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interview 1978

 


  

low1.jpg (2173 バイト) LOW heroes1.jpg (2184 バイト) HEROES

 

 

話は変わるけど、ボウイといっしょにやった仕事について何か話してほしいな。

 

  あわてふためいたよ、あの時は。『ロウ』を作った時よりハード・ワ一クだったね。『ヒー口ーズ』の時はアルバムを作り始める時から一枚かんでたけど、『ロウ』はバンドがすでに音作りを終えてて、あとぼくがオーヴァーダビングすれば良かっただけだったからね。
 ほとんど徹夜でね、毎日ボーッとしてだ。延々と日々が過ぎ去る感じ。ぼくのやり方とは全然ちがう彼流のやり方なんだよね、これが。ぼくには理解できなかったよ、彼のやり方は。

 

 そこを詳しくたのむよ。

 

 「サンズ・オブ・サイレント・エイジ」はあらかじめ作曲されてたんだが、他は全部スタジオの中で陽の目を見たんだ。それだけじゃなくて、アルバムに入ってる曲は全部ファースト・テイク!まあ、セカンド・テイクまで録ったけど、最初の方が良かったんだ。
 すべてが成り行きで進んだ。「じゃ、今度はこれやろう」って。それで維かが「ストップ」て声かける、そうすると、それでその山は終り。まさに気の向くままの進行さ。

 

「ヒーローズ」っていう曲についてはどう思ってる?

 

 あのトラックではバッキング・トラックを提供しただけさ。彼は最初に詞を作って、ばくが帰国したあとでメロディーをつけたようだね。残りは全部−人で仕上げた。
 曲の印象はスタジオを離れた時やっともてたわけなんだけど、壮大で、雄々しい感じがした。後でデヴィッドがぼくんとこへ完成したトラックを送ってきてくれたんだけど、“おれ達もヒーローになれるんだ”なんて一節が入ってる。本当に……妙な感じがした……寒けがしたよ。なんか恐ろしくなった感じだったね。

 

その他の曲については?

 

 まず歌詞は全然聞かなかった。断片的にね……「ジョー・ザ・ライオン」で“今日は月曜”って歌ってる。あれは素晴らしかった。
 多分、2,3か月、他の歌詞には、耳を傾けなかった。ジョニ・ミッチェルの『コート&スパイク』っていうアルバムは知ってるだろう?2年前の作品だけど、わりとターンテーブルにのっかってる。だけど、彼女が一体その歌詞で何を言いたいのかってことになると、解んなくなるね。

 

スタジオでのことをもう少し詳しく話してくれる?

 

 うん。とにかく全曲のバッキング・トラックを一挙に作り上げた。2日間ぐらいで。これが、自分のなら、何か月も何か月もかかるとこ。最初はこんなやり方は信用できないって、思ってたけど、徐々に同調してきた。
 ロバート・フリップは彼のパートを6時間でやり上げたよ。しかもニューヨークからのフライトのすぐ後でだよ。彼は午後11時頃スタジオに入ってきたんだけど、「今、何か面白いことやってるのかい」って尋ねたら、「あなた方がなさってる事、聞かせていただきますか」なんて答えてた。
 テープをセットし終える間、彼はギターを取り出して、「ちょっと試させていただいてよろしいでしょうか」だ。それで、彼のギターをシンセサイザーに接続して、彼のために演奏して聞かしたら、彼はコード・シークェンスも知らないのにプレイし始めちゃったんだ。まったく普通じゃ考えられない演奏だった。翌日には仕事終らせて、荷物まとめて、帰ったんだよ。すべてファーストテイクさ。信じられないよ。
 カルロス・アロマーの事も言っておかなくちゃね。数少ないメロディー・パートは彼が作ったものさ、稲妻のような早さで作り上げてしまう。
 全員スタジオに入ったところでデヴィヅドが言う。「OK、これはこう、あれはああ、あそこは倍の長さ、それからああやって、もう一度もとに」っていう具合。ごくわずかな指示でレコーディングが開始。その間にカルロスは美しい旋律を作り上げてしまってるんだよ。彼は本当にすごい。短い曲に即座にキャラクターを与えてしまうんだから。

 

ボウイは何してるの。

 

 演奏してる時は、一風変った状態にあるみたい。何も口にしないんだ。早朝6時に比較的名の知られた2人の人間がふらふらした足どりで家路につくのは、何か逆説的で、心を打たれたよ。ポウイは家につくと生卵を1個喉に流し込む。これが彼の1日分の食物さ。
 スラムみたいな生活。疲労感と脱力感を感じながらキッチン・テーブルにつく。ぼくの前にはパン粉みたいなドイツの穀類。があって、彼のシャツには生卵の白味が流れ落ちている。

 

あなた方に何か共通なものは出来た?

 

 ぼくらは“オプリーク・ストラテジース”を使った。「センス・オブ・ダウト」は、このカードを使って作られた。いろいろ方法論について話しあったけど、共通項をもてたとは思ってない。ギヴ・アンド・テイクはあったと思うけど。

 

彼のアプローチの方法はあなたのとどう違った?

 

 そうね、例えば、ある日夕方近くまで「ノイケルン」にとりかかってた。あの曲はすごく気に入った。ものすごく感動したよ。
 その曲を絵画にしたらどうかと思いだした。今世紀初めに、“ディーブリュッケ”(ザ・ブリッジ)っていう表現派の学校があった。そこで描かれた絵はすべて粗雑で、タフな筆致のものばかりでね。それら絵そのものに対する郷愁のモードというべきものをもっているわけ。まるで描かれるものが、描かれたとたん消滅していくっていう感じでね。
 その挑戦的な大胆さとか、無作為なイメージの展開とか、総体的なモードは、デヴィッドの方法を思わせるんだ。
 「苔の庭」っていう曲なんだけど。ぼくが普段作ろうとしないような、記述的な曲をデヴィッドは作りたかったんだね。彼はぼくに日本でみた庭のことを話してくれて、その後レコーディングにとりかかった。えらくいい加減な方法でね。
 いいかい、まずヤマハのシンセサイザーでコード・シークェンスをプレイしてるだろう、デヴィッドに大声で呼びかける、「長すぎたらどなってくれ」ってね。すべてそんな調子だ。デヴィッドが時計を見て、「もう充分だ」っていう、そこで終りさ。それで実際に出来上ったレコード聞いてみると、ちゃんとそこで終わってるんだね。奇妙だね、これは。もう、木当に行き当りばったりって感じだ。

 

 イーノの方法論の非常に微細なコントロール術をつかんでない人は、彼がデヴィッドとの“行き当たりばったり作戦”に対して不満を言ってるのは、おかしいんじゃないかと思うだろう。

 

 そう、ぼくが使う全てのシステムはそれ自身の適応力と方向性をもっている。そこで大きな問題は、ぼくがどう無定見に進んでいくか、どう方向をとりたいかってことなんだ。『アナザー・グリーン・ワールド』ってアルバムは、目的をもった宇宙飛行っていうことができる。『ビフォア&アフター・サイエンス』は海流に方向をまかせ、漂流するのにまかせた航海だね。
 これはサイバネティックス理論と関係があって、スタッフォード・ビアーが書いた『ブレイン・オブ・ファーム』の中に、複雑なシステムをプログラムする部分がある。ぼくはその部分に大きな影響を受けてる。彼はその中で言ってるんだが、システムをすべての細部に至るまでしっかりと組織化しようとするかわりに幾分かゆるめに組織すべきだと。「その時あなたが行きたいと思う方向に沿ってシステムのダイナミクスに乗れる」これはぼくのいう、目的のある漂流なんだ。
 『 ビフォア&アフター・サイエンス』のB面全曲はメランコリーを伝えるような感傷的な意味をもってる。これは前原子力時代の曲。これらの曲は海に関するものなんだ。漂うか、行方不明になるか、あるいは流れそのものになるか。つまりこれらが漂い始める前の原初の世界というのは万物がくっきりした姿をもち、可知的で、すべての存在がそのあるべき場所にあるという世界ね……。

 

 イーノの次のプロジェクトは社会的な意味あいのもので、10人のミュージシャン(イーノは数字を強調する)が活動することになっている。

 

 ロバート・ワイアットとぼくは、マイルス・デイヴィスのアルバムを聞いていたんだ、が、その時彼がぼくに言った。「マイルスみたいなやり方だと、編曲は即ミュージシャンの選択なんだね」
 言い換えると、デヴィッド・ボウイは、ミュージシャンを集めることは、総体的なコンテクストを自動的に創りあげることにつながるんだってことをちゃんと知ってたんだよ。つまり、彼がやったことは、成り行きにまかせて考えられたことではないし、彼独自の孤島の中にとじこもって考えられたことでもないんだ。
 音楽っていうのは聴感覚のために生まれたものだね。ぼくはそれを社会的なイベントっていうか、構造的なイベントのためにあるものにしたいんだ。801はそういうものだったと思うんだけど、最終的にはいい結果にならなかった。みんな徹底的に討論しなかったんだね。ぼくの思うには、精神の正気の部分にかかわりすぎたんだ。

 

 最後に私達はイーノが政治的にはどんな立場をとっているのかというテーマをとりあげることにした。彼は自らアナースキトだと言い放ったが、政府と庶民との間のコミュニケイションについての彼の考えは、何だか官僚的な雰囲気をもっていた。だが、私遠は2人とも頭が禿げかかっているし、2人ともデヴィッド・ボウイが好きなのだ。

 

 話は別になるけど、この前ウッディ・アレンの映画『アニー・ホール』を見に行ったんだけど、すごく感激してね、感化されたよ。その映画はダイアン・キートンとウッディ・アレンの関係を描いているし、そういった関係がどう生まれてくるかも描いてあるんだ。一瞬のうちに芽生えて、次第に消え去っていくようなね。それも悲劇的な消え去り方じゃなく…2人はけんか口論もしないで、お互いから離れていくんだ。
 ラスト・シーンは2人が街でばったり出会うんだけど、2人共何をしゃべってるかわからない。カフェのウインドウを通して撮影されてて、彼らの会話をききのがしたと思ってまごつかされるんだ。そこに強い感動がある。2人はもう一度出直すみたいに見えて、離ればなれになっていく。肩ごしに相手のことを気づかいながら、肌にふれたいと感じながら、結局何も起こらずじまいに終る。

 

 

音楽専科 1978.3


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