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interview 1980 

 


 

 なぜアフリカがそんなに重要なのか、しかも音楽的にというだけでなく、生活のすべての面に於いて…、その理由を聞かせて下さい。

 

 今朝、ニューヨークのラジオで現代作品に与えたアフリカ音楽の影響という面白い番組を聞いた。実に信じられない!この2,3ヵ月で非常にハッキリとアフリカの影響を受けた作品かわんさと出てるんだね。そのほとんどが初めて聞くものだった。だから、まあ私のアフリカのヴィジョン、やはりそれに理解を示している人はほかにもいっぱいいたんだね。

 そのヴィジョンは、友人のトランペッター、ジョンハッセルとの会話の産物なんだ。プリミティヴなものと未来派的なものとの接点について、私達は随分考えていた。で、近代かポスト近代にとって代られるという古いセオリーとは逆に、面白いアイデアはプリミティヴなもの、つまり古き世界の変らぬ側面によって生み出されているんだと、そういう気がする…そのラジオ番組でも沢山のレコードかかかったが、エレクトロニクスと、元来は部族の楽器であるものを使っていて、それで多くの場合非常にうまくいっている。  

 解答を捜して私達はどこかほかの場所に目を向けなければならないと思う。私達の社会はある力を失なってしまった、ひとつには伝統の力とか、精神力とか、もっとも精神力といってもたいていの人が考えるようなイミでの精神力ということではないが…。もしそれを取り戻さなかったら、我々の未来は沢山の巧妙なオモチャを手にした子供達かゾロゾロなんてことになるだろう。決意の強さも何もない。音楽的にその結果となって目の前にあるのか、あのシンセサイザー道楽さ、あの中に分類されることは私としては願い下げだね。

 

 でもその責任はあなたにあるって指摘する人は多いんじゃないかと思いますが。

 

 そう言うだろうね(笑)。もちろん。あるイミじゃそれは正しいさ。私は自分がしゃべっていること以上のものじゃない、ただ私が言ってるのは、このプロセスを経て、同様に袋小路をいくつか探って、で、それは進むべき道じゃないんだと。未来への光輝くテクノロジーの道はどこにも通じてやしない。また一方で現実的な道がどこかに通じてるとも思わない。私達は理性と肉体の生き物であり、両者の間に厳密な区別はないんだということを心得たヴィジョンが必要とされているんだ。

 

 考え抜かれたコンセプトを使用するというのがあなたのいいところだと思うのですが、今度のアルバムて、説教師が出てきますが、あのバックの音楽を聞くと彼はまるでジェームス・ブラウンみたいに聞こえますね、あれは何か“意味”があるんですか。

 

 最初に私が自分でやったのは「メア・クルパ」という曲だった。あの2つの声に交互に表われるヒステリーと抑制は、当時この街(NY)で私が体験していた事と大いに関係があった。もしそれについての歌を書きたいなら、あの2つの声を使わないという手はないだろう、そう、思えたんだ。ここじゃ本物の素材が手に入るんだからね… それ以来、使いたいと思うかもしれないような素材を僕らは集め始めたんだ、で気がつくと宗教的なスピリチュアルな素材がどんどんたまっていった。この国のラジオからとったものだけど、たいていどこの国でも、声に、激しい感情がこもっているのは、信仰を持った人達だけなんしゃないかと思うね。ほかの人はみんな冷静に単調にしゃべるように訓練されるから、ラジオでベラベラしゃべる人なんかはね。

 

 エイモス・トゥ・トゥオーラの小説からアルバム・タイトルを借りているわけですが、どういった小説なんですか。

 

 筆者は彼自身をアフリカの村で生活している少年として描いている、で、何か非常事態になってその少年は密林の中に隠れる決心をするわけ。そこで生け垣の小さな穴にもぐり込むんだけど、突然、気がつくと彼は地図にもない不思議な精霊達の世界に入ってしまっていたんだ。ゴースト達の密林は21の町が一続きになっていて、そのひとつひとつに違ったタイプの霊か宿っている…この幽鬼達には全員、ある超自然的な役割があって、思うに人生のある状況に対する寓意物語なんだろうね。この本を読む前にレコードの製作は開始してたから、あるイミで一連の無関係なあてのない旅という点を除いて、レコードは小説とは何の関係もないんだけどね。

 

 こういう風に黒人音楽を利用して、それに白人のエセ・インテリっぽいコンセプトをつけ加えるというのは帝国主義的だという批判についてはどう思いますか、つまり自分達がそれをよりよいものにして始めてその音楽は“知的な”ものになるとあなた達は言ってるのではないかと…。

 

 そりゃ何か境界を逸脱すると必ず起る類の批判たね…。白人は白人音楽を演るべきで、黒人は黒人と演るべきだと評論家は心底思っているんだ…。私の場合それは頭で考えて決めたことじゃない、私自身音楽をやってる中での直観だ、で、自分よりもぐんと進んだ人々のグループかいることに気づき、彼らから学ぼうと決心して、意識的に彼らの手法のいくつかを利用する。それは傲慢さというよりはむしろへり下った気持ちから生まれるものだ…。私は自分を学生だと思っているし…アフリカ音楽に対する理解についても私は非常に謙虚な気持ちでいる。アフリカ音楽は私が夢みていた以上に複雑で豊かなエリアなんだし。私のやってることは単に、黒人音楽に対する誤解なんでしょうね。

 

 トーキング・ヘッズのメンバーの何人かはこの方針に満足しきってる訳じゃないようですね。

 

 ここは如才なく答えるべきなんでしょうが、そういうことかあるのは否定はできませんね。心の中では我々全員、この方針でやる用意はでさていた、誰もがそれなりのやり方で準備をしていたんだ。クリスとティナはアフリカ音楽とレゲエを長いこと聴いていたし……。真の問題は要するに発言権ということなんだな。バカバカしいというか幼稚に聞こえるかもしれないが、すべて注目される量に関係してるんだね、トーキング・ヘッズは、実際私も同感だが、デヴィッドと私が不当に注目を集めてきたと感じているわけだ。まるでほかのメンバーはスタジオにすらいないみたいに、ますます書かれている。実際はそうじゃないのにね。

 

 どうも今回はありがとうございました。ちまたにあふれているあのしかめっ面したシンセサイザー・バンドと違って、あなたか将来を楽観してるというのはうれしいですね。

 

 彼らは、何というか「消去ヘッド」の気分でいるんだね、おぞましい腐りかけている都市の存在かなんか言って、連中は言うだろうね。あいつの言うことは絵に描いた餅にすぎないってね。世界はそんなに悪いもんじゃないさって人に言おうもんなら、おまえは現実を知らないんたとかって連中に言われるだろうな。問題は、そのおぞましい現実を認識し、なおかつそれと肩を並べて存在しているもうひとつのものにも気づいているということがあり得るんだということさ。

   


                                      
聞き手  サンディ・ロバートソン だと