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interview 1980


 

 ブライアン・イーノは、今度の前半を殆どカリフォルニアで過ごし、その後ノースウンバーランドでほぼ1ヶ月、まったく音楽から離れた生活を送っていた。その後ニューヨークに戻り、再び精力的な音楽活動を始めている。又、彼はこの2年ほど大変な興味を抱き続けているところ、すなわちアフリカを、今年中には訪れてしばらく住みたいとも語っている。彼のカリフォルニア滞在中、いくつかの講演会がサンフランシスコ周辺で催された。その講演会には毎夜850人もの人が集まったという。講演の内容について彼は次のように語っている。

 

 それは、作曲上の道具、つまりつきつめて言えば楽器としてレコーディング・スタジオを使うということに関するものだった。これには二つの要素があって、一つは、作曲上の方法論として、レコーディング・スタジオは全く新しい可能性を開示してくれるものだという事、もう一つはそれ自体が新しいアートの形態だという事だ、ちょうど映画技術の上に新しい可能性が開けると、それはコンセプト的にも新しい可能性を生むことになる。逆も然りだ。普通の演奏状態では絶対できないような、例えばべ-スとバスドラムを極端に強調した音楽が作れるという事は、その二つを中心にした、つまりリズムセクションが全ての音楽を支配するような、完全に新しい音楽が作れる、という事なんだ。

 その講演は3つの部分に分かれていた。第一部は歴史、技術上の歴史だ。第二部はそれに副次的に出てきた可能性について、第三部は、自分の場合はそれをどの様に使っているか、そしてその未来、それから「何故、今、これが?」という問題についてだった。その問題は評論家ならば必ず答えねばならない問題なんだが、滅多に答えられることはないんだよ。なぜ、この形態が「以前」でなく「今」発達してきたのか?
 こういうものが現在出てきた背景には技術上の理由だけでなしに、必ず明確な文化上の理由がある筈なんだ。つまりなぜ、今これが突然出てきたのか?だけでなしに、なぜ今皆がこれを気に入りだしたのか?例えばスカのリバイバルをみたまえ。私は64年にプリンス・バスターをよく聞いていたのを覚えている。それから何年もたった。そして大衆の意識が再び変化して再びスカが皆の気に入るようになったんだ。

 それに関してどう考えるか?まず第一に言えるのは、文化は一つの統一体だということだ。私は文化上の出来事というのは決してお互いに孤立して起こるものではないと考えている。そしてある一連の出来事が一時に起こったならば、それらを完全に収めた絵を描いてみることだ。例えぱ先程の英国のスカ・リバイバルという文化現象をとってみれば、そこには次のものも一緒に描き込まなければならない。即ち、モッズ・ファッシヨンという若者のファッションの復括、保守党の政権、労働構造への幻滅など。ポップ・ミュージックやいわゆるロック・カルチャーに限らず、あらゆる現実を絵の中に収めなけれぱならないんだ。

 

 彼は今年の半ばに、ハロルド・ブッダとジョン・ハッセルとのコラボレーション・アルバムをリリースしているが、そのレコードはNME誌でこっぴどくこき下ろされている。(この評を担当したイアン・ペンマンという男は前から毒舌家として有名で、一度などポツプ・グループとスリッツを例の如くムチャクチャにけをしたところ彼らに正々堂々と公開対決を迫られ、手痛いしっぺ返しに会っている。)その評に対し彼ば次のように語っている。

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 私は考えた。確かにこのレコードは面白くないかも知れないと。そしてさらに考えた。それではなぜ面白くないのか?それは、あらゆる新聞というものは、自分の地域の出来事を重大に考えすぎるために、他の地域の出来事を過小評価するものだ、という事で説明がつく。つまり彼等にとっては自分の国で起こっているニューウェーブやパンクこそ世界の重大事であり、他のことは全く取るに足りないものと見てしまうのだ。ところがミュージシャンにとっては事はそんなに明確ではない。およそこの手の評論家ほど明確に境界線を引き、定義づけをし、意味づけをしてしまえる人間はいないだろうよ。

 彼らは自分の国で起こっていること、即ちニューウェーブにあまり過剰な思い入れをしているために、その範疇に入らない音楽は自然と距離をおいてしまうんだ。そしてこの二枚のレコードは明らかにその範疇に入らない。
 それからこういう批判があった。そういう思い入れというのは、多くの人々がパンクに対して、新しい社会秩序を建設する引き金になってくれるのではないかと期待したところから生まれたものだ。それに対してこの二枚のレコードは何ら、この厳しい現実を見詰めていない、そこから逃避していると言うんだ。ニューウェーブはしっかりとこの厳しい現実を見つめてきたし、今もそうだ、というのが人々の幻想なんだね。それに対する答えはこうだ。確かにこの二枚のレコードは厳しい現実を反映していない。だが見詰める価値のある現実というのは、何も厳しい現実だけじゃないんだよ………。

 

 ブライアン・イーノの見詰める現実、それはアフリカである。二年程前からアフリカには興味を持っていたと彼は言うが、それは新し80年代の幕明けとともに、にわかに表面化してきたようである。彼のニュー・ヒーロー、ナイジェリアの首都ラゴスに住むフェラ・ランサームークティについて、彼は熱っぽく語り始める。

 

 ひょっとすると私は、英国中の人々にニューウェーブのレコードを捨てさせ、フェラ・ランサームークティのレコードを買いに殺到させることができるんじゃないかと思うよ。実際、それは本当に皆に聞いてもらいたいレコードだ。彼はいわゆる「ハイ・ライフ・ミュージック」の主要な演奏家の一人なんだが、その他にも沢山素晴らしいアーチストがいる。それは実に美しい音楽で、スリリングなんだ。実際これを聞いてたら一日24時間でも働けるような気がして来る。リズムの面でもた大変興味深い方法で洗練されていて、しかるべきところにちゃんと「穴」があけてあるために、踊りには最適だ。体が引っ張られるように踊り出すことだろう。レゲエの偉大な革命と同じように、その重要なところはロック・ミュージックが埋めてしまった「穴」をそのまま残してあるところだ。それが君を絶壁の上でしっかりと安定させ、ずっと踊り続けることができるという訳だ。
 
 これを聞いたら君は思わずにはおれないだろう。『俺達は何を持ってるんだ!?ジャムの糞ガキ共じゃねえか!』彼のレコードは72〜73年以来持っているが、最近は特にこういったハイ・ライフや、アフリカン・ポップ・ミュージックをよく聞く。それからここにまた非常に良く出来た本があるんだ。ジョン・ミラー・シェルノフ著、シカゴ大学刊の『アフリカン・リズム・アンド・アフリカン・センシビリティ』という本だ。デヴィッド・バーンと私はこうしてアフリカ音楽とその文化に没頭し始めた訳だ。勿論卜ーキング・ヘッズの連中は皆んなだが、彼と私とで、その影響を非常に強く受けた音楽を作り始めたんだ。

 彼らのギターの弾き方というのは非常に美しくリズミカルだ。そこには泥臭さなど徴塵もない。そしてそのパターンがアルバム片面全部を通して全<変化しないのだ。もう一つ驚くべきことは歌が、少なくとも曲の始まりから12分間は入っていない、という事だ。これは我々のやり方とは全く逆だ。我々ならばまず歌が入り、それからインストルメンタルに移り、再び歌が入って終る。という具合だが、彼らだと、ずーっとインストルメンタルが続いて、曲には歌がつきものだという事など忘れてしまったころ、突然歌が入ってくる。これ程スリリングな事はないよ………。

 

 彼が最近アフリカに興味を持つようになった理由として、彼は前述したアフリカの音楽ともうひとつ黒人女性達を挙げている。

 

 アフリカの人々は、自分の存在というものが頭の先からかかとの下まで、完全に同質で均一なものであり、それは部分部分に分けられるものではないと信じている。そしてセクシュアルなものというのは精神と肉体の両方に宿っていると考える。それは肉体だけというのでもないし、精神だけというものでもない。
 そして宇宙とは性的可能性に満たされた場所だと考えている。「性」というのは他のあらゆる社会的活動と切り離せない、崇高なものだと考えているんだ。例えば、ナイジェリアでは女の子が「ハイ・ライフ」という曲に合わせて我を忘れて踊り狂う、その踊りというのは非常にセクシュアルなんだが、.しかしその曲が歌っている内容というのは倫理的で宗教的で、犬変シリアスな間題を扱っているんだ。

 しかし彼らはこれを二つに分けて考えない。どうして音楽がこんな内容なのに、ああいう踊りをするのか、などは考えないんだ。彼らにとってはその二つというのは連続性をもったもので、どこで分けられるというものでもない。二つで一つ、肉体すなわち精神であり、性すなわち宗教である。そしてここに私は非常な魅カを感じた訳だ。この考え方をしかし、私自身が完全に自分のものとするのはおそらく不可能だろう。精神の枠組というものが初めから違っているんだ。今のところは私はその賞賛者でしかあり得ない。

 今、私は完全なサイケデリック・アフリカのヴィジョンを持っている。今度出るデビッド・バーンとのコラボレーションアルバムは、非常に楽天的なものだけれど、彼と私がアフリカに見つけたものは、まさにその楽天主義的未来観だったんだ。彼らの国家が、というのではない。アフリカの国家にどんな楽天的要素があるだろう。そうではなく、楽天的なのは、この、各人各様違った顔をしている人々のいる、まるで自分達が現実にはどれ程困難な状況か、全く知らないとでもいう風に楽天的な人々の住む、この大陸なんだ。
 これからの数年、私達が発見する答えというものは、殆んどアフリカからもたらされることとなるだろう。過去50年間、東洋がそうであった様に、これからはアフリカが、非常に重要な影響を持つことになると思う。

 

 終

 


by hataeno