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interview 1979


 

ちょっと音楽から離れますが、あなたは神を信じますか。

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普通のやり方では信じておりません。

 

それじゃ、あなたはアイデンティティというものは何に見ておられるのか。

 

どこに求めるか、ということは、どこからか選択するものではないか。アイデンティティというのは、二つのレベルがあって、一つは自分が何であるかというものと、自分がどういうものに成ろうかというのがあります。さきほどの図に戻って言うと、自分が何であるかというのは、身長がいくらで、どのような筋肉質であるのかということで、これは、地質のレベルにあたります。次のレベルの地理にあたるのは、自分で選択ができるレベルで、たとえて言うなら、どういう志向を自分の中に取り入れていくかということで、ここで選択するものがたくさんあるというのが自分にとって問題なのです。人は、その選択の自由があればある程すばらしいというけれど。たとえば仏教の言葉をつかえば、どこにもいないで、どこにでもいくことができるといった感じです。しかし、宙に浮んでいるみたいに感じるし……自分はそういう所に居るんではないかと思う。
あなたの質問に対するもう一つの答え方は、たとえばミュージシャンである事によって自分の言葉の使い方にしても、普通の仕方だと「自分はこういう音楽を作るんだ、こういうやり方で進むんだ」と決めると、それに反するものは切り捨てて進む、だが私の場合はそうではなく、自分はこういう人間であると最初に自覚し、間違いも何もかも受け入れてそれを自分で抑圧せず、そこで自分に何ができるかを考える。これが私のセオリーであるけれど、必ずしも成功しているとは言い難い。(笑)
そういう事を付け加えねばならない。(笑)だから私のアイデンティティは自分が失敗するということになる。(笑)
オレンジジュースはいかがですか。

 

いただきます。
でも、ずいぶん東洋的な人だね。(通訳に言う)
時には、そういう東洋的なものは、すごく誤解を生むでしょう。

 

しかし、西欧人でも私の興味ある人で、東洋的な考え方をしている人がたくさんいます。
西欧において、この300年は非常に特異な時期だと思う。たとえば、西欧人の原因と結果という考え方は、おそらく宇宙を大きな機械のようなものとして理解する所にあらわれている。その機械の運動は、ひとつひとつの部品が動くと、全体としての機械が動くというふうに合理的に考えてきた。さきほどの体のことでいえば、頭というものだけがあって、他の部分は頭を支えるだけのもので、いわばどうでもいいものだとする考え方です。一方、東洋の考え方は、全体がもっと調和されて動いていると見える。西欧人もしだいに今までとってきたような合理的な見方で全体を捕えられなくなってきたことに気づいてきている。

 

存在そのものというのは、すごくアナーキーだし、ものすごくアンバランスなものだということに最近気づいたのですが、あなたがそうして生きていく中でバランスを保っておられるのは、サイバネティクスの制御という考え方と関係あるのですか。

 

サイバネティクスでは、完全なバランス状態は、死んでいる状態であって、それはありえない。サイバネティクスはどういうことをやるのかというと、バランスしていない状態をバランスしようとする。すると他の部分でアンバランスが生じる。するとそれをバランスしようとする、という動きで、決して閉じられたものではない。それと同じように自分は、別にバランスしようとしているのではなくて、バランスしていないものを使って何かを作りあげていく。だから、さっき言ったように、自分が色々とまちがったり、失敗をしたりする時、そのまわりに様々な状態が起こってきて、それを利用をしようと思っています。

 

よくわかりました。今まで誤解していました。存在というものはどうなってもアンバランスでありアナーキーであるから。

 

そう、生きてる限り、バランスを得ようとしてもむりです。

 

それじゃあ、その不安というものをあなたの場合どう処理なさっているのか。

 

それは自分にとって非常に問題です。毎日、毎日が昨日とちがっている。ある日は6時に起きてみたり、11時に起きてみたり、ある日はトーキング・ヘッズと仕事をしたり、図書館へ行ったりサイバネティックスの本を読んだりと、日々の規則性が私にはない。
規則正しさみたいなものを作りあげたいとは思う。

 

そう、だから私も生活の連続性というものの中でしかバランスを保てない。

 

普通の人は、勤務時間が決まっていて、そういう人にとってみると、毎日なにをしてもいいというのは自由ですばらしいことに思えるかもしれないけれど、そうではない。たとえばある日、起きて何もすることがない。今日何をしていいのかと感じるのは、それは、自分自身に責任があるということで、とてもたいへんなことです。
普通の人にとって、お金をもらうためにとか、生活のためにひとつの規則的な時間帯があるわけで、生活をするという理由のために、自分はこういう時間の使い方をしているという。反対に言えば、それが正当性になっている。私の場合はそういう正当性が全然ない。
ということは、私のように毎日時問を使っているというのは、果して自分にとって時間の無駄であるのかないのか、昨日したことが非常な時間の浪費ではなかったか、ということを考えてしまう。今、私はビデオを作っています、もし御覧になりたければどうぞ。

 

ぜひみせて下さい。

 

4つの画面をふつう使うのですが、今はひとつしかないので、それでうまくアレンジ出来るかどうか。ビデオで今やっているのはポートレイト。スクリーンは、普通の横位置ではなくて縦位置で使います。

 

それは、いいアイデアです。

 

その方が普通よりずっといいです。

 

それは、どういう風にして写すのでしようか、カメラを横にして?

 

ええ、そうです。

 

テレビの放送もそういうふうに縦長になるといいね。(笑)

 

近い将来には、テレビが縦も横も使えるようになって、その番組の前に使い方の指示がしてあるようになると思う。(笑)

 

フィリップ・グラスなどは、たとえば「アインシュタイン・オン・ザ・ビーチ」の中で演劇と音楽というのをやっているんですが、あなたはフィルムミュージックが多いというのは、それは意図してそれをなさっているのですか。

 

そうです。自分でビデオをやるようになって、ビジュァルなものに興味をもってきた。今私に興味がある点はビデオディスクがマーケットに出るようになれば、ひとつの問題が今までの映画に生じてくることです、というのは、映画はせいぜい見ても二、三回ということを前提として作られている。ビデオディスクを作るとしたら、それは何回も<り返し見ることを前提とされる。私は今そのくり返し見ることの出来るようなフィルムの条件をさぐっている。私の思うのには、それはあまり動きのない、たいへん静かな映像ではないかと思っているのです。

 

あなたが演劇に興味をもっておられないのはパブリックな面に対する姿勢が原因していると思うのですが。その辺はどう考えておられるのですか。

 

演劇よりも映像の方に興味があります。演劇でもダンスの方に興味があります。
ライブ・パフォーマンスについてはあまり興味がない。というのは自分の曲を聞くとわかってもらえると思うが、ステージでは演奏がしにくいということもあります。レコードにして部屋で何回も聞く曲だと思う。しかし、最近はライブ・パフォーマンスを考えていないこともなくて、それはダンスに関することで、音楽の演奏が主になるのではない。私はあまりステージで見られるのが好きではない(笑)

 

それで、具体的な考えはあるのですか、

 

たとえば、タイにいた時、バーでゴーゴダンスを踊っている人達にロボットのような踊りを教えたのです、それは手と足に白い紙を付けて、紫外線をあてると他の部分が見えなくて紙を付けた所だけが白く見えてそれが、ロボットのようにティティティと動いているのがたいへん美しかった。他にダンスのアイデアはたくさんあります。

 

現実にニューヨークに来て思ったんですが、今、モダンバレーにしてもダンスが復活しているけれどそれは何かあるのですか。

 

私も含めて、皆がダンスを楽しむようになってきたのは、体に対する認識が高まってきたからではないでしょうか。私自身、1年ぐらい前まではダンスについて考えるということを想像もしていなかった。

 

今、ジャーマン・ロックにしてもディスコミュージックをエレクトロニックに処理しているんですが、あなたはダンスミュージックは作らないんですか。(笑)

 

私は音楽を聞いている時はダンスをしているつもりなんですが、それは非常に特異なものであって他の入が同じ様にできるとは思えない。私は聞いて体が動くような音楽が好きで、たとえばレゲェというのはその最たるものです。体が動くようなビートの取り方で、それで突然ビートが切れて体がパッと落ちてしまうような、そういうビートがふえてくるのではないかと思う。

 

アンビエントシリーズというのは、次はいつ出されるのか、それからアンビエントはシリーズで続くのか、そしてこれからの予定みたいなものはどうなっているのですか。

 

アンビエントの最初のものは、一種の実験的なもので、どのくらいの人が興味をもつかを知りたかった。それはすごくよく売れたのでこの調子で続けて出していくつもりです。
今考えているのは、ニューヨークのトランペット奏者のジョン・ハッセルと何かをするつもりです。

 

ハロルド・ブッダという人とレコーディングをしたということを聞いたのですが。

 

まだです。今、レコーディングの最中です。それもおそらくアンビエントに入るでしょう。あと2ヶ月ぐらいで出来る予定です。

 

コマーシャルな方面で、ディーボとかトーキング・ヘッズ的な音楽を次になさるつもりはないのですか。

 

ト一キング・ヘッズのニュー・レコードのリリースは、もう終わりました。今のところ、他のグループのプロデュースには興味がない。私は自分のレコードを最近出していないので、むしろ自分のレコードのことをやりたいと思っています。

 

私もそう願いたい。(笑)

 

プロデュースというのは自分が前面に出ないのでそれほど勇気を必要としない。たとえばディーボやトーキング・ヘッズでも彼らが前面に出るのだから、プロデューサーは後にまわって別に勇気はいらないけれどそれほどおもしろくない。自分で何かをするというのはたいへん勇気がいるけれどたいへんおもしろいことです。

 

どうも今日はありがとうごぎいました。

 

 

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このビデオは単なる実験でとりたでて言うことはありません。画面はものすごく抽象的なものです。

 

実はビデオ・カメラに初めてさわってからまだ6週間しか経っていません。今、こうやっているのはまだ実験の段階でいろいろやっているうちに自分のやりたい事がわかってくると思うのです。

 

ヴィデオ・ディスクを作ろうと思っています。でも、音楽を何回も何回も聞くように、眼で何回も何回も見られるものを見つけるのはむづかしいです。rm06.jpg (10538 バイト)

 

今、やりたいことは、一つはスピードをできるだけ遅くすることです。もう一つは画面をできるだけ大きくすること、そしてその大きな画面に動いているが、動いていないのか解らない位のスピードで映してみたいんですが、技術的に言ってビデオのスピードを遅くするのはむずかしいです。

 

他に画面の上に穴をいっぱい開けたアルミホイルをはって映したこともあります。

 

15のコントローラーがこのビデオには付いていますが、それを操作すると映像のパターンはもう無数といっていい程です。

 

この画面は生きているみたいです。非常に有機的です。私は動きのある画面よりも、むしろストイックでスタティックな画面の方が好きです。それに、この粒子のザラザラした質感も私の好きなものです。

 

シンクロニズムについて一言えば、たいていテレビの画面にしても、レコード・ジャケットにしてもふちはシャープで四角くなっていますね、そういうグラフ線のように、シャープで細いわくの上にソフトなものを置く効果が好きなんです。コントラストがね。実に、有機的に見えるでしょう。

 

こういう抽象的なものばかり撮っているのは具体的なもので撮りたいものがないからなのです。それにこのカメラはあまり遠くへ持っていけないので、私はもっぱら部屋の中で窓から見た景色をたくさん撮っています。本当はもっと外に撮りに行かなくてはならないのですが、私はなまけものなので、そういうのが好きじゃないんです。

 

次のアルバムは十月に出ます。タイトルは「ミュージック・フォー・ホスピタル」というのです。

 

西洋人は日本の人々のようには静かな音楽に慣れていません。尺八音楽などは彼らには空っぽに聞こえます。西洋人は何かこう、もっとたくさんの事が起きるのを期待しているのです。rm03.jpg (4924 バイト)

 

古代の中国や日本の音楽は非常に奇妙に聞こえます。尺八音楽や琴音楽はわかりやすいですけれども、雅楽はパーカッションがあるのですごく変わって聞こえます。

 

私も音楽で自分の魂を清めようとしています。

 

 


rock magazine 1979 12 Interview Yuzuru Agi