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interview 1978

 


 

どうやってオブリーク・ストラティジスを考え出したのですか?

 

とても長い話になるよ。私が美術学校へ行ってた頃、絵を描いているとき、作品に没頭してしまう状態から脱け出すためのプログラムか、しかけみたいなものをつくり始めた。例えば、あまり細かな事に集中してしまって、実際に全体を見渡すことができなくなる。
そして、一歩外へ出て、対象を全く物としてみることもできなくなることがあるでしょ。オブリーク・ストラティジスのアイディアは、見方を一瞬混乱させることなんだ。絵との関係に遠回しな作業を課すことで、絵に正面から到達することができるし、もう一度見つめ直すこともできる。当時、頭の中には、5つか6つの法則があったんだ。それから、ロキシーができて、ファーストアルバムを作ったとき、−−もちろんあのアルバムはとても好きだけど−−−アルバムができて、そのレコードを家で聴く段になると、「こうすればよかった、ああすればよかったのに」と思い始めた。もう少し離れたところから見たり、ちがう見方をとっていたら、大きなちがいが生じるような個所が、たくさん見つかった。急に。だから次のアルバムの録音のときは、25枚位他のカードを作って、スタジオに張ったんだ。いつも自分に、思い出させるためにね。これがオブリーク・ストラティジスのアイデイアだ。今使っている組にも、その頃のものの多くは残っているよ。スタジオの中で落ち入る一種のパニック状態はリアルじゃない。
そういうのは、音楽のためになるとは限らない。8時までに来て、9時までに何か終わらせなくてはならない、なんていうのは。だから、とても直線的な方法で、進めていってしまいがちになる。だが、その直線が、正しい方向をめざしていないとしたら、どんなにハードにやったとしても、どこにも到達するはずがない。このカードの役目は、正しい方向を向いているかどうかを常に問うことがある。例えば、「ああいうやり方はどうか」というように、それ以来、レコーディングでスタジオに入るたびにカードに色々付け加えていった。また、後になっていくつか役に立ちそうな法則を見つけたし。
その後、友人の、画家の、ピーター・シュミットにカードを見せたら、「私も似たようなことをやって来たよ」と言って、彼のノートを見せてくれた。それには1ぺ一ジ毎にアフォりズムや、アイディアが書いてあって、多くは私のと一致していたんだ。それで、ピーターと私でカードを整理して、他のをいくつか発見した。これは役に立ちそうだと思い始めて、とうとう小さな本にして出版した。今でも役に立っている。しばらくしたら、進行を妨げる力も失せると考える人もいるけれど、私にはそんなことはない。もう役に立ちそうもないから、外したのも2,3あるけれど、90枚位は今でも使っている。

 

カードは無作為に引くのですか?それとも、その時の状況に、関連のあるカードにあたるまで、次々にカードを見ていくのですか?

 

いつも無作為だ。他の人はカードを選ぶけれど、私は行き詰まって、助けが要るとき以外は、カードを使わない。私が作品を作る場合、2つの特異な点がある。ひとつは、作品をそれ事体で歩かせてしまうこと。つまり私がすべてインプットしてしまったら、何かをそこから起こさせること。もうひとつは、色んな物がひとつの方法で、それも私がインプットした物からは、予想も予見もされない方法で組み合わされ出した場合だ。こういう状態ならすべてOKだ。なぜならその時は、作品がそれ事体の条件を、支配し始めるのだから。つまり、ある先の動きが必要になるような、アイデンティティを得ていくのだ。でも一番目の状態では、行き詰まりになってしまう。何を与えれば良いかわからない。そういう時、カードを1枚引くことにしているんだ。

 

曲は、ある順序に従って書くのですか?

 

それは色んなやり方だ。私はひとつの技術とか、ひとつのやり方だけを取らない。まあ大ざっぱに言って、3つか4つの別なカテゴリーに分類される。ひとつは、伝統的なカテゴり一だ。私はいつも、丁度君のと同じようなテープレコーダー(マイクロカセット)を持っている。道を歩いていて、リズムやメロディや一連の言葉や、ちょっとしたアイディアが浮かぶと、それを録音しておくんだ。そういう記録はもう何千もある。そして、どれかお互いに合う物があるかどうか検討してみる。
それが終わると、今度はデモの段階に入り、私のテープライブラリィに保管する。でも、それをあるオーダーで、やろうとしているけど、とてもむずかしいよ。そういう物に名前をつけたり、分類したり、出来ないんだから。直接スタジオにいて、何か出来る為にする方法もよく取る。それまて使った事のない楽器を2台−−−特別なタイプのオルガンとエコーとか−−−を持って来て、素材になりそうな物が生まれるまで、色々やってみるんだ。素材となる物は、あるムードを示唆し、ムードがある詞を生み出す。もうひとつの方法は、音楽に関係のない節を作るやり方だ。「ええと、この曲は3分19秒で、ここと、ここと、ここで変わって、ここに大きな変わり目があって、そしてここでとても早いりズムになって、同時に緩やかな動きのパートをかぶせて……」という風に。こういうビジュアルなアイデイアをグラフ用紙に書いていく。
沢山のフィルムミュージックは、こうして作ったんだ。それから、普段は一緒にやる事のないミュージシャンを集めてやることもある。

 

誰かが、貴方はお互いに好意を持っていないミュージシャンを使うと言ってたけど。

 

いや、個人的な敵意を持っている訳ではない。彼らがお互いに憎んでもいないし、ただ全く違う音楽のジャンルの出身で、そのジャンルが相反しているんだ。1人はホ一クウィンドのメンバーで、もう一人はジェネシスのフィル・コリンズ。確かに、この二人は全くかけ離れた所に位置している。そしてそのトップにロバート・フィリップ、そして私、他のパートもやるけれど、そしてもう1人はスプーフ・ロックバンドでやっていたような人間、50年代初期の音楽みたいなのをね。やり方としては、ただグループを集めて、それぞれ自分のパートをしっかりやるように言って、そして、みんながあるポイントを均一化させて、譲ってしまうような状態で普通起こることはやらないこと、実際みんな大体同じスタイルでやってるようなものだから。私はそれと全く反対のことがしたいんだ。それぞれ自分のスタイルを強調して、私はそれらを引き離す。すると中心に一種のスペースが出来て、私はそこをオペレートして、ある方法でこれらを連結させようとするわけだ。実際私の作品は、多くはこうして出来る。

 

ボウイとロウをつくった時、インストゥルメンタルサイド(B面)は、あらかじめ計算されていたのですか?それともスタジオに入ってから考えたのですか?

 

曲によって少しづつ違うんだ。事情が“ウィーピング・ウォール”と“サブタレニアンズ”は、もともと「地球に落ちて来た男」のサウンドとラックとして出来たんだけど、契約上の理由で使われなかった。それでそのトラックに二人で手を加えたんだ。実際は私は“ウィーピング・ウォール”には全くタッチしていない。そして、デビッドが、誰かに訴えられたので、2日間パリに行かなくてはならなかった。それで、スタジオで私が時間を無駄にするよりは、と思って自分で曲を作り始めることにした。もしデビッドが気に入らない時は自分て使えばいいと思って。とにかくスタジオで時間を浪費するのはたまらなかった。そして自分でやり始めたら、デビッドがもどって来た時は、全部のインストゥルメンタルの部分は終わっていて、彼が、それにボーカルを入れた。それが“ワルシャワ”、とても明快な分業だったわけだ。
“アート・デケィド”は、彼がピアノで弾いたフレーズがもとになっている。4本の手が要るから2人で弾いてみたけれど、できてみたら彼はあまり気に入らなくて、忘れかけていた。でも、たまたま彼がいなかった2日の間、1曲出来たので、もう一度どうにかならないかやってみた。前のに色々楽器をたしてみたら彼がそれを気に入って、望みがありそうだと思い始めた。彼がそれにさらに楽器を使って手を加えた。“アート・デケィド”は、本当に私の好きな作品だ。「ヒーローズ」では、それ程はっきり分けなかった。なにしろ、ふたりで全曲を作ったし、ずっと一緒で、大抵変わるがわるに。オブリ一ク・ストラテジィスも、だいぶ使ったよ。
“センス・オブ・ダウト”をやる時、最初にふたり共カードを引いて、ずっと持っていたんだ。ゲームみたいに。かわるがわるに曲を作っていて、彼がオーバーダビングして、次に私がして。名々が自分のカードに出来るだけ忠実に従おう、と考えていた。ところがカードはお互い全く逆の事が書いてあった。
私のは「すべてを出来るだけ類似させよ」で、単一のラインを作ろうとしているし、彼のは「差異を強調せよ」だ。つまり私は曲を平胆にして、ひとつの連続体にしようとしていて、彼は全く逆の事をしていたわけだ。

 

貴方のニューアルバムや、ボウイの最近のアルバムとか、クラフトワークの最近の2枚のアルバムには、踊れる音楽、それでいて、アドヴァンストな音楽があるけれど、ディスコに進出するのはどうですか?

 

オー、イェー!考えるよ。もし王権みたいなものを少しの間持っていて、自分の夢の通りのグループをつくれるとしたら、そう、パーラメントとクラフトワークとの合同のグループをつくるよ。2つを一緒にして、レコードをつくらせるよ、パーラメントの奇妙で肉体的な感じと、それにストレンジで硬質なものを加えた、ものすごい組み合わせになるだろうな。

 

ドナ・サマーのような?

 

そう。ドナ・サマーが、そういうアイディアのきっかけだった。レコードを聞いた時、打ちのめされたような感じがした。これが本当のプログレッシヴだと思った。エレクトロニックミュージックで、私が本当に興味を引くのは、あの領域から生まれたものが多いよ。
エレクトロニクスを極端に駆使したものじゃない。つまり、ギミックを追求する人々が生み出すもの、それは、平凡なもので、他の人が以前にやったことのないもので、どんなサウンドが、つくれるのかって考えるところから出来るんだ。パーラメントのファンカデリックな連中が好きなのは、彼らが本当に極端な事をしているからだ。連中のやっていることで、普通のことはない。ある意味でクラフトワークと同じように極端なんだ。そのふたつを、くっつけてそこから何が出来るか、とても興味があるよ。それから、ロボットレゲエもやってみたい。レゲエから意識的に感情を抜き取って、白人音楽で硬い感じにしてみたい。

 

貴方の回りのミュージシャン達のあまりにも多くは、音楽以外のことに、ほとんど関心を持たないのではありませんか?ある意味で彼らは、生きる事へのアプローチが、殆ど一次元的であるのではありませんか?

 

私が一緒に仕事している人達ではないよ。他の沢山のミュージシャンについて、それは全く本当だけれども、私はそんな人達とは仕事をしない。スノッグな根恨でいってるんじゃないよ。彼らと出合うチャンスがないだけさ。私は外へ出かけようとしないから、出会う人々はといったら、私に近づいて来る人々か、私の方から近づく人々だけさ、彼らが面白いからという理由でね。

 

どんな状況が、貴方とボウイを一緒に仕事させる事になったのですか?

 

その時私が彼の“スティション・トゥ・スティション”を発見し、凄いレコードだと思った。同じ時、彼は“アナザー・グリーン・ワールド”を発見し、それはいいレコードだと思い、よく聴いていた。そして彼は私と接するようになり、イギー・ポップのアルバムの“ザ・イディアト”で一緒にやってくれないかと誘った。実際、それは実現しなくて、私はこのレコードには参加しなかったのだが、彼は次に“ロウ”で仕事しないかと誘い、私は同意したんだ。

 

貴方の方が“ヒーローズ”を共作した時、リフやアイディアが、先に出たのですか?それとも、ボウイが先に詞をつけたのですか?どの様に作ったのか話して下さい。

 

あれは、私から始めたんだ。私はほとんど無関係なディティルから始めた。つまり、ある時間を規定してゆくシンセサイザーの音さ。私はその時、スタジオの小さなシンセサイザーの音に合わせてプレイしていった。始めに私は2つの基本コードだけやるつもりだったのが、カルロス・アロマーがプレイに加わり−−たぶんそれは、Aマイナーだったと思うが−−そしてディビッドが終りのコードをつけ加え、ピアノを弾き始めた。全くこんな風に起こったんだ。この曲の頭の部分は、殆んどディビッドが書いた。もちろん、最も大切な寄与のひとつはフィリップのプレイにある。何故なら、それは本当にヒロウィックな荘重な感じを曲に与えたからね。

 

ロキシーミュージックの“スター”であるイーノと、今日のイーノはどのように違っているのですか?人々が貴方に近づくやり方の違いはどうですか?

 

違いは私の役割のからくりというより、人々の見方の方に関係があると思うね。はにかんでいる様に聞こえるかも知れないけど、私はロキシーでスターになることを期待もしていなければ、特に欲してもいなかった。事実、ロキシーがスタートした時、私はステージの上にさえ居なかったんだよ。私は、その方がよく音をミックス出来るからという理由で、いつもホールの後ろに居たんだよ。私は、自分の小さなシンセサイザーを後ろに置いて、ホールの後ろの方で仕事していた。バック・ルームボーイでいることが好きだったんでね。そうしたら、レコード会社がいうんだ「この男がホールの後ろの方に居て、時々歌っているなんてちょっと変だ」そして、私にステージに上がれというんだ。そして私はステージに上がり、結果的に(と彼は笑い)スターになった…全く期待してなかったことに。

 

貴方はスターという言葉に笑いましたが?

 

そう。このポジションは本当にばかげてると、思うよ。決して私が欲していたことじゃなかったんだ。極端に物事を制約されているんだよ。もし、君がスターになったとしても、君の出来る変化の殆どが単純に累加的な、付加的なものだ。あれやこれやをもっと得る事が出来、ある特別な事をほんのちょっと改善出来、又、もう−−−そうモーターボートが買えるとか、そのようなものだ。ところが常に私のエネルギーと興味は、探さくされていない領域へと脱線していく事にあるのであり、とぼとぼ歩いていく事ではないんだ。スターに関する事でおかしなことは、その言葉から来る皆のイメージが、輝きに満ちていて、とんでいて、うっとりする様なものだということだ。でも、事実、精神的には、本当に固着してしまうだけさ。さんざん踏みつけられた道の上をとぼとぼ歩くのはやめにすることだ。

 

人々はしばしば、そのイメージにそって、生活せねばならずと考え、自分を茶化してすませてしまうようです。これは彼らを、よい音楽を作ることから遠ざけてしまう。これはたいへん、破壊的なことに思えますが?

 

私は実際、たいへん知的な動きをして来て、その中で自分が多くの違った放出口を持っている事を確めようとしてきた。だから私のりリースしたすべてのアルバムが次のブライアン・イーノのアルバムだ、だからある意味で前のものと似た連続体一部だ、とか一直線上に発展したものだろう、とか見なされることはないわけだ。“オブスキュァ・レコード”を始めた事、フィリップや、その他の人々との共作を始めた事のポイントは、基本的に人々を失望させない違ったタイプの作品をリリース出来るからだ。私は人々に私の名前が出ているからという理由で、オブスキュアのレコードを買って、家に持って帰って聞いて、全然歌がないといって失望してほしくないのだ。“オブスキュア”(不明瞭な)というレーベルの名前は、人々にこういうつもりで、よく考えてつけたのだ。“見なさい。買う前にこれを聞いてみて下さい。貴方が求めているものを確かめて下さい”とね。今日、多くの大きなバンドについていえる問題は、彼らのリリースするすべてのアルバムが1つのシリ一ズと見られる事だと思う。これは彼らに、ある1つの方向だけへ目を向かせてしまう。

 

彼らはこれが“フログクト”になるというんですよ。

 

そうせざるをえないんだよ。彼らは罠に充分早くから気づいていない。彼らはもうすでにその中にいて、複雑な事すべての中に頭をつっ込んでしまい、ソロ・アルバムを出す事で、それを打破しようとする。それは多くの場合失敗するね。私の見る限り彼らは間違った前提から物事を考案しているんだから。こういう考えからきているんだ。「私は自分自身の独自性を主張した」とね。これは音楽を作る上での、良い基盤とはいえない。「自分自身を主張したい」

 

では貴方は解釈されたバンドを組んだのですね。

 

そう、彼らはバンドの機能を作るものが何であるかという事を、決して注意深く探さくしたりしない。初期のロキシー・ミュージックは、それが独特の構成を持っていたという理由で、偉大なる例だと思う。バンドを見た誰もが言ったものだ「明らかに、3人の強烈な個性がある:ブライアン、アンディ、そしてイーノだね。ドラマーは、座ってプレイするだけだ。彼は多く物を言わないし、色々な事に関しての議論や反ばくには決して加わらない。しかし実際は、彼が常にやっていた事はそこに座って、物事を錨を降ろしてすえつける事だった。彼こそは重要だった。同じ様にフィルもね。バンドは、多くの個性の集合体ではなくて、ある特別の人間関係なのだ。多くの個性の間のたいへん複雑な関連であり、人は決してこれを簡単にやり過ごすことは出来ず、これが機能する事を期待するのだ。
人がもしこれをやり過ごしてしまったら、あるメンバーを出して、新しいメンバーを入れたら、人は音楽のアイデンティティー全体が変化する事を予期しなければいけない。これはまだいいのだけれど、人々がおかす間違いは、あるメンバーを止めさせて、新しいメンバーを入れておきながら、前と全く同じバンドのつもりでいる事だ。彼らは全く新しく始めなければならないのにね。

 

貴方は自分のシンセサイザーを自分で作るのではありませんか?

 

まあ、私は自分の対象が何か面白い事をやる迄手を加えひねくり回していくんだよ。私は電子エ学の資格を持っている訳ではないが、何かが出来そうな小さな部品を見付けたら、それらを一緒にしてみるのさ、コンポーネントするという事ではなくて、たとえばラジオに使われている様なコンプレッサーの事だ。実際、私の使っているシンセサイザーはとても単純なものだ。私が本当に使っているものは、コントロール・ルームさ。いつもコントロール・ルームの中で仕事してるんだ。全部のシンセサイザーを中にセットして、机の中に一列に置いてあるから、スイッチひとつ押せば、どんな楽器だって、私のシンセサイザーにストレートに送る事が出来る訳だ。このやり方で私はサウンドを望み通りどんな風にも変える事が出来る。すべての複合体の一部として、私はシンセサイザーに高い信頼を置いている。コントロール・ルーム全体が私のシンセサイザーであるけど、私の持っているシンセサイザーは、今ある内で最も普通のヤツだと思うよ。

 

ここ4、5年のポピュラー・ミュージックについて最悪の事は、その無味乾燥さだといいます。それは、ドルビーをかけられ、フィルターされて、均一につるつるに聞こえるのです。

 

その通り。私もそう思っていたんだ。だからニューウェイブが、まるで新鮮な疾風の様だったんじゃないか、実際、私はニューウェイブがいつかは何かをなしえると思っているよ。ニューウェイブは、状況を打破しつつある。これは、私自身のトランペットをふいている様に聞こえる。私がプロデュースした2枚のアルバム、デボとトーキング・ヘッズは、たいへんに力強いアルバムだ、それらは革新的なだけでなく、たいへん聞きやすい。それらは、とげとげしくない。たいへんに性急でナイーブな姿勢をとっていて、ある意味で、全く深みがないともいえるのだ。両方のアルバム共、多次元的なものであり、それですばらしいのだと思っている。事実、興味深い音楽が起こりつつあるのだが、主にイギリスの方でよく売れている。トーキング・ヘツズは、私の知る限り、アメリカでよりイギリスでの方が、はるかに人気がある。

 

ラモンズもそうですね。

 

そうだ。イギリスに真に強カなムーブメントが起っているんだ。何故なら私達の方が貧しいからね。又私達は、多くの欠点はあっても、国家的なロック・プレスを持っている。

 

そして熱狂的なね…

 

とても熱狂的だね。実際過剰のきらいはあるが、熱狂がたりないよりはいいさ。彼らはお互いにはり合っていて、最新のバンドについて我先に報道しょうとする。だから、イギリスの量もかすかな才能のひらめきしか持っていないバンドだって、一度に信じられない位の注意を引きつける事が出来るんだ。最近2年間位、そうだったね。

 

貴方が一諸に仕事していて、他よりぬきん出て印象づけられたバンドは何ですか?

 

ワイアーとエクスタシーがとても好きだ。そしてバズコックス。

 

ロキシーミュージックが何らかの意味でロックを変えた、あるいは改善したと思いますか?

 

私はイエスだと思う。イギリスでは、きっとそうだった。なぜなら、もう一度言うけど、初期ロキシーは、均質なつるつるした物とは反対だったからだ。まずスタートから、ファースト・アルバムは、ひとつのアイデンティティーを持っていないという意味でたいへん混とんとしている。同じ様に、タイトなスタイルで出て来た他のバンドは、こうでなかった。ロキシーは、真の多様性と、殆ど方向性の混乱を示して出現したんだ。このファースト・アルバムは12のそれぞれ異なる未来をその上にきざんでいる。そこには、異った多くの道があり、音楽は各々そこから発展してゆくんだ。しかしながら、私の大好きなアルバムは「STRANDED」だ、私が参加していなくてもね、私が参加していないから好きなのかも知れない。その材料となったものを全く知らないで聞くからだろう。

 

自分が参加していないものの方が判断しやすいと思いますか?

 

ずっと判断しやすいよ。

 

自分が創造したものから自分を切り離して考える事はむずかしいですね。

 

長い時間がたってしまえば、それは可能になる。私はロキシーの最初の3枚が大好きた。何故ならイギりスで彼らは2つの事をなしとげたから。ます第一に、彼らはその頃はやっていた音楽低温殺菌みたいなパターンを打ち崩した事。第二にロック・ミュージックが芸術と社会に関係するものだという概念を、突然に人々に示してみせた事。この概念は、イギリスで1964年から68年にかけて受け入れられていたもので、フーとか、他のいくつかのバンドに始まり、ビートルズと、勿論ベルッベット・アンダー・グラウンドをへて貫かれて来たものだ。そこには、ロックは君の身につける単なるエンタティメントのおもちゃの様なものでなく、もののあり方に関係するものだという意識があって、君がそれに望む態度はいくつかの意味で、自分自身をラジカルにしていく段階としっかり結びつけられているという事なんだ。ロキシーは、それを再確認したと思う。もし君が、ロキシーを好きなのなら、君はある姿勢をとって、あるやり方で世界にアプローチしているといえるのだ。

 

ツアーに出る予定はありませんか?

 

いや、ないよ、別に切望していなんだ。もし実際に面自い音楽を作り出すやり方を思いついたら、やるかも知れない。問題は、コントロール・ルームを自分の楽器として使う事にあるんだ、どうやってそれをロードにもっていったらいいかわからないんだ。どうすればいい?シンセサイザーをプレイする事は、自分に関する問題ではないんた。かなり大きなバンドを使わなければロードでは出来ない。大きなバンドでなければ、常にプレイ出来る。でも、大きなバンドだと、ぼくの仕事の殆どが、多くの資質のテクスチャーの結果になってしまう。自分が興味を持っている事よも、グループの多くの人々のトップにたって働かねばならない。4人かそこらの人々とでは、こうはならない。私は多分10人か11人雇わなければならないだろう。経済的にそれでは意味を成さない。私.ができると思う唯一の方法は、ツアーの反対で、私が一つの所に居すわって、人々が私を見にツアーして来る事だ。これは、もし私がロンドンに大きなホールでなく、1500-2000席のホールを雇えば可能だ。15000席での所で'は、全然想象できない。もし小さな所を雇えば、全部の楽器をそこにすえつけて、スタジオと同じようになり、技術的に機能することが出来る訳だ。そしたら、毎晩そこでやる事にして、2週間ぐらいつづければいいだろ

 

貴方は、どんな教育を受けたのですか?

 

教育は、すべての概念化作用を抑圧してしまう。私は11の時迄、カトリックの修道院に行っていた。16迄は、カトリックのグラマー・スクールヘ行っていた。グラマー・スクールは、別に悪くはなかったが、本当に重要だったのはサフォーク州イプスウィッチの、本当に良い、アート・スクールヘ2年間行ってからだ。後に3年間別のアート・スクールヘ行ったが、最初の2年間が決定的だった。このアート・スクールを乗っ取った様な形になった一連のスタッフが、この学校を実験的に使ったんだ。彼らは創造的な思考をつける様にしただけでなく、古い思考方法を徹底的に混乱させた。最初の学期は、生徒の答えるであろうレディメイドの答えを破壊する事についやされ、事実、3人の生徒が神経哀弱になった。最初の学期はとてもしんどかった。私が前に受けてきた教育を破減させるために、特に企画されたものだったんだ。尋常でない実験のための強烈な時期だった。

 

誰か他にこのクラス、グラフィック・アートとか他のクラスから出た人がいますか?

 

ピート・タウンゼントだ。彼は、他のアート・スクールで、同じスタッフから学んだ。彼らはこのアート・スクールを専抑したのだが、教育委員から全員クビになり、イプスウィッチヘ移って私の学校へ来たのだが、またクビになった、そして又彼らは別の地へ移った。かなりの人々が彼らのもとで学んだ。彼らは人の知るような名前ではないが、面白い事をやっている人々だ。
建築家であったり、私の知っている女の子はとてもいいチェリストになったり、あと、作家、イラストレーター、画家になったりした。人々は散り散りになり、大概面白い事をやった。全体としてとても高い成功率だった。皆が前に受けた教育によって、成されたダメージを取り除くという、単純なテクニックによってこれは成されたんだ。それは、「これは可能で、これは可能じゃない」という古いルールを取り除き、かわりに「我々は何が可能で、何が可能でないかを君たちに教えはしない。常にすべての可能性を歓得するためのテクニックを教えるのだ」といった。
今日こんな学校があったら、それは精神療法とか、そのように呼ばれると思う。あれはただのアート・スクールではなかったんだ。

 

訳 磯村知子さん 尾形加代子さん。

 


                          by hataeno