの分子とも同じではありません。このように、それはどんなに精密に調べることもできるのです。私はこのような性質を持ったものを作りたいと、だんだん思うようになっています。つまりそれは、イメージし、続ける限り、その中に入り込んでゆくことを可能にし、その上、紙のような薄っぺらな合成の材料からできているということが、すぐにわかってしまうことがないようなものです。

 

 それでは、あなたはフェアライトやシンクラヴィアと言った、ハイ・テクなハードウェアには興味がないのですね。

 

 ええ、今のところはね。むしろ私は、まさにロック・テク……ファウンド・オブジェや、その他ある種の面白いそれ固有の響きを持っているもの……つまり丁度現実の身の回りに転がっているようなものの方向へ向かっています。私は、カナル・ストリート(ニューヨーク市のパワリー通りにある、がらくた店や蚤の市が延々と軒を並べている通り)あたりで、何時間も過ごし、いろいろなものをたたいてみて、例えばこの小さな瓶はどんな音がするのか、この金属のポットは、それはあれは……という具合にその音を聞いてまわることがあります。ハイ・テクはどうかと言えば、私が今までその種の機械から聞いた作品は、全てがもう信じられないほどヒドイ。ヴィヴァルディの《四季》のまたまた別種のシンセサイザーによるヴァーション、等といったウンザリするしろものばかり……一体、誰がそんなものを必要としているというのでしょうか。

 

あなたが最近使っているシンセサイザーは何ですか。

 

 私が気に入っている機種の一つは、ヤマハCS-80、これは今まで製造されたポリフォニック・シンセサイザーの中でも最も初期のものの一つです。それはごくシンプルで……つまりシーケンサーのような機能もなければ、ディジタル装置も持っていません。現にそれはオルガンから開発されたものなので、まさしく一種のシンセサイザーのパネルを備えた電気オルガンといったところです。実に愛らしい音を出すことができるのです。私にとっては、それで申し分ありません。私は、つき並な音を可能な限りたくさん得るよりもむしろ、一つのシンセサイザーから出る6つの美しい音の方を望みます。

 

 あなたは先頃、レコードにたいして深い疑念を持っているとおっしゃっていましたが、そのことについて詳しくお話しいただけませんか。

 

 私はもう全く、その形態(フォルム)が好きではありません。私はある種の、例えばゴスペル音楽のような、場所との結びつきを持った音楽にますますひかれています……その音楽を体験するためには、ある場所へ行き、そして自分自身何事かの一部になるというような音楽です。つまり、ある完全に異なった社会的・音響的舞台装置の中に入ってゆくわけです。そこには、音楽に伴ってゆくあるまとまったコンテクストがあるのです。ただ居間の中に腰掛けて、あるレコードに針をおろすのとは、全く別のことです。

 思うに、私たちが今しなければならないことの一つは、レコーディング・スタジオで制作されたものは、芸術の別の形態(フォルム)であると認識することです。それは、音楽ではないのです。伝統的な音楽の考え方……それは依然としていろいろな形で続いていますが……と、私たちが今レコードに関して行っていることとの間には、亀裂があります。それらは別々のことなのです。丁度それは次のようなことに似ています。19世紀の中頃、写真が誕生したとき、人々はいっせいに安い肖像写真を作ろうとしはじめました。写真は、同じ結果をしかもずっと安く得ることによって、肖像画家に取って代わる一つの方法となったのです。事実、この目的のために、彼らはキャンバスのような織り目のある紙を用い、映像をぼかしたりいろいろな調整をし、できる限り肖像画に近いものにしようとしました。これは映画の場合も同様です。初期の映画は劇場作品の単なる記録でした。すなわち実際は、劇の巡回上演以上のものではなかったのです。そして、レコードが発明されたときにも同じことが起こりました。それらは、カルーソーの演奏だとかそういったものに接する機会を誰にでも与えるために、あるいはカルーソーをそれまで以上に広く売るために発明されたものです。さて、このような各形態に関して、次のようなことがわかる地点に到達しました。すなわち、このようなメディアというものはそれ自体の能力と限界とを持っていて、それゆえ各々独自の法則を通して異なった形態となり得るのだということです。

 私は、そのことはレコードにも当てはまると考えています。今や、それらは演奏と何の関係も持たなくなっています。かつて決して演奏されたことのない音楽、あるいは決して演奏されることのできなかった音楽、またはそのレコード以外にはどこにも実在しない音楽、そういうものを録音したレコードを作ることが、今では可能になったのです。そして、もし、それがあなたの担当する領域であるならば、実際にあなたはそれを仕事上のフィロソフィーの重要部分と見なすべきでしょう。ほんのここしばらくの間考えていたことは、もしレコードを作るならば、実際には決してなかった演奏の記憶を呼びさまそうという観点からではなく、あるタイプの場、つまり普段だれかの家の中で聞くことができそうな音響体(a piece of sound)を作ろうという観点から考えたいということです。ですから私は、「多分これは、ステージでもラジオでもなく、家の中で演奏されるだろう」と考えています。

 

 あなたの最近の作品、特にアンビエント・シリーズに関していえば、聞き手にたいして、彼らをそこに投げ入れるためのある刺激を幾分か与えていますね。

 

 ええ、そうです。それはまた、違うアプローチなのです。いわゆるレコードとはプロセス全体のほんの一部であり、私たちが実際に扱っているのはレコーディング・スタジオ、そして中間にあってレコードと呼ばれているこの黒いもの、そして誰かのハイ・ファイ装置である、というのが一つの見解です。もちろん、誰がどのように腰掛けて聞いているかということに対して行うことのできる憶測は、ほんの少しに限られています。ただ私のレコードの場合は、みんな実に心地よさそうに座り込んでいて、踊ろうとしているなんてことはまずないと想定しているのですが。

 ほとんどのプロデューサーの仕事の仕方は、次のような感じです。つまり彼らは、「聞き手はここに座っているんだ、だからギターをここにしよう、それからベースはそこ、ドラムはあそこ、ホルンはそっちでヴォーカルはこっち……」といった調子です。彼らは、映画のスクリーンのように、2次元的な観点から見ているのです。しかし、私は、そのスクリーンを取り去るよう努力してきました。物事をこのように整然と論理的に調整するなどということは忘れなさい。私は視覚的な感覚を音楽に移すことに、より興味を覚えるようになりました。私がやりたいことは、聞き手はその音楽の内側にストンと落とされ、その中では物事について何の特別な価値感覚も与えられていない、そんな音の領域を作り出すことです。それは、現実の環境の中にいるのと酷似しています。そこでは、ある時点で何が優先するのかということは、あなたの選択に任されているのです。

 

 初めて《ディスクリート・ミュージック》を聞いたとき、私は仕事中でした。1日も終わり、みんな帰宅してしまった後なので、その場には誰一人いませんでした。昼間は電話が鳴ったり、人がかけずり回ったり、議論したり、タイプを打ったり、おしゃべりしたりで、だいたい熱気にあふれています。でもこのようなとても静かな夜には、蛍光灯のうなりさえも聞こえていました。私はリクライニングの椅子にゆったりと腰掛け、あなたのレコードを……それがどんな種類の音楽なのかという考えもなく……かけたのです。するとそれは、私を完全にリラックスした状態にしてくれたばかりでなく、もう何年もあったことのない親友の記憶を実に鮮明にかき立てたのです。二人が一緒にいた場所や、空気のにおいや、夕暮れを染めていた色彩りまでも。

 

 ご承知のように、《オン・ランド》についてもまた、今あなたがおっしゃったのと同じようなことを話す方が大勢いますね。そのことはそのレコードにとって、つまり私にとって確かに励みとなりました。スタジオで作業していたときある時点で作品が息づき始めるということに、私はいつも気がつきました。その時点とは、さっきおっしゃったような気分になった場合、つまり何かのはずみで突然、もう一つの時間もう一つの空間とつながりを持った場合です。作品が展開してゆくにつれて、私はその場所の地理や時刻や気温の感覚……風が強い場所かどうか、湿気のある場所かどうか等など……をますます強く持つようになりました。普通は音楽的とは見なされないような一連のフィーリング…ほとんど一貫してその点から私はその作品を展開させたのです。「これは素敵な旋律か」「これはのりやすいリズムか」という観点からではなく、それよりも私は常に音楽の場というこの感覚を発展させてゆこうとしたのです。しかしそれは、標準的な音楽に属していない要素であるため、明瞭に表現するのは大変難しかったし、今なお依然としてそうです。

 ところで現在、ある日の夕暮れに関する作品について作業を進めているところです。それはずっと幼い頃から記憶している夕暮れなのですが、その日実際には特別なことは何一つ起こらなかったのです。しかし、ある理由のために、この夕暮れが頭にこびりついて忘れられないのです。私は……当時14才くらいで……散歩に出かけました。私が住んでいたウッドブリッジには川をせき止める堤防があり、その頂上には数マイル続く狭い小径、丁度人一人歩けるくらいの広さしかないような小径があるんです。ある日没、私はその上を歩くために出かけました。沼地には一面に低い霧がたれこめていて、それは丁度小径の高さくらいの所だったので、その結果まさに雲の上を歩いているような感じになったのです。しかし上空は雲一つなく澄み渡り、それは満天に星をいただいた濃紺の夜の一コマだったのです。その夜、私は音楽作品を作り始めましたが、それに関する何かがいつも私をその夜へと連れもどすのでした。私は自分がその夜のことを、ずっと覚えていたとは思えません。まるで作品が、突然そのことを私に思い出させたかのようです。ところがいつも問題なのは、そのときそこにあった星をどこかに入れなければならないということです。「満天の星というフィーリングを、音楽の中にどうやって作り出せるだろうか」と考え続けてきました。かといって、よくあるきらめく音やなんかをただ使うだけでは、何の意味もありませんしね。

 

スター・マシンを組み込んだら……。

 

 そうです。本当にそれは問題でした。私は4〜5日間そのことを研究し、様々な実験をしてみたのですが、どこから始めたらよいかアイデアが浮かびませんでした。音楽の中に星の響きを作ることについて、どんな類の伝統もありません。とにかく私は自分の好き勝手な手段で近づいていきました。私にとって確かにそれは、明らかに意味のある仕方で互いに集まり合う遠く隔たったたくさんの物体……それらを伴った巨大な空間のフィーリングをもたらしてくれます。それは現在、私がレコーディングしているときに、たいてい考えているような類のことです。それらは、全く音楽的な考えとは思われません。むしろ描写的な思考に似ています。私は実際に何かの絵を描こうとしている場合のような意味で、造形的な音楽としてそのことを考えています。確かにこれまで何年間も、そういうことは言われてきました。しかし私は、それをかなり精密な意味で……聴覚的絵画と言いたいのです。

 

 音のホログラム理論と呼ばれているあなたの理論が、どのように展開されてきたのか説明していただけませんか。

 

 2つのことがその発端になったのだと思います。2年前に出版されたサミュエル・ベケットの『カンパニー(相棒)』という本があります。それはおよそ90ページくらいの本ですが、とても大きな活字で印刷されているので、普通の小説くらいの活字ならおそらくほんの30ページ前後に過ぎないでしょう。私にとっては、それは偉大な本なのです。ほとんど同じような2〜3の語句が、いろいろな順序で並べられ、そして同じことがほんのわずかに違う仕方で、何度も何度もくり返し述べられるのです。本の中に出てくる素材の全てが、最初の2ページの内に出てきます。ですから、最初の2ページを見てしまえば、事実上、本全体を読んでしまったことになります。ところが彼は、それらの素材を様々な方法で組み立て続けるのです。この本で感銘を受けたことの一つは、次のようなことです。すなわち、読者はそこからある文章の半分を取り出すことができ、そうしてみるとまづ第一にそれはベケットだと即座にわかると言うことです。まさに、言葉が綴り合わされた仕方に関する何かがわかるのです。さらに、その文章の半分から、本全体のフィーリングについてぼんやりとした印象を持つこともできるでしょう。そして今度は、そのことが次のような2つのことを思い出させたのです。 

 私が学生だった頃(カソリック・スクールに通っていたのですが)、ホスト(正餐式で聖別されるパン)は幾つもの小片に分けることができる、例えばそれがほんのちっぽけなかけらであろうとも、しかもなおそれはイエス・キリストの完全な肉体である、ということを聞かされました。このことは、いつも私を困惑させました。そして私は純粋に神学上の問題として、このことを随分検討してみました。その後18才になったとき、私はデニス・ガボール(ホログラムの発明者)のレクチャーに行ったのです。彼はこう言いました。(ホログラムに関して興味深いことの一つは、例えそれを粉々にし、全体からある断片だけを取り出したとしても、なおその断片から完璧な映像が見えてくるだろうということです。ただし、それはかなり不明確でぼやけたものではあるだろうが」。それは写真のようなものではありません、おわかりですか。写真の場合、ある隅を引きちぎったとすれば、あなたが見る全てはその隅だけです。一方ホログラムの場合、全体の映像が表面全体にわたって記号化されているので、その結果最も小さな部分はなおもその映像の全体となっているでしょう。これはなんて空想的で素晴らしいアイデアだろうと私は思いました。それは、ホストに関するカソリックの思想について、初めてある解釈を与えてくれたのです。つまりそこには、ホストとのある科学的な並行関係があったのです。

 このように、以上お話しした2つのことが、もう長いこと私の心に浮かんでいました。そしてセザンヌ(3)の一連の絵を見はじめたときも、私はこれと同じフィーリングを得ました。一連のセザンヌの絵、その内の1枚、そしてさらにその絵の1インチ四方の断片を取り出してみれば、どうもその断片の中には絵全体の中にあるのと同様の強度、フィーリング、スタイルがあったのです。それはあたかも、その1断片の中に絵全体を見たかのようです。なぜならその一筆一筆は、絵全体に塗りつくされているのと丁度同じように塗られているからです……ベケットの本の場合と同様に。

 そこで私は思いました。「これこそ本当に、今後私が望む仕事のやり方だ。もうこれ以上、空間をただ満たすだけのようなことはしたくない」。ご存じのように,1960年代の中頃から起こった数々のハードニッジ(4)な絵画は、幾何学や形の明晰さなどに関係がありました。しかし一つのム−ヴメントとして私を失望させたことは、このような連中がしていることの多くは、ただただ様々な色を塗りつくすだけのような……それはほとんど、青写真や塗り絵遊び(ペイント・バイ・ナンバーズ)に従っているようなものです……全く機械的なことだったということです。私には、彼らは自分自身をごまかしているように思えます。なぜなら私は進行手順の各段階は、他のどの段階とも同じように活力に満ちているべきだと考えるからです。ただ塗りつくすだけのような、またあまりにもあらかじめ決定されているような段階は、ひとつもあるべきではないのです。その点では、彼らの多くがしてきたことは単なる下働きで、アシスタントに請け負わせることもできるのです。事実、私はしばらくの間、画家のアシスタントをしていたことがあります。私は彼のために彼の絵を塗ったのです。それもまた似たようなタイプのことで、彼は塗りつくされるべき色の範囲をただスケッチするだけでした。一応やることはやりましたが、それは私の望んでいることではありません。私はどんなプロジェクトをするときでも、ひとつひとつの段階ごとに生き生きとしていたいと思います。

 

 あなたの作品に明らかに影響をあたえた画家達の他にも、かつてあなたはフィリップ・グラス、スティーブ・ライヒ、テリー・ライリーといった人々の名をあげていましたが…

 

 それからラ・モンテ・ヤングも。彼はミニマリズム楽派全体の概念を導いた始祖のような人だったと私は思います……少なくとも音楽の分野においては。けれどもそれが興味深いのは、そのムーヴメント……一種の持続というこの考え方……が、音楽よりも先に絵画において起こったということです。ジャクソン・ポロックとバーネット・ニューマンは、2つのそのよい例です。ところで音楽の分野においては、1960年代の初めにラ・モンテ・ヤングが非常に長いドローンを持続する音楽的な環境によって実験を始めました。彼には、「夢の家」と呼ばれるものがあります。それは、いくつかの短音を反復する一連の発振器です。それらは細心の注意を払って組み立てられた発振器だったので、音が揺れることは全くなく、何ヶ月もの間、可能な限り一定だったのです。この奇妙な仕掛けは、実際何ヶ月も作動しました。それこそ、今の私が共鳴している考えだったのです。つまり、そこに入ったり、しばらく留まったり、再び出ていったり、そんな音楽作品(a piece of music)だったのです。《ミュージック・フォー・エアポート》が意図していたことは、まさにそれでした。

 

 1972年に遡る《ノー・プッシィフッティング》で、ロバートフリップと初めて共同製作して以来、この持続という考えはあなたの音楽の中でずっと継続しているテーマですね。その初期の作品から最近のアンビエント・シリーズのアルバム《オン・ランド》に至るまで、絵画とのアナロジーを使えば、あなた自身の筆使いはどう変化したと言えるでしょうか。

 

 そうですね。今はパレットがずっと広くなったと思いますね。そうしようと望めばいくらでも、広い範囲で色が選択できるのです。《ノー・プッシフィッティング》はまさに音楽的なタイプのサウンドからなるアルバムでした……よく聞き分けられるギター、エレクトリック・インストルメンツ、変わりやすいハーモニー、コード・クラスター等々。そしてその後何が起こったのか……《オン・ランド》とともに、その多くが消えさってしまったのです。そして伝統的な意味においては決して音楽的と言えないタイプの音が、遙かに多くなったのです。それからは、どんな特定の楽器にも物体にも関連づけられない音です。ところが、これに付随してしなければならなくなったことは、アルバムをリリースするたびにその音の著作権をとらなければならないということです。そこで誰かがこの素材を記譜する努力をしなければならないのです。私は《オン・ランド》の楽譜のほんの一部を見ました。その任務を負わされたかわいそうな人は、明らかにそれに関する現実問題を抱えていました。従来の記譜方では、それは表現できないのです。つまり、それではうまく行かないのです。一種の絵画のような結果になりました……例えば、ここには赤い反転、ここには交差する青いストライプのようなもの、それからここには大ざっぱなグリーンのエリアといった具合に。つまり違いは、《ノー・プッシフィッティング》の時代には実際私は音楽を作っているんだと考えていた、ということです。しかし今では、この新しい素材のおかげで、絵画や映画や非文化的な工芸品とより密接な関係を持っているという気がします。ただし、それがどういうことなのか全くわからないので、それについてはっきり述べることができません。それについては、なんの伝統もないのです。

 ところで、《ノー・プッシフィッティング》では、聞き手はほとんどトンネルのようなものの中にいるのと同じです。その中では、聞き手は自分の方向をあまり自由に選べません。いわば作品の流れに沿って先へ進み、わずかに望む側に移動することができる程度なのです。ところが、さっきお話ししたようなランドスケープの素材に関しては、聞き手は聞く度ごとに実に様々な方向をとることができるのです。初めてそれを聞いたときにはおそらく、面白いけれども奇妙だという気がするでしょう。なぜなら、その中ではなんの方向付けもなされていないからです。しかし何度も何度も聞くうちに、聞き手はたまたま知覚されたある小さなまとまりに自分を結びつけるのです。その時聞き手は、その音楽を通して行われる旅をどのようにするか、その選択を開始することができるのです。ところで問題はいつも、それを音楽と呼んでしまうことです。私はそのための別の言葉があればと、切実に願っているのですが。

 

 あなたは、ミュージシャンがテクニックや結果にあまりに心を奪われすぎていると感じませんか。

 

 それはむしろこういう状態だと思います……ある地点まで到達するといつも、何かとうまくやってのけることによって自信を深めているというような。それはほとんど神経過敏の徴候です。私はミュージシャン達がある考えのために、試練を受けるのを見てきました。彼らが録音の合間にすることといえば、ブルースか何かをひいて周囲を欺くことです。それは単に、「ねえ、僕もまんざら役に立たないわけじゃないだろう。だってほら、こんなこともできるのさ」と自分自身を安心させるためなのです。しかし、頼るべきものを持つというのは幻想にすぎないと思います。「僕は役に立たない」と言い、その位置から始める方がいいのです。テクニックが障害になるのは、実際には何もしていないときでも自分をだまして、重要な何かをしているんだと思いこんでしますことだと考えます。

 

 アルバムからアルバムへ次々と自分のプロセスを明さまにしてゆくにつれて、スタジオで他のミュージシャンと共同作業をすることは、あなたにとってだんだん難しくなってきたのではありませんか。

 

 レコーディング・スタジオというものを理解していないミュージシャンと共同作業をすることは、私にとってますます難しくなってきているようです。ほとんどのミュージシャンは、音楽作品の要素とはなんであるかということについて、自分なりの考えを持っています。そして、彼らの大半が考えていることのひとつは、音楽作品には気のきいたひとひねり……何か技巧的なもの……が少しばかり必要だということです。そこで彼らは座り込み、全ての材料をかき集め、それから全部をいわば鍋の中に突っ込みます……音楽作品がそこから出てくるだろうと考えながら。つまりそれは、手順のない料理の本みたいなものです。そこにはただ材料のリストがあるだけで、どうやってそれらを混ぜ合わせるのか、あるいはどうやって調合するのかを読みとるのに悩む必要はありません。ただ材料を全部鍋の中に詰め込み、そしてついにはそこからレモン・スフレができあがってくるよう願うだけです。確かに終始、同じ材料の組み合わせで作ることもできます。しかしもし、そのことに興味を持ち続けるつもりならば、その場合は手順にこそ注意を向けなければならないのです。ですから私は、このような材料中心の仕事の仕方は好きではありません。例えばそれは、あれもこれも含んでいなければならず、またリフレインするコーラスの女の子達がいなければならない、決まりきったディスコ・スタイルみたいなものです。みんなは、こんな陳腐でばかげたものをよくまあ沢山聴いています。

 一方、熟達したミュージシャンとの共同作業で難しいことは、何かが持っている潜在的な可能性を、時々彼らにどうしても説明できないことです。何かを聴いていてふと、それを途方もなく素晴らしいものに変えうる一連の操作に気づくことがあります。これはスタジオの操作も含めてです。この種の操作は、それ自体、音から複雑さを生み出す手段なので、元から極くシンプルな音に対して最も有効だと思われます。もし、音が元々音楽的に複雑ならば、それはすでに排除すべき制限された形態なのです。そこでミュージシャンに関して問題なのは、シンプルで美しいものを信頼しなさいとか、シンプルな音から引き出されうるひとつの完結した世界の存在を知りなさいとか、常に彼らに教えなければならないと言うことです。また、もしスタジオであまり仕事をしたことがないミュージシャンだったりすると、彼らはやって来て、排除しなければならないはずの複雑な混乱を引き起こしてしまします。そうなるとただのシンプルで美しいものだけが残されるよう、こうした混乱を全て拭い消すのに2〜3時間はかかってしまいます。しかし、自分の能力に自信があり、もっと高度なことを沢山できるとわかっているミュージシャンにこういうことを言うと……時々ちょっと侮辱的だと感じるみたいですが、彼らは自分たちの知性が信頼されていないと思うのです。しかし、私は、どんなに上手でも下手でも最もシンプルなことをする可能性はあると思います。それがシンプルでどんなに無能でもできるからではありません。たった一つの音を打つことができるという状態の中に、感じるものがあるのです。ファンクのベース奏者がこのことをよく知っています。

 

そのことは、トーキング・ヘッズとの共同作業にはどのように関連していますか。

 

 そうですね。トーキング・ヘッズとは、シンプルなものから何かを引き出すというようなことをたくさんしました。例えば、スネア・ドラムだけを録音し、それを私のシンセサイザーのトリガー(5)の一つに使い、それからそのアウト・プットに複雑なディレイを掛けたり、というようなことです。このことは、たった一つのスネア・ドラムを使っただけで幾つものクロス・リズムを作り出すことを可能にしました。それは、そこにあるものをテープに録音し、次にそれをリアル・タイムで変換し、最後に再びテープにそれをミキシングしなおすと言うだけのことなのですが、しかもこれらのクロス・リズムによって音像を濁らせることはありませんでした。というのは、そのスネア・ドラムがリアル・タイムの中に留まっている限りは、その他の作り上げられたリズムは相対的な時間の中にあるからです……つまり、ずれるはずなどないのです。このようにトーキング・ヘッズのレコードで聴かれるクロス・リズムの多くは、実際にはオリジナルな楽器から作られていますが、その後でディレイや様々な処理が施されています。また時には、テープを逆回転させ、逆さに出てくる音にディレイを掛けたりもしました。そうすると、ビートの前にすでにそのエコーを聴くことになるのです。まぁ、そういったような事をしていましたね。

 

 ガーナのエディカンフォとの共同作業は、トーキング・ヘッズとの共同作業に関する考えに影響を与えましたか。

 

 ええ、しかしイヴェントの後ででした。最初、彼らのような連中が演奏するのを見たり、また彼らが持っているリズムとの関係を知ったときには、私はすっかり落胆しました。けれどもエディカンフォを見た後で「これに接近する機会は永久に決してないんだろう」と思いました。彼らはよいミュージシャンでしたが、偉大なミュージシャンではありませんでした。しかし、彼らがリズムと共にどのように行動するのかがわかったまさにその時、私は思わず率直に降伏したいと思いました。演奏者同士の間にある全ての相互作用、そしてリズムと共に進行するあらゆる種類の訳のわからないことその中には沢山のユーモアがあります。そしてその後、トーキング・ヘッズと共に仕事をした素材に耳を傾け始めたとき、較べてみるとそれは全く間の抜けたものでしかなかったのです。私はもはや、それに熱狂することはできませんでした。ただ別の点では、興奮することもできました。しかしリズムの点ではもはやできなかったのです。それは実際ナイーヴに思われました。

 それは、私がアフリカ的な感覚の旋律について感じるのと同じような類のものです。キング・サニー・アデを例に取ってみましょう。最近になって、みんなが彼を本当に偉大だと考えるようになりました。彼はすばらしいバンドを持っています……と言わざるを得ません。しかし、私は旋律的にはなんのおもしろみも見いだしません。全ての人を魅了しているというバンドの中のスライド・ギター奏者にも、ウンザリしています。私は9才のスライド・ギター奏者が、彼よりもっとうまく演奏するのを聴いたことがあります。それは、素晴らしいスライド・ギターの演奏を聴きたいときに、本当にそれを演奏することができ、しかもサニー・アデ・バンドの奏者には決して身につけることができないような、その楽器に対するある種のフィーリングで演奏する150人のブルーグラス奏者がいるのと同じようなことです。それは丁度、私が決して手に入れることのないようなフィーリングで、彼らが自分たちのドラムを演奏するようなものだ、とこういうことがやっとわかり始めたのです。私の友人のロバート・ワイアットは、かつてこんな事を言っていました。「君は、窮地に追い込まれるようなことに、のっぴきならなくなるほど、関わり合ってしまうんだね」と。確かにそうです。しかしあらゆる試行錯誤の後で結局、できると思っていたことのうちせいぜい一つか二つしかできずに終わってしまうということがわかります。ですから私は、丁度今進められているような文化を超えた物事に、ひどくかんげきすることはありません。それらは、善意からのものだとは思いますが……。

 

木目とフォーマイカを混ぜ合わせたみたいな……。

 

 そう、そのことにちょっと似てますね。しかし往々にして、両方の世界の最も良い所というよりはむしろ、最も悪いところを取っているみたいに見えますね。

 

 

訳注 
(1) ジョン・ハッセルが最終的に目指すのは、「第四世界」であり、彼自身の定義によると「第四世界とは太古的なものと、未  来的なものを均衡させた、地球的性格の音楽をいう」となっている。 
(2) 商標。家具、帳壁などのおおいに使用する加熱硬化性合成樹脂。薬品、熱などに対して抵抗がある。
(3) 1880年代前半から約40点あまりも描かれた《サント・ピクトワール山》のことと思われる。
(4) 1960年代のアメリカの抽象絵画の一傾向。58年アメリカの批評家J・ラングスナーによって理論化されたといわれ、エル  ズワースケリー、アレキサンダー・リーパーマンの明快な作風にちなんで名付けられた。
(5) 電子回路から発生するインパルスで、エンベロープ・ジェネレーターを起動させる引き金として使うon−off信号のこと。   ふつう、鍵盤を押さえている間だけ発生する。

 

ブライアン・イーノの使用装置
 目下、ブライアン・イーノが使っているのは、フェルナンデスのギター(フェンダーの1957年型ストラトキャスターのコピー)であり、予備としては古いスターウェイのギターである。また彼は、必要なエフェクターは全部調整室に運び込んでしまうので、操作ペダルは一切使わない。彼の愛用するシンセサイザーは、ヤマハCS−80であるが、またEMS社のAKSも使用していて、それらについて彼はハーモナイザーの非常に優れた機能を持っていると話していた。主要なエフェクターには、レキシコン・プライム・タイム、レキシコン244デジタル・リバーブ、そしてレキシコンEMT250(デジタル・リバーブの別タイプ)が含まれている。
また彼は、ギブソンの1963年型エレクトリック・ベースを持っていると同時に、グラフィック・イコライザーにも大いに頼っている。最近彼は持っていた、ARP2600を処分した。それはたった1度、アルバム《ミュージック・フォー・エアポート》で使われただけだった。

インタヴュアー/ビル・ミンコフスキィ


現代思想  Doun beat ,June 1983 (訳:庄野泰子さん・環境音楽)