gif.gif (1473 バイト)
interview 1979


 

そろそろ話を始めましよう。rm01.jpg (5643 バイト)

 

ちょっと、待って下さい。その前にお話があります。サホコという日本の女性から何回も手紙をもらいました。大変美しい手紙です。彼女には会った事がなかったのですが、私がバンコクに滞在中、ある時公園で座っていたら、隣に彼女が座ったのです。私は彼女だと知らなかったし、彼女も私を知らないと思っていたのです。その時は一言もしゃべらなかったので。ところが、帰国後サホコから手紙が来て、それにはバンコクに行った時、あなたが公園に座っているので、隣に座ったという事が記されていたのです。たいへん不思議なことです。あいにく、彼女の住所が書いてあった最初の手紙をなくしてしまったので、居所はわかりません。この話を、あなたの本に載せて下さい。

 

わかりました。

 

日本のファンからのものの中で一番いい手紙です。日本語を英語に直訳すると詩のようにたいへん美しい。私は日本からの手紙が好きです。もっと手紙を送ってほしい。ここの住所なら、皆さんに教えて下さって結構です。

 

それじゃあ、そろそろインタビューを始めますが、いいですか。

 

はい。何か飲みものはいかがですか。

 

どうも、ありがとう。
ボウイや、ブリティッシュ・ロックは現在、音楽の土壌又はコンセプトをドイツ、言い換えればゲルマンにもどそうとしている。そういう時なのに、何故あなたはニューヨークに居てヨーロッパに背を向けるような形をとるのか。

 

ニューヨークに住んでいる大きな理由は、ミュージシャンを始めいろいろな人々に会えるから。たとえばフィルムメーカー、アーティスト、建築家などです。ロンドンでは、何人かの限定された範囲に留まってしまう。今、ロックには3つの流れがあります。アメリカ、ドイツそれに一般的なヨーロッパです。私は、それらを一つにしたい。その為に、色々な人々に会う必要があり、それにはニューヨークが一番適した所なのです。

 

音楽以外のアートには、19世紀未の象徴主義や、20年代から30年代のロシア構成主義、表現主義、ダダ等のコンセプトが見うけられるんですが、その中で一番興味を持っておられるのはどの辺りでしょう。さっきの話でほぼわかりますが……。

 

絵画の動きでは、20世紀初頭から30年までの運動にはすべて興味があります。特にシンクロニズムには。その特徴は、色彩に対して実験的なことです。音楽に関しては、ロマンティックなものには興味がなく、むしろシステム重視のアートに興味があります。ですから、音楽の動きもこの20年間に起っている運動だったらすべて興味を持ってます。ロックはポピュラーなもので多くの人々が楽しめるが、ダダは少数の人々に限られたものです。それが両考の相違点なわけですが。20世紀の芸術運動は、ロックに吸い込まれていく、ロックというのは、言うなればスポンジのようなものですね。

 

私もそう思います。今までのロックに一番欠けていたものは言葉という間題だと思う。では感情という問題はどういうものなのか。又言棄の問題は、たとえば音楽の中に言語化していくものなのか、音そのものを言語化していくことを含むのか。その辺はどう思われますか。

 

それは、大変大きな問題だと思います。そこで言われた言葉とか、言葉を通じて行なわれる思考とは、頭の中での思考をさしている。思考とか言葉は、本来頭脳にだけあるのではなく、体のすべてが頭と同じであって、体の動きも思考の一種です。先程述べたように、私はロックがポピュラーな点に興味を持っています。ヨーロッパでは音楽を、ポピュラーと芸術とに二分化してきました。私にとって、それが統合されてきたのは最近のことのように思えます。一つのもの、ということはまずフォークのようなものから民族音楽のようになり、それがよりインターナショナルなものになってきたことにも言えます。思うに、二つのものが一つになってきたというのは、分離していた頭が首の上に乗ってやっと一個体が完成したような感じです。

 

また言葉の事になるけれど、この間デビッド・バインと話した時フーゴー・バルの音響詩のことが出たんだけれど、それは言葉を音楽化してしまうことで、シエーンベルクの「月に憑かれたピエロ」は、言葉を音的に処理したように思える。音楽の中で言葉は大事なものです。意味伝達ということではなくて。

 

現在のところ、声を録っていてそれを何とかしようと思ってます。たとえば、道端で話している人の声とか、ラジオから聞こえてくる声とか……。録音してもいいですよ。音の状熊はよくないけれど。声を録っていて気に入ったメロディー、たとえば(発音する)などを切り取ってループにする。これが、今の私の音楽の中での言葉に対するアプローチの仕方です。これらの声は別に歌っているのではなく、自然な話し言葉としての音としてあるのです。

 

それじゃあ、言葉の意味性というものをあなたは無意味なものとして捉えて、なんというか……無意識としてある言葉に一番興味があるのですか。

 

言葉が混乱しがちなのは、幾つかのレベルで意味を持っているからで、意味と言っても二つのレベル、ひとつは言語の意味、もうひとつは話し言葉というか、音的な意味。たとえば、先程聞いたテ-プは伝導師の声で「世界に平和を」と大声で叫んでいた。言葉自体は平和な意味ですが、怒ったような大声で叫んでいる。
私は音楽を作る時、音を先にします。音を聞いてそれに合うような言葉を作り、さらに、それに言葉を当てはめて理解しようとする。
たとえば、ある詩を音楽にするのは難しいものです。詩は詩だけでリズムを持っていて、音楽にしない方がいい場合もあるのです。

 

マレーシアでサイバネティックスの執筆をなさっていたのはもう出来上がったのですか。

 

自分がすべて書いているのではなくて、アンソロジーとして、一つのパートを書いたのです。その本は、8人の著者から成っていてそれぞれの立場でサイバネティックスのことを書いている。ためしにあげれば、原子物理学者、植物学者、政治家などで、私は唯一のミュージシャンです。そしてその本はすでに出来ています。

 

その辺をもう少し話して下さい。

 

(間)ちょっと考えなければ……(笑)

サイバネティックスは複雑なシステムを扱っている科学で、一般的な結果をもたない。多くの他の自然科学は、細部に渡るまで完全な結果を得ることができるが、サイバネティックスは概ね人体のような複雑な対象を扱うので明瞭を結果が始めから出てこないのです。
私がそれに興味を抱いた理由は、私自身のこの2、3年の作曲方法がそれと似ているからです。メロディの断片が浮かぶとスタジオに入ってスタッフにそれを提示し、それにハーモニーを付けるという他の人々のやり方とは随分異なっています。私は、あるエモーショナルな状況を作り出し、その中でどのような音楽が生まれてくるかを全員でやってみようという方法を採るのです。それは、サイバネティックスの、何かを起こして、その結果の行方を見るのとよく似ています。私がそういうプロセスに興味を持ったきっかけは、イギリスのコーネリウス・カーデューという作曲家の「ライト・ラーニン」を聴いたことでした。
彼の楽譜は、すごくシンプルで、言葉でこうしろ、という具合いに指示してあって、そのとうりにするとスコアがないにも拘らず、プロが演奏しても、そうでない人が演奏してもだいたい同じ結果が生じ、それに非常に興味をもったのです。

 

その人はいつ頃の人ですか。

 

今、40才位だと思います。一節を演奏する時、その指令通り演奏すると自動的に、様々なコントロールがなされて一つの演奏が仕上がる。力ーデューはそれを知っていて、細部に渡る複雑な楽譜を書く変わりに、、言葉で書いていくという方法はとても興味深いものです。

 

その指示は、記号みたいなものか、それとも完全に言語化したものなのですか。

 

曲というのは、楽器ではなく声だけで演奏きれます。例をあげれば、指示のひとつには自分の聞いている音で好きなのを選んで、その音と同じ音を出すというのがある。
たくさんの人々が一つの部屋に入っていろいろな音を声で出す。そうすると、部屋には部屋の同調する周波数があって、ひとつの音が他の音より聞こえやすいという事が起こる。最初のうちは、いろいろな人々が様々な音を出していても、自動的に人の耳にいちばん聞こえ易い音の所に集まって、その音の周辺に人々の音が重なってくるのです。
だから、最初は全員が勝手な事をして混乱していた音が、次第に一緒になって、大変綺麗なものが二つ位しかなく、それをどんな人達にやらせても同じ結果が生じます。
もう一つの例を挙げましょう。素人の集まりでは自分が歌うということに神経質になる。周囲の人の声を注意して聞いて、大声で歌おうとしない。まわりの人が大声を出さないと、自分も出さなくなり結果的に皆小声で歌うことになる。やがて自信がついてくると大きな声で歌うようになる。このように、全体としてみると、大きくなったり、非常に静かになったり波があって大変美しい音になります。

 

それはレコードになっていないのですか。

 

一枚あるのですが、今はなかなか見つかりません。ドイツの会社から発売されているのです。作曲には、大別して二つの方法があります。一つには指示をして、人々にある強制をしているもので、それはクラシックのやり方です。もう一つは人を集めて、その行動を見てその中から生じてきたものを吸収し、発展させていく方法。私は後者の方です。人を集めて指示を与えることを私はしません。たいてい、レコーディングスタジオで仕事をしています。そこでどういう方法を採るかというと、私は作曲家というよりも画家に近い。普通の作曲家のようにスコアを書いたり、頭の中で読んでやっていくことはしないで、スタジオというキャンバスでいろいろ試したり、組み合わせたりして作っていく。たとえば、土曜日に何人かのミュージシャンとレコーディングをしていたとき偶然非常に面白いフレーズの入ったテープを聞きました。たぶん10秒くらいのものだったと思う。私はその部分をループにして、くり返し何回も聞<よう作り直しました。そのフレーズは、もしかしたらスコアどうり演奏しなかったのかもしれない。そういう演奏が突然すごく興味のあるものとして現われてくる。
ところで、日本人は時間に対してどのようを態度をとっていたのでしょう。さらに昔はどんな時間の使い方をしていたのでしょう。

 

昔は十二支で、それは太陽の方角で時間を決めていた。日本人の時間の観念は西欧人のそれとは違って、連続的、円的あるいは反復といったものが基本としてあると思います。

 

西欧人の熊度は、過去は過ぎ去って、未未はこうなってくるという見方をし、中国人は過去を含んだ未来を見る。
別の話へ移りましょう、全く混乱してきます。別の質問をして下さい。

 

では、音というものは何処へ消えると思いますか。

 

トーマス・エディソンを御存知と思いますが、彼のセオリーは、音というのはある一定のエネルギーを持った物体で、いったん発生したらこの宇宙のどこかに消えないで存在しているというものです。
だから、彼は音を集める機械を作ろうとした。たとえば古代ローマ人の音もシェイクスピアの声も何処かに消えないであるはずで、それを取り出すような機械を考えたのです。

 

それはわかります。私の部屋は、何というか、音が壁にまつわりついているという感じですが−−−音が多すぎて……(笑)

 

人間にとって眼で見える範囲というのは、限定されていて、ものすごく速く動くものは、それが静止しているのと同じように見える。人間のひとつひとつの体を作っている素粒子は動いているのですが、それがすごく速い動きなので静止しているように見える。たとえば図グラフを書くと、こういうようになって、この間だけしか人間の眼に見えないということです。この辺りの問題が、私自身の一番興味深いところです。
それで、今言ったのと同様に音というのは、分散しで、空気中の様々な所へ行って聞こえなくなる。また、ニューヨークに住んでいると騒音に慣れてしまって、何も聞こえなくなってしまいます。人間の頭脳というのは、生存するために、そのように慣らされて、ある部分のインフォメーション以外のインフォメーションを拒否する働きをするのです。

 

日本人は、音に関してすごくデリケートで雨の音でも、こちらではピリパラピリパラですが日本では、ピシャピシャとかシトシトとか多種多様の表現があるのを御存知ですか。

 

マレーシア滞在中に気づいたのですが、マレーシア人というのは音を記述するのにたくさんの言葉を持っていて、一例をあげると、枯葉の上を歩く音とか、ボートに乗って、その上で手を叩いている音とか、音を表現する言葉がたくさんあるのです。

 

日本では字そのものに音があります。

 

日本は、漢字を使っていますが、中国の意味と日本での意味は違うのですか。加えて、発音の方はどうなんでしょう。

 

同じ時もあるけれど違う時もあります。発音については、異なっていますね。

 

ダイヤグラムを使って説明しましょう。たとえば旅をする時、旅という形をダイヤグラムで表わすことができる。この図にも書いたように、地質、地理、景色、季節とあって、下にあるものがひとつひとつ上にあるものに影響してこういうものが出来あがっているけれど、それをあまり意識はしない。音楽について私が考えている事もこれと同じように説明出来ます。地質→文化、地理→あなたの居る所、景色→地方性、独自性、季節→ムード、こういうように置き換わる。普通アーティストが作曲するということは、この段階で動いていて(と図を示しながら)もう一つの上のアンビエンスというあまり人が手を下したりしない所がある。たいていのアーティストは、この3つのレベルで作曲しているけれど、たまにこっちに影響を与えたり、変化させるようなことをしてみたりする。こんな具合いに説明が出来ます。

 

続く

 

 

コーネリアス・カーデューrm07.jpg (3504 バイト)

カーデュー、コーネリアス(英国人、1936年生まれ)まずカンタベリー教会の合唱員として(1943〜50)そしてロンドンの王立音楽アカデミーで(1953〜57)教育を受けた。その後、コロニューで電子音楽を学び(1957〜58)、カールハインツ・シュトックハウゼンの助手をつとめ、彼と共にコーラスとオーケストラのためのCarreを作曲した(1958〜60)。またローマでゴフレード・ペトラッスィと共に学んだ。(1964〜65)1960年以来、彼はイギリス、ヨーロッパ、アメリカで音楽活動や講義を行なってき、現在はロンドンに住んでいる。

カーデューの初期の作品、ほとんどがピアノ曲だが、一連のテクニックを必要とするものでありその当時ポーレッツとシュトックハウゼンによって作られたピアノ曲の形式に従っている。もっともそれよりも幾分か自由に作られているが。その音楽では、注意深く楽器か使われている(例えば、「2月の諸作品」における和音の表記の仕方や音楽の衰微のさせ方)。
ジヨン・ケージの影響が1960年頃見られ出したが、当時、カーデューの表記法は以前にもましてグラフィックになり彼の音楽の形式は楽器編成法や音の持続、その他の点に関して、あまり確定しない方向へ傾むいていった。この流れは,演奏者のための指示の無い193ぺ-ジにもわたるグラフィック・スコァを持つ「講文」(1963〜67)において極点に達した。

より最近の作品では、音楽や言語やグラフィックな要素が混ぜられている。例えば「スクールタイム・コンポジションズ」(1967〜)や「偉大な学習」の第一部(1968〜)などの作品では、スコアは、即興的なコーラスや笛の演奏という点で中国的な性格を含んでいる。

昔の音楽は演奏者の考え得る限りの技術的熟練を必要としている。それとは対照的に現代の音楽は別にミュージシャンでなくても演奏できる。しかしながら、それらは同様に熟練を要求される、というのも演奏者は常に自分がグループ活動の部分であり、それに従ってふるまわなければならないということを意識していなければならないからである。彼の困難は肉体的かつ個人的なものであるよりむしろ精神的かつ社会的なものである。

社会の一員としての演奏者のコソセプトは、孤立した音楽製造機械としてではなく、ケージの最近の作曲の観点の論理的延長である。カーデュ一の場合、それはまた即興音楽に対する幅広い経験に由来している。(特に□ンドンのAMMグループや彼が1969年に創設したスクラッチ・オーケストラとの)。 この経験は、彼の思想にかなりの影響を与えた。そしてまた彼の若い作曲家に対する影響は、特に英国では大きい。

主要作品
「弦楽三重奏」(1957)「ピアニストのための二冊の学習書」(1958)「オータム、60」、l「ジャスパー・ジョーンズのための八重奏、61」(1961)
主要著作
「音楽空間の結合」(1959)、「コンテンポラリー・ミュージック」(1963)、「ピアニストを射て、作曲家ではなく」(1967)、「ア・ビューティフル・スコア」(1968)