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interview 1982


 

あなたの仕事に関して最も誤解されている事はなんですか?

 

冷たくて感情的ではないところだ。多くの人達が、そう思っているようだ。それはきっとクラッシュとかロ−リング・ストーンズのはっきりとした情熱のようなものがないからだろう。

 

あなたは彼らの音楽を情熱的だと思いますか?

 

いや、思わない。それは明らかにドラマチックだが、ドラマと情熱は違うし、私の作品の中でも特に一番新しいレコードは、そんなにドラマチックじゃないよ。どちらかと言うとメロドラマチックだろう。でも私にとってみれば冷たくて惑情がないと言われることからはほど遠いよ。

 

音楽にタブーというものはあるんですか?

 

社会的なタブーはあるよ。たとえば“ソフ卜になっていく”事だ。人は、よく私みたいにワイルドで病的な音楽から始めた作曲家達が、その後そうでなくなっていくと、私達の音楽を逃避だと言い、現実的でないと言う。それに対して私の答えは、我々は色んな違う世界に住んでおり、ある程度自分達で住む世界を選択出来るという事だ。もしも都会のあの過酷な現実だけを認めるならば、音楽もその様な世界を表現したものが出来上がる。人は物事を単に反映するのではなく、それをふくらますんだ。
もしも私が神秘的で広がりがある世界に生きることを主張するなら、私が作る音楽も自分が生きている世界を表現していく。そうするのは自分の為だけでなく、そういう世界が存在するのだと同意してくれる入達の為に作るんだ。ほとんどのタブーは、人が気がつく事を怠るイデオロギー的な事で、単に一時的なものだ。私が今引用した都会の過酷な現実での事で言えば、耳ざわりな要素がない限り音楽にはなり得ないとも言えるが、それは正しくないと思う。多くの他の音楽はそういう要素を持たずに存在しているんだ。

 

なぜ芸術ではアイデアの新しさとか斬新な事がそんなに評価されるのですか?

 

実際、過大評価されているね。言いかえれば、あまりにもその点にこだわりすぎてて結局、自滅的になっているんだ。それは誰かに電話して「次の金曜日に会って“本当に”興味深い事を話し合おうぜ。ものすごく新しい事を考え出そうじゃないか!」と言って何日かして、又、「金曜日を忘れるなよ。その時の会話は“本当”おもしろいぞ」と言っているうちに、事を大きくしすぎて、実際にその金曜日が来たら、こっけいな事かありふれた事しか思いつかず、結局何も言えなくなる様なものさ。自分を新しい所へ導こうとする事は何ひとつすべきではない。新しいアイデアとは既になじみ深い物の見方が少し変化した形で出てくるのがほんとうなんだ。

 

それではオリジナリティに対する畏敬の念みたいなものが原因で、オリジナルなもののいち早い表面化をさまたげているのですか?

 

絶対にそうだ。ほとんどの民族音楽は、そうゆう考え方がない。レゲエは年ごとに少しずつ変わってきていても、あの独特のリフは同じでいつでも聞ける。それはとても興味深い事だ。そこでの考え方は、ひとつの物は、意味をなす限り使われるという事だ。純粋芸術の考え方では、自分自身が作った物でないとすぐにその物を切り捨てるところがある。他の誰かがひとつの物を使ったらあなたは、それを使わずに何か他の物を探がさなけわばならないという事は、あまりにも馬鹿げてて幼推な態度だ。

 

あなたは今度の新しいレコードをどういう風に聞かれたいと思いますか?

 

私が聞くようにだ。それは誰も絶対にそうでなけれぱ、という事ではない。私は自分の家の小さな防音した部屋で!ぜいたくではあるが−電気を少し暗くして、音楽に聞き入ってその音楽が描く場所や物を想像するんだ。

 

私はあなたが「オン・ランド」を作る時の事を書いたエッセイを読んで知ったのですが、このレコードは回想に基づいて作ったとあなたは述べていますね。過去は、一種のメランコリーへの片道切符のようなもので、ほとんどの人にとって不幸なものを連想させますが、あなたは過去の記億を喜びとして表わしていますね。

 

まずこのレコードは、自分の子供の頃の思い出にとても関係がある。私もあなたが言う様に過去は、メランコリックだと思います。それに私はメランコリックが好きだ。でも悲しみや不遇なものとはちがう。私はいつもメランコリックになるのが好きだった。それはきっと、そのムードが私の育った環境にすごく似ているからだろう。私が育った場所は、本当にさみしい所で、うちへ来た人のほとんどが気がめいったと思う。自分ではそんなひどい所だとは思わないが確か時間が止まっているような、見放された所ではあるよ。イギリスでもこの辺は、何百年も何も変わっていない。

 

あなたはほとんどの人が過去を好意的に振り返えっていると思いますか?

 

そうだと思うが、同時に後悔もしてると思う。もう今さら何も出来ないって思う事でもね。過去から何かを引き出して、それを今役立たせられるかどうかを知りたかったんだ。昔を振り返えって、「そういう日々だった。もう全て過ぎ去ったのだ」と言うよりも「そういう日々だったがその時の事もまだ頭の中でのこしておく事が出来るんだ」というのが私の見方なんだ。

 

「オン・ランド」の音楽は気味悪さを少し感じたのですが、それは意図的なんですか?

 

そうだ。いい惑じの気味悪さも少しね。何というか、現在というところから離れてほとんど違う次元にいる様なスリリングな感じが出ている。誤解を招く言い方かもしれないが、私は現在からかけ離れた感覚の事をよく考えていた。いわゆる現在という意味を超えて実際にはもっと長く感じられるものだ。たとえば私がニューョークに居て“今”という言葉を使えば私は昨日と明日の間の何かの事を意味している。しかし、私が育った所で“今”という言葉を使えば過去と未来がすごく引き延ばされた時間帯での事を意味している。農民のような人達がそういう事を普段から感じている様に思える。それは彼らが血のつながった人達や先祖と接しながら生活しているからで、自分達が一種の連続体に属していると感じているからだろう。彼らの“今”の考え方と、都会でのようにはっきりとわり切るものとでは大きな差がある。
ひとつ気が付いた事は、色々な音楽の必要性を明らかにする事だ。レコードはみんな同じ形をしているし、同じ所で売られているし、同じ様に封をされるし、同じ機械で鳴らされるから全部同じであると思うのはまちがいだ。それは印刷された文字は全て小説だと思う様な事だ。印刷物に関して言えば、新聞であるか、そうじゃないのか、という区別が既にある。そして、その印刷物の意図する点や持っているムードや内容の耐久性を知る方法もある。レコードは全て同じ物だと思われているが、自分の部屋の変化を、楽しんでいて、自分の音楽に対する扱い方に大きな違いがある事に気がついたんだ。

 

でもあなたのレコードを買う人は編集で使うバラメーターなどをいじる様な人達だから、あなたのレコードからどんなものが聞こえてくるか、ある程度の察しがつくと思うんですが。

 

ええ。人の期待と作品が与えるものとの間には確かに相互作用がありますね。良い作品は期待感を広げる事が出来る。

 

あなたは、ミュージシャンサイドの働きかけと聞き手の作品に対する先入観や今までの思惑とではどちらが強いと思いますか?どちらの気持ちが支配すると思いますか?

 

ミュージシャンの方だと思う。ひとつの“物”を作るためには作る側の意図と手段の組み合わせがあり、そしてそれからその“物”が期待や思惑などを刺激するんだ。しかし聞き手が単に作る側のアイデアと手段だけを聞き取る事も可能だと思う。それは両方共がその作品に対して白紙状態で取り組む事によってね。多くの独断的なアバンギャルド音楽はそうだよ。ただ聞こえるのは、わざと偶発性に頼りながら作った人の音楽だけで、そんな作品は図式的な性質しか持たないんだ。今のは極論だが、私に興味があるのは、聞かされた音楽が自分に何の関連性も持たない時の聞き手の可能性だ。私の初期の音楽体験の多くは、そういうものだった。小さい頃、初めてドゥーワップを聞いた時、アメリカがどこにあるかも知らなかったし、ドゥーワップ自体どこから来たかもわからなかった。その時のどこの馬の骨かわからない音楽に対して生じた魅惑は今でもおぼえている。それは頭が二つあって足が一本で大きい目が一つしかない、考えもつかない様な動物を発見するみたいなものだ。

 

あなたは物事を知的に処理すればする程、我々に与える力が弱まると思いますか?          

 

作品がただ知的に表われるなら、それは失敗と言えるかも知れない。私はもっともっと自分の音楽体験が何と言うか、宗教的であってほしいと思っている。ドゥーワップは私にとってそういう宗教的な体験だった。

 

あなたの一番最近の宗教的な音楽体験と言えば何ですか?

 

認めるのはもょっとはずかしいんだが、自分の一番新しいレコードなんだよ。ちょっと倣慢に聞こえるかも知れないが、このレコードを息を殺しながら聞くと、すごくつき動かされるんだ。実際に私が手がけた最高の物だと思う。

 

あなた自身を古典的な作曲家だと思いますか?

 

その呼び方は多くの不適当な意味合いがあるので、少し気乗りしないけど、自分でそう思い始めているよ。確かにロック的な方向よりもそうゆう方向に傾むいてはいる。まず第一に、自分の作品の評価を短期問で得ようとは思わない。それがひとつの違いだと思う。「オン・ランド」は1982年の初期の作品でも、80年代前半の作品だとも思っていない。時期に左右されない性質のものである事を望んでいる。


  続く