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interview 1982


 

ブライアン・イーノここ数年の間、ブライア・ン・イーノの存在はミュージック・シーンやアート・シーンで神格化されたかの感がある。しかし、庭や動物をこよなく愛し、ひっそりとごく普通の生活を楽しんでいる彼の姿からは、ミュージック・シーンに身を置いている、という事実は何故か信じ難いように思われた。まずはあまりにイギリス的な、実にイギリス的なイーノが、ニューヨークに住むようになったいきさつを聞いてみた。

 

最初にニューヨークヘ来たのは1972年。1週間くらいの短い滞在だった。その後、74年に2週間、そして今回。15ヵ月前にここに住もうと思った。ニューヨークに往もうと決心したのは、このロフトをみつけたからなんだ。ニューヨークが今まで好きになれなかった理由に、庭のついた家に住むのが大変難しいということがあった。だからここに見つけた時はうれしかったね。自分の庭が作れると思ったから。初めはとても楽しかった。たくさんの事が常に起こっている。非常にエキサィティングな町だと思った。しかし数カ月をこの町で過ごしてみて、確かにたくさんの事が起こっているが、それがみな同じようなものだということがわかってきた。イギリスではたくさんの事が起こっているわけではないが、ひとつひとつが全く違う。それにこの町では、人間がとても貧欲だ。どこへ出かけても、皆私と話したがったりテープを私に聴かせようとしたりする。それでどこへも出かけられなくなってしまったよ。

 

一時イーノは人を毛嫌いし、半ば隠遁生活にこもってしまったという噂を耳にした。この彼の言葉から、その噂が真実を含んでいたのだという事は察しがつく。しかしその問題ものり越え、彼はこの町でじっくり音楽作りにとり組もうとしている、というのが現在の状況だろう。

 

多くの人がここでやっている事は、自分を有名にしようとすることだ。これに気づくのにかなりの時間がかかったね。しかしここで何もやらずに、イギリスヘ帰るというのも気がすすまなかったんだ。
面白いことに、レコードを作ったり他の作業をしているうちに、ニューヨークがだんだん好きになってきた。楽しみながらこの町に住む方法をみつけたわけだ。それがわかると、ニューヨークも住むには悪いところでなくなった。特にソーホーはとても気に入っている。チャイナ・タウンやリトル・イタリーにも近い。うんざりした時、よくチャイナ・タウンに散歩に行く。それで気分が晴れるんだ。
ニューヨークヘ来て初めてやった仕事は、トーキング・ヘッズのプロデュースだった。その後ひとりで仕事を始めた。それが『マイライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴースト』になった。それから『オン・ランド』。実際には、『オン・ランド』はかなり以前に手をつけた作業だった。ニューヨークヘ来てから、ずっと手をつけていた作品だった。最高の出来だと思う。ニューヨークで作ったアルバムの中では。

 

ニューヨークヘ来てから、イーノは様々なアーチストのプロデュースを手がけたり、共作アルバムを作ったりしてきた。これらの作業の中でも、最新アルバム「オン・ランド」は、彼自身最も納得のいった作品であるようだ。またこのアルバムはいイーノの現在の心境、視点を最も如実に現わしている作品でもある。

 

ニューヨークの環境が、「オン・ランド」には奇妙な具合に影響している。このアルバムで私は、ニューヨークでは得られないような過去の感覚を表現したかった。私はヨーロッパが好きだが、それはヨーロッパという土地が、自分はほんのちっぽけな存在でしかない、ということを感じさせてくれるからなんだ。
時の流れ、という感覚は、このアルバムの中で重要な位置をしめている。私にとって音楽とは時間を必要とするものだ。とある時間ととある場所。そしてそのとある場所にいる時、この時間とこの場所も同時に考える。一カ所から立ちのいて、外側からそれまでいた場所をふりかえる行為みたいなものだ。
私にはひとつのモットーがあるんだが。“The big here,the long now”というものでね。ナウ、つまり今という事を考える時、常にきのうとあすを考える。そして自分はその中間に立っていると考える。すると視野が狭まり自分の今がとても短いものになる。自分がその中で大きな存在になる。ところが時間を拡大し、今という感覚をもっと長い時間にしてみる。過去に向かっても未来に向かっても延長する。そうする.ことによって、自分の存在がより小さいものに思えてくる。“The big here……”とはこういう考え方だ。普通「私はここにいる」と言えば、私はこの屋上にいるとか、ニューヨークにいるとか、そういう意味だ。しかし私はこれを、私はこの地球にいる、というように意味したい。すると私にとっての「ここ」はもはや私が存在している部分だけをさすものでなくなる。より大きな部分を意味し、私はその部分にあるほんの小さな点でしかない。

 

時の流れ、時間の感覚は、彼の音楽作品ばかりでなくビデオ作品にも反映されている。ロフトの一角にある小さな部屋で、彼のビデオ作品を何本か見せてもらったが、どれも対象物にそれほどの変化は起こらず、ひとつの物、景色を長時間にわたりとらえたものだった。この小さな部屋の窓にはベニヤ板がはりつけられてあり、その中央部に円形の穴をあけ、この前にビデオ・カメラを置いて何時間も空の変化や雲の動きを撮るのだと、イーノは説明してくれた。また音楽、ビデオの他にも彼は「匂い」を作品化している。早い話香水なのだが、聴覚、視覚、臭覚という3つの要素をまとめあげていくアイデアは、まさにとある時、とある所の制作と言えるものだろう。 イーノの好奇心は、しかしこれらのものにとどまっていない。まだ実際に始めているわけではないのであまり話したくない、と言いながらも、一番新しい関心事にづいても話してくれた。

 

社会の中にはふたつのシステムがあると思う。アートに従事する仕事は、少数の人間に向けて行なうものだ。もし画家なら、その仕事は20人の人のためだけに行なわれている、ということもありえる。いや3人かもしれない。現に3人のパトロンの為だけに絵を描いている画家もいるから。しかしひとりのパトロンが多額のお金を払うのなら、その画家は3人を相手に、充分に生活していけるわけだ。しかしレコードや映画は違う。多数の人が少しのお金を払う。このシステムの中で起っている面白い現象は、ビデオ・ゲームだ。レコードよりもずっと大きな売りあげをあげている。
ビデオ・ゲームはひとつの新しい産業だ。2、3年前から始まったにもかかわらず、すでに大きな成功を収めている。自分でもビデオ・ゲームを作りたいと思っているんだ。とても関心がある。この前初めてやってみたんだが、非常に面自い素材だと思った。現在あるのはかなりシンプルなものだが、もっと他のことがビデオには出来ると思う。未来があると思うね。

 

いつもインタビューで、あれもやりたい、これもやりたいと言っておいて、実際にやらないので人から責められることがある、とイーノは笑いながら弁解していた。このビデオゲームのアィデアも、どこまで現実化するのかは本人さえもわからないようだ。しかし着実に彼は胸中にあるアイデアを、ひとつひとつ作品化しつつある。次なる作品が楽しみだ。

 

 


宝島 1982.10 (取材・文 高野裕子さん