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interview 1974

 


 

 

 もとロキシー・ミュージックのシンセサイザー・プレイヤー、ブライアン・ピーター・ジョージ・セントジョン・ル・パブティスト・ド・ラ・サレ・イーノの伝説はその名前と同様、手に負えないものである。その伝説とは“シュールリアリスティック・ロック・スーパースター”あるいは“優美な電子音楽のグルー(導師)”はたまた“我々が愛し認識した死人” “シンセサイザーのならず者”等々。そして又彼はセックスの方でも勇名を馳せ、それはドン・ジュアンも、マルキ・ド・サドも顔色なしと思わせるほどだ。彼の宣伝担当の女史によれば、彼は美しく男のようであり女のようでもあり、官能的で魅惑的である……云々。
 さてこの女史いわく“3つの大陸のグルーピーが新たなる体験として知る男”に我々は面会に行った。
 「確かにボクは、ロキシーの中では一番写真写りの良い人間だった。だから一番魅力があった、とは思っていない。つまり誰かがロキシーについての記事を書けば、決まってボクの写真が使われる。こういうことなんだ。おかげでボクの顔は良く知られるようになったし、ロキシーのリーダーはボクに違いないとみんなが思うようになってね。それがブライアンを心中穏やかならざる結果にしてしまったんですね」とイーノはまず、ロキシー・ミュージック脱退の実状を説明した。
 そこでイーノはすっきり方向を変え、パンナム・スティール・バンドなるバンドを吟遊詩人マジック・マイケルと共に結成、それにポーツマス・シンフォニアなる仕事に情熱を傾けることになった。ポーツマス・シンフォニアとはクラッシックのレーパートリーから名の知れた曲を演奏する、音楽家じゃない音楽家の集団で、イーノはそこでクラリネットを吹いているという。そして彼はもとベルベット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル、ニコ、そしてソフト・マシーンにいたことのあるケヴィン・エアーズらと2,3度共演したりもした。しかし私がイーノに関してそのユニークさを認めざるをえなかったのは、『ニューミュージカル・エクスプレス』の記者:Chrissie Hyndeの次の言葉からだ。「彼の歌ってのはね、ちょうどお尻空気銃の弾を喰らったウサギの悲鳴に似てるのよ」〜これは聞かざるをえないではないか。http://music.hyperreal.org/artists/brian_eno/interviews/nmetxt.html
 私が彼にあったのは暑さ続きのシカゴでと言うこともあってか、その“リグレッシング・エクスペリアンス(新たなる体験)”の名に反して、エンドウ豆のさやのように幾分ぐったりとしていた。彼は青ざめ、薄い髪の毛にベッタリと貼り付き、のりの悪い頬紅の赤みはかえって彼の顔色の悪さを際だたせているよだった。彼はインフルエンザにかかっており、熱があるようだった。そんな自分自身に彼はいらだち、気を和らげようとしてか、自分を冷蔵庫の中に閉じこめてみよう、などという考えを半分本気で弄んでいた。イーノは“鈍さ”という物に耐えられない。物事に集中できないという今の彼の状態がますます彼の体温を沸騰させているようだった。
 彼の健康は慢性的に危険な状態だと言われているが、その原因というのが6人はくだらない女達を巻きこんでの30時間に及ぶ性行為の果てに起こったという。
 「いつも健康状態が良くなかったよ。でも僕の頭には何の影響も及ぼさないんだな。ボクには不健康な状態の方が刺激になるみたいだ。頭は冴えてくるしね。昨日シスコでぼくが“Taking Tiger Mountain by Strategy”と呼んでいる音楽を作っていたんだけど、これは一見流行のダンスの形を取っている革命的かつ軍事的な戦いなんだな。その時のボクの頭と来たら冴えていたし、万事はうまくいっていた。所がシカゴに着いたとたん知能指数が60も落ちたことに気がついて。この湿気と来たら!人がこんな所で暮らしてるなんて思えなかったよ」
 これだけ一気に彼が喋ったあと、私のテープレコーダーの調子が悪くなった。このことが彼の集中力を鋭くさせたのか、彼は得意の電子音楽の話をはじめた。だるそうに、けれども猫のように不思議な気品をたたえ、ビロードのソファの上に座り直しながら、この男は彼のアイデア、スケッチ、シュトックハウゼン風音楽プランなどを私にうち明けてくれた。ここで私はこのアーチストの“リフレッシング・エクスペリアンス”を浴びたというわけだ。
 「技術的な意味でぼくはまったく楽器をやれない。それは言い換えればボクの強みでもあるわけだ。つまり技術なんて何かを進めるとき、方法というものが障害になるとの同じものだからね。ぼくはそう信じてる。ぼくはロック・ミュージック界に入る前は教師をしていた。美術から前衛音楽に入ったんだよ。イギリスの60年代後半、美術や美学で起こりつつあった概念というのは前衛音楽に近接する部分があったし、このことがイギリスの美術学校を前衛音楽の重要な拠点としたんだな。つまり外に発展させる場がなかったとも言えるけどね。イギリスの音楽学校と来たら絶望的にアカデミックだからね。だから前衛的な作曲家の多くは美術学校で稼いでいたのさ。ぼくは美術学校にいたとき、時間におけるシステムとプロセスといった考え方において、音楽は美術よりも直接的だし、厄介なものではないことに気付いた。それでぼくは音楽の方に入っていったというわけさ」
 「前衛音楽は非常に知的でかつ反肉体的だ。しかしロックは並はずれて肉体、そして反知的だ。ぼくはこの知性と肉体がお互いの力におびえないような出会いを見つけたかった。ロック・ミュージシャンは自分たちのやっていることを、今ぼくが話したように議論することを敬遠する。しかしぼくっていうのはこういうことが大好きで、今だってこの議論をやめるにはいかないんだ」
 「ロック・ミュージックは今や最も重要な芸術だと思う。多くの注目を集めていることがその証明だ」
 彼は再び座り直し、講義と仕事のプランでいっぱいのノートを差し出した。そのユニークさ加減からいっても、彼が競争相手の先を行っていることを証明してしまっていた。
 「時々とても危険な状態になることがある。カオス(混沌))の淵を踏み越えそうになるんだ。でもそのこと自体には興味ないね。もし完全にカオスのパラメーターなるものを確立できれば、混沌状態に興味もあるけど。ただの散漫な状態というのはつまらないね。自分が企てた以上に面白いことがあっていいだろうということなんかを考えてるんだよ」
 「ロック・ミュージックの繰り返されたテーマの一つは新しいダンスを生み出そうとすることだ。そのことはロック・ミュージックのもっとも低級な形式、俗悪で粗野なものとされてきた。ぼくはこのまさにナイーブで俗っぽい表現形式を“Taking Tiger Mountain by Strategy”のように極度に複雑な観念と結びつけることに興味があった。これには二重の意味のジョークがあるんだよ。まず、ぼくがあえてダンス・ナンバーを取り上げたこと,2番目は、この“Tiger Mountain ”が議論を呼ぶほど意味深いものをシンボライズしていることに気がついたから。…こいつは面白いよ!ああ、こんないまいましい街を抜け出せたら、今すぐにでも!」
 彼はとりとめなく話している。しかしインフルエンザはすっかり彼を参らせている。脳を冒してしまうような恐ろしい処方をされたのではないだろうか、と怖がる彼は意を決し、医者に電話をした。その結果、彼が医者の所に出向くことになった。ところが、そこへもう一人の取材記者が現れ、宣伝マンが医者のところへ向かう車中でインタビューすることを勧めた。そうすることがあたりまえだと宣伝マンは考えたのだろう。「そうだろうよ!あんたにして見りゃあたりまえだろうよ!」とイーノは彼にかみつく。「あんたは何もしなくたっていいんだからな!」
 私はイーノが反駁したことをずっと考えていた。どうやら彼は私に影響を与えてしまったらしい。

(Cynthia Dagnal )

 


Rolling Stone 1974.12